リヴェール姉妹と少年の旅路

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リヴェール姉妹と少年の旅路

第1話 リヴェール姉妹と深夜の追いかけっこ

 夜の帳が下りて、数刻。月明かりに照らされた森を少年は駆けていた。


 右手には1mほどの刃。魔獣を狩るための代物。武器を手にした少年は、木々の迷路を縫うように走った。


 狩るために走っているのではない。少年は、狩られないために走っていた。


 追っ手はすぐ傍まで迫っている。


「っはぁ、はあ……!」


 かれこれ15分以上もの間、少年は全力疾走を続けていた。表情は苦悶に歪んでいる。だが速度は落とせない。そういう事情がある――というよりはそれだけ実力の差があった。


 逃げる少年と、追っ手の間には。


 少年も自覚をしていた。だから振り返らないし、留まらない。どんなに胸が苦しくても一心不乱に走る。


「――もうかなりの距離を走ったよ? お兄ちゃんも走るの好きだね。ちょっと休憩にしない? わたし、紅茶持ってきたんだ。一緒に飲も?」


 声色だけで――追撃する少女が、余裕綽々で自分を追い込んでいることを少年は悟った。


「みっどないと・あふたぬーん・てぃーたーいむ♪」

「誰が、飲むか!」


 叫びながら少年は走行ルートをずらした。直後に耳を掠める風切り音。親指ほどの矢が四本、脇の樹木に刺さっていた。ちょうど腱の辺りの高さ。

 止まったらアレが足に突き刺さる。想像した少年の顔からさあ、っと血の気が引いた。同時に目覚める火事場の馬鹿力。つりそうなふくらはぎが息を吹き返した。


「――こら、ココノ! 少しは加減をしないか! 下手な場所に当たったらどうする」


 今度は諌める言葉が少年の背後から聞こえた。先ほどまでの幼い声とはうって変わって、凛とした声。


「魔獣と鉢合う前に終わらせようとするのはいい。だがあまり無茶は」

「大丈夫だよ。カレットお姉ちゃん。ちゃんと急所は外してるもん」

「そういう問題じゃない!」


 そうだそうだ。そういう問題じゃない。もっと言ってやれ! と、少年は追跡者のうち凛々しい声の方にエールを送った。


「吹き矢のような物騒なものを安易に使うな。動けなくするなら他にも方法はあるだろう。なんのための紅茶なんだ。それを飲ませれば済む話ではないか」


 その紅茶は、物騒なものじゃないのか? ……いや。みなまで聞くまい。少年は耳を塞いだ。


「あーあ。お姉ちゃんがお喋りだから『お兄ちゃんをお茶に誘ってそのままベッドイン』作戦は使えなくなっちゃったよ」

「ああっ! し、しまった」

「これはもう『お兄ちゃんをぎゅっと押し倒してそのまま首をこきっとする』作戦に切り替えるしかないよね」


 それはつまり力ずくでくるって事だな。ココノよ。少年は額の汗を拭い、そして刃の柄を握り直した。


「あ、お兄ちゃん。もしかしてやる気になった?」

「誰がお前や姉ちゃんとまともに戦うか! 逃げるんだよ! 地平の果てまでな!」


 そう言って、少年は刃を振るった。切ったのは樹木に絡まる蔦だった。渓谷の目前。蔦の先端が少年の手元に垂れる。引っ張ると、頭上の枝がしなりと曲がった。


 これなら跳べる。枝のしなる反動で樹上まで。一気に振り切れる、かもしれない。体力も魔力も底をつきかけている。選択肢は他にない。やるしかない。天然のロープを掴むと、少年は力を込めた。


「――じゃあ、わたしは地平の果てまでお兄ちゃんを追っかけるよ。いつか一緒に行こうね。お兄ちゃんとわたしと、お姉ちゃんの三人で。

 だから今日は、ここでおしまい」


 少女の声が急に近くなった――と思った、その瞬間だった。闇に煌々と燃える炎の球が、少年の握る蔦の上部を焦がした。カレットの“魔法”が放たれた。そう少年が悟ったのは瞬時のことだ。しかしそれでも遅すぎた。


 炎に焼かれた蔦はあっけなく千切れた。支えを失ってバランスを崩す身体。べちゃ、と音を立てて少年はしりもちをついた。


 敵は? 少年が顔を上げた。視界を埋めたのは樹木でも、その先に広がる夜空でもなかった。自分めがけて落下してくる少女。が見えたかと思えば、直後は白くてつややかな太腿が少年の胸をめがけて着地した。


「ふぐ――っ」


 胸骨を圧迫され、言葉と呼吸が途切れる。月光を浴びて輝く金髪が、少年の目の前になびいた。


「はーい、捕まえた。もう逃がさないよ♪」


 つぶらな碧の瞳が少年を写す。少女は――ココノは少年の胸板に腰を下ろしたまま、悪戯な笑みを浮かべた。


「47勝0敗、1引き分け。今日もわたしたちの勝ちだね。お兄ちゃんも懲りないなぁ」

「……! ……っ!」

「え? なにいってるかわかんないよ」


 お前が胸を圧迫してるからだろーが! と訴えるが、少年の口から出る声は言葉に変わらず、ひゅーひゅー鳴るばかり。


 ココノはふぅ、とため息をつくと


「もう夜も遅いし、早く帰ってお湯も浴びたいし、お喋りはここまでにしようね」


 そう言って、腰から光るものを抜いた。腕よりも幅の広い刀身のナイフ。鏡のように磨かれた刃に、ひきつった顔の自分を少年は見た。


「おやすみ。お兄ちゃん♪」


 可愛らしい挨拶とともに振り下ろされた凶刃。こきっ、と小気味のいい音が首の辺りで鳴ったのを少年は聞いた気がした。


 そんな気がしたが、しかし定かではない。考える間もなかった。


 少年の意識は、深い眠りの底に沈んでいた。

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