『戦争とオカルトの歴史』 原書房 A History of the Military-Occult Complex

大橋博倖

第1話

 オカルトという単語に人は、現代の日本人であれば何を想起するであろうか。

 ちょうど近年、そのままの名を冠した書が刊行されている。

「オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ」森 達也

 森は、オウム真理教を題材としたドキュメンタリー映画「A」他、この「オカルト」の前作に、超能力者に取材したノンフィクション「職業欄はエスパー」がある。

 「オカルト」には、この領域の日本国内最高権威であろう、心霊科学協会へのインタビューもあるが、結論はわからない、とされる。

 一方アメリカでは、1977年、アメリカ中央情報局(CIA)の局内刊行物である、「諜報における研究」冬号に、「クレス・レポート 諜報における超心理学」と題された報告書が掲載され、情報収集手段として遠隔透視に潜在的な利用価値があるという事実が公式に認定された。実は本書の巻末にはその全文が和訳され収録され、読者は直に触れる事が出来る。

 本書はこの、日本人が未だ実在の成否を論じている分野について、CIAがその研究に先鞭を付け、次いで海軍、アメリカ国防情報局(DIA)、麻薬取締局、沿岸警備隊、そしてFBIらが実用及び運用に参画していく経緯と、今日に至る史学的見地からのプロセスを網羅した文献である。

 本書は自らの役割を次の様に述べている。軍事及び諜報活動の分野でサイキックをどう活用していくかという将来像の考察、その裏付けである、と。

 歴史的経過については特に語るべき点は少ない、否、その実に様々なエピソードは、それ自体魅力に満ちたものではあるが、筆者が論じているように、常識的な、否定的な見解と、肯定的な解釈の両論併記がひたすら羅列されるのみであり、その成否を今から見極める事は当然にして不可能だからである。しかし前出のとおり絢爛たる出演者たち、旧約聖書から始まりテンプル騎士団、ジャンヌダルク、フリーメイソン、イルミナティ、サンジェルマン、ラスプーチン、といった面々が楽しませてくれる。映画「インディージョーンズ」で有名な、ナチスと黒魔術ももちろん登場する。

 また、忍者の九字切りと敬礼の呪術的共通性といった見地と、「軍事作戦は、肉体活動において比較的長時間の低強度のものから、ごく短時間に集中する最大強度のものまで、幅広い範囲の強度を必要とするといってよいだろう。我々の研究の主眼は、筋肉疲労を特定し、それについて精通し、生理学的要因を決定し、職務遂行能力を維持する最高点を予測し、身体訓練の方法を改善することにある」という兵士強化を目的とした手法の一つとしてヨガの呼吸を援用する等、バイオフィードバックにより心拍、血圧、血液凝固といった生理機能、体内機能を制御しより頑健な兵士を獲得するといった、あくまでも実用に根差した“軍霊複合体”の活用についてが論じられている。そこでは、「テクノロジーは簡単だが、訓練は困難だ。だから、装備はよく整っているが、自分の兵器の使い方をよく知らない部隊は世界中にたくさんある」という、『デジタル・ソルジャーズ』からジェイムズ・F・ダニガンの言葉も引用されている。

 武器としての催眠術、と題して、第二次世界大戦当時、催眠術で密偵を訓練する実験が実施された事が明かされる。人格分割と称され、裏の人格に任務を遂行させ、表では何も覚えていない、という仕組みである。同様の手段で、星条旗に忠誠を誓いながら共産主義の教義を熱烈に信奉する二重スパイを育成し投入したともある。兵士強化の成功事例として「ジェダイ計画」があるとする。これは、1983年、映画『スター・ウォーズ』のジェダイの騎士にちなんで名付けられたプロジェクトであり、名称とは裏腹な、軍標準の携行銃器である45口径ハンドガンの射撃能力の向上という非常に実際的かつ実用的な目標であった。そして計画は、訓練期間の短縮を目的とし、研究の進んだ神経言語学の学習プログラム等も併用されていたが、イメージ化と暗示と積極的な強化術により、射撃の経験が無い兵士であっても、技能取得に要する時間の短縮が図られたとされる。

 これは、今日ではスポーツの分野でも既に一般的な手法かもしれないが、早い時期から軍がそうした可能性に着目し採用している点が重要であろう。

 歴史の項でもシャーマニズムとプロパガンダについての言及は度々なされるが、現代においても、大学に魔術研究課程が設置され、無視し得ない多数に通用する“迷信”が、信奉と行動の因果関係が研究され、群衆の心理操作に応用されるという事が試行される様が述べられ、その数々が実際の軍事作戦、心理作戦としても発動されている様が明かされる。1950年代、フィリピンで反乱運動が起きたとき米軍は、ゲリラ組織に地元の迷信であった“吸血鬼”を用いた心理作戦を実施し、ある程度の成果を得た。一方、ヴェトナムでは、凶兆とされるスペードをエースを散布したが失敗。1964年には「コンゴにおける妖術・魔術・呪術・その他の心理現象と、軍部及び準軍事組織に及ぼす影響」と題された報告書が、陸軍の予算により、大学の対ゲリラ戦術分析センターの手で作成された。

 本書には“サイキック・ソルジャー”という語が頻出するが、その意味するところは、フィクションでの“異能バトル”とは程遠い。最も近しい例を挙げるなら、テレパスを無線連絡の代用と対人レーダーとして運用するという実用的な超能力を描く佐藤大輔作「皇国の守護者」に登場する導術兵であろう。本書の大分も、遠隔透視という諜報の一分野の可能性として述べられている。

