手を伸ばす先なんてどうでもよかった

右左上左右右

(Twitter)

手を伸ばす先なんてどうでもよかった。


妹は、その手をいつも宙に伸ばしていた。

目の見えぬ妹はそうして手に触れる感触で、その感覚で、周囲を把握するのだと、そう親は言った。

両目には義眼を嵌めているのに時々見られている気がしてドキリとする。


妹は儚く美しく、まるで月の光の妖精のようで。

その感情の無い作り物の瞳でさえも、いや、それこそが彼女を『そう』させている。

精巧な美しく穢れの無い人形の様に。


「兄さん」


呼ばないでくれ。

僕をそんな風に呼ばないでくれ。


「兄さん」


妹の伸ばした手がひやりと触れる。


「兄さん」


ああ。

硝子玉に映る自分の顔に愕然とする。


このまま壊してしまおうか。

妹を。

家族を。

全てを。

ぐちゃぐちゃに壊してしまおうか。


「兄さん」


ダメだ。


この無垢な妹を穢してはいけない。

無垢な、美しく、儚い妹を。


できる事ならば、硝子ケースに入れて誰の手垢もつかないように、誰の目にも触れないように、閉じ込めて鍵をかけて。


僕は、臆病で意気地無しなのだと自分に言い聞かせる。

臆病で、意気地無しで、大切な妹ですら守りきれぬのだ。

地元を離れ大学へと進学する僕へ、最後の日、妹はやはり手を伸ばした。

「兄さん」と。


その手を取って、抱き寄せたかった。

その手を取って、二人で逃げ出したかった。

けれど、僕は


身を捩って、その手をかわした。


「兄さん」と呼ぶ妹に、返事をしなかった。


一年後、妹の訃報が届いた。


事故だった。


妹は、あの儚くも美しい妹は、何処の誰とも知らない男に壊されてしまった。


目が見えていたなら、避けられたかも知れぬ。


しかし、目が見えぬからこそ、妹は美しくも可憐で月明かりのような存在だったのだ。


僕は涙した。

身勝手にも、涙した。


妹を、自分のこの手で壊したかったのだと、気付いてしまった。


妹を、永遠に喪ったのだと、気付いてしまった。


「兄さん」


手が


僕へ


伸ばされる。


「兄さん」


声が


僕を


招く。


「兄さん」


妹が


喚んでいる……。

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