この家はどうかしている。

 実家のWi-Fiだって無料ではない、父親が毎月払ってくれているのだ。会社から家賃手当がでるとはいえ、家族と離れて一人で暮らすだけで余計に出費がかかる。年に数度の里帰りだって交通費がばかにならない。とはいえもう俺は考えるのを放棄したかった。暴れ馬は窓だけで足りている。他の人には極力つっこみたくない。

「それにまだ材料あるから夕飯作るぞ俺は。つーかもうやだ腹へったつかれた」

「温さん、わたしお手伝いします」

 けなげな妖精エリーゼ、俺たちちぐはぐな兄妹の間を取り持つように率先して申し出てくれる。孤独な俺の心に寄り添うように隣に立ち、にんじん、なす、トマト、ピーマンをどんどんと一口大に切っていってくれた。

 今晩の夕飯にと考えていた鱈の切り身は、俺と窓の分しか用意していなかったので、急遽メニューをカレーに変更した。カレーなら、あとで蒸した鱈を入れて食べても美味そうだ。

 それにカレーは、幼い頃から料理を手伝ってきた俺の一番の得意料理でもあった。作るのが面倒くさいときや献立に困ったときはいつも決まってカレーだ。週一で作っても文句は出ないのが、カレーの最もすばらしいところだろう。少しずつ味つけや具材を変えながら何度も作ることによって、やがて親の作るカレーとも違う俺独自の路線を確立したのだ。

 俺はタマネギたっぷりのキーマカレーがとくに好きで、最後にご飯の上にとろけるチーズを乗せ、最後にルーをかける。

 冷蔵庫から出した野菜で、カレーの具をどんどんこしらえていくエリーゼの横顔は、役割ができてほっとしていることが見て取れた。居候でただでさえ招かれざる客、居心地が悪い中でけなげに頑張っているのだ。俺はその隣で、適当にざっくりと切ったタマネギをミキサーにかけていた。

「手際がいいよね。エリーゼは料理できるの? 妖精はごはん食べないようだけど」

「え、あ、あのう……暇なときに……動画で……、窓さんの部屋でパソコンを借りて、お料理動画とか見てました」

 俺は想像しすぐに同情した。何日か前から窓の部屋にいたのなら、窓が学校でいない昼間はさぞかし暇を持て余していただろう。

窓の本棚に並ぶコレクションは、猟奇殺人ノンフィクションとか、世界の兵器・武器とか、読む者を恐怖のどん底にたたきつける!みたいな帯のホラー小説ばかりで、エリーゼが興味を持つようなものがない。

 妖精なので人間とは生活感覚が異なるのかもしれないが、少し気になる。

「俺の部屋も入っていいからね、勝手にマンガ読んでいいし」

 俺のマンガコレクションは、少女マンガを中心に傑作をそろえている。俺は既に完結済みかつ評価の高い作品を好んで手に取る。博打が得意ではない、言い換えれば安定が大好きなのだ。バイオレンスも苦手なので自然と優しい内容が多くなる。小説もほのぼの系が好きだし、安心してエリーゼにも読ませられるものばかりだ。

「わあ、ありがとうございます、温さん」

 人の死の気配に引き寄せられる妖精バンシー。できれば一生お目にかかりたくないたぐいの、死神みたいな女の子。

 そのエリーゼの笑顔が、今の俺のもっとも心安らぐものだなんて、この家はどうかしている。


 荷物の片づけはほんの十分ほどで終わったらしい。身軽な読は、ソファに腰を落ち着けると、テレビをつけてワイドショーのニュースを流し、ノートパソコンを開いて動画サイトを再生させ、ラジオをつけて人気パーソナリティのトークを聴きながら、スマホで指先だけでゲームを進め、さらに分厚い単行本の活字(上下巻ある大作の海外ダークミステリ小説のようだ)に目を落としていた。いや絶対ムリあるだろ! おまえは二十一世紀の聖徳太子か! どれか一個、せめて二つに絞れよ! 二兔を追うどころではない、絶対に一つもまともに出来ない……と思っていたら、実に見事に意識を分散させながら同時進行でこなしていた。

 兄の様子を観察するだけで若干いらいらしながらも俺はエリーゼの協力のもとカレーと味噌汁を作り終える。なんて立派な俺。いくら呼んでも窓が降りてこないので、不穏なものを覚えながら、読と俺とエリーゼで食卓を囲んだ。エリーゼの前には食べ物を置かないのもなんとなくかわいそうなので、紅茶だけ茶葉を蒸らしてポットで入れた。エリーゼは紅茶なら飲めるというのだ。なんで? 紅茶は天使の飲み物だから? エリーゼは天使じゃないけど。

「窓なんで来ないんだろうね」

 スプーンを立てて持ち、マジックショーでもするような謎めいた雰囲気で読が首を傾げた。部屋にこもって再び俺を呪い殺そうとお札に筆で呪詛を書く窓の後ろ姿を思わず想像してしまい、げんなりした。水をがぶ飲みする。

「まさかな、もう考えるの面倒になったから俺らふたりともまとめてコロ……いやいや……」

「え? なに?」

「兄ちゃんは知らないかもしれんけど、あいつけっこう面倒なやつなんだよ」

「窓のこと? なにが?」

 読はスプーンを様々な角度から眺めて、あげくにペン回しのように起用にくるくるさせはじめた。おまけにテーブルの下で足は、長さを持て余すようにぶらぶらと揺らしている。なんなの、保育園児なの?

「雰囲気でわかるだろ。ほら、中学生特有の危うさっていうか」

「え? なに? ぜんぜんわかんないけど」

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