 15章、CIAのサイキック研究からが本論となる。1969年、CIA研究開発室は“黒魔術および超自然現象の世界の探求”を目的とするオフン計画を開始する。CIAと超能力といえば、下部組織である“ザ・ショップ”と超能力少女の死闘を描いたスティーブン・キングの「ファイアスターター」があるが、既述とおり本書ではそうした破壊的な能力者は登場しない。

 そしてここに有能なバイ・プレイヤーとしてスタンフォード研究所の名が現れる。日本にもその支部を持つ、現代社会の世界的な研究所、SRIインターナショナルの前身である。主な研究分野として実に幅広くあるが、末尾にセキュリティと国防、センサーとあり、本書との関連はこの分野であろう。無論、超能力はそこに明記されていない。

 アメリカにおけるこうした動きについて冷戦構造、ソ連の存在が大きく影響し、推進した事について留意しておく必要がある。軍備増強や宇宙開発といった我々の眼前で繰り広げられた両国の鍔迫り合いの、本書で述べられる項目もその一環であったのだ。仮想敵の装備に対抗手段を持つという軍事原則の通例的な措置であり、しかも当時、かれらは自身が遅れていたという認識と、その事への危機感がここで表明されている。

 1973年、被験者のパット・プライスは訓練用として選定された国家機密の軍事施設を詳細に透視し、この実績が研究を大きく牽引する。その後プライスは東側の施設をも透視する事に成功、この時点で既に、“遠隔透視の効力並びに補助的な情報手段となりうる可能性が明確に例証された”ことによって、“敵対する情報機関がそれを使用した際の脅威を判定する”事へ計画の目的は移行し、遠隔透視の“開発資金”が、既存の軍事、情報関係に比較して少額であり、対抗措置が不可能との評価により、現存する情報収集手段の中でもっともリーズナブルで効果的な、但し精度と信頼性の向上を要する手段であるとされている。

 研究開始から数年が経ち、冒頭に示した「クレス・レポート」が提出されるに至る。

 報告書は、“この記録は、将来、超心理学が持つ諜報に関連した幾つかの側面を評価する必要が出た際に役立つことだろう”と述べる。

 前出の、被験者の一人プライスには、“外国”大使館への遠隔透視任務が与えられ、実行されている。目標は、大使館内に存在する暗号室についての情報であり、取得された結果により、盗聴器作業班が実際の業務に携わったとある。

 19章の1984年、では、アメリカ国内で発生した本件に関する情報漏洩と、情報操作工作への嫌疑が示されている。CIAの本務を思えばこれは当然の事だろう。

 20章に登場する、スピリチュアリズムの総本山の一つモンロー研究所と、国家の心霊、換言すればスピリチュアリズムの軍事利用への協力という事実は、ある種の人々には衝撃を与える事実かもしれない。しかし本書前半、歴史の項目内で言及されているとおりに、“それが賄賂でも、性的恐喝(ハニトラ)でも、或いは遠隔透視ですらあっても、そのテクニックが通用させられるものならば、兵士やスパイの道具箱行きになる。そうであらねばならない”至言であり、正にそうして軍事というものが発展してきた様をそのままに示したのが本書の存在に他ならない。アメリカ陸軍情報保全コマンドがここで訓練を受けた事に触れられている。

 1986年には、DIAにより“遠隔透視訓練マニュアル”が発行された。政府情報機関の公文書としてである。常識的で理性的な日本人としては、もはや付き合いきれない世界かもしれないがそれすらとうの昔の話である。最高権威の一人が未だ首を傾げている国のとなりではそうした事態が前世紀に出現していた。“FBI心霊捜査官”に類する番組に見覚えもある事だと思う。歳末や季節の変わり目で“有無”についてのTV特番が報じられる事もあるが、何というか、こうなると逆の意味でナンセンスの極みであろう。

 そして本書は25章で急転直下の展開を迎える。1995年11月28日、研究は終了し、CIAの出資により作成された「遠隔透視計画の評価-研究及び作戦利用」AIR報告書と評価委員会により、最終的に総ては機密として封印されてしまう。

 ある科学者はこう述べる“あるチャンネルが存在する。それによって、知覚の原理はいまだ未確認とはいえ、遠隔地に関する情報は獲得可能である。”また、“あらゆる生物システム同様、その情報チャンネルは不完全と思われる。”

 今後もし仮に、日本国内でこうした分野に対しての国家的取り組み、具体的には予算化の試みがされた場合、国民の一人としてどう対処するであろうか。

 防衛省技術研究本部への勤務経験を持つある知人に感触を求めると、無理、俺だったら潰す、という一言を得るに至った。

 終わりに著者へのプロフィールに触れておく。

 W.アダム・マンデルバウムは、国家安全保障局(NSA)のCOMINT、通信情報収集の部局に勤務し、現在はニューヨーク州で弁護士の職にある。そして本書で論述される、遠隔透視研究グループISIの共同創設者である。

 著者が当事者であり、かつ情報を扱うプロフェッショナルという事実は、本書の信憑性を揺らがせるに十分な力を持つ。本書内でも繰り返し述べられたとおりに、本書自体がプロパガンダの、或いは予算獲得手段の一つとしての機能が期待されている、という推定も有効であろう。

 本書で繰り返し述べられている項目の一つに可能性、が挙げられる。今ある軍事や諜報関係の装備や戦術が一夜にして旧式化する、そうした可能性についてである。

 戦車が、航空機が、それを成し遂げて来た歴史を我々は知っている。

 軍事に興味を示す人間にとり可能性の一つを示す材料として、本書はその存在理由を有するであろう。

 因みに、本書へ興味を持たれた場合、400頁の大書であり、¥2800といささかの高値でもある。2005年刊行の旧書でもある。まずは最寄りの図書館に蔵書を求める事をお薦めしたい。

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