第20話 城崎へ
山陰線は京都を離れると、一時間以上も目立った景色もない、丹波の山の中を走り続ける。
「今回は客を装って調べる、こんな楽な仕事は滅多になかったなあ」
とまた余計な考えが頭を横切る。
これはひょっとして城崎で羽を伸ばしてこい。と云う粋な計らいかもしれん、と都合の良いように思い直した。しかし周りは海水浴客ばかりで気が重い。まして大阪や神戸には良く行くが、日本海側は行ったことがなかった。華やかさがないのだ。透き通った海と青い空の南国に憧れる加奈には、荒い波と灰色の空が続く北国は気が重い。冬ならともかく、暑い夏の陽射しの中を温泉街に向かう。それと同じぐらい気が重いのは、波多野と云う男だろう。好きな人が出来ればサッサと破談にすれば済むことなのに。それを楽して、もっと階段を使え、何がエスカレーターだ。こっちだって羽を伸ばせって云ったってグリーンで無く、何で自由席なの、シケてんの。しかし特急列車に乗れただけでも、いや、澤木の調査方針である”時は金なり“それを実践しただけだろう。
出発前は京都駅の自由席乗車口には結構人が並んでいた。が殆どが日本海へ行く海水浴客で、城崎へ行く列車には何とか座れた。そのまま内陸を走る特急は綾部からは空いてきた。
矢っ張りみんな海へ行くんだ。とビーチサンダルで乗り換えホームへ向かう人々を羨ましく眺めて居た。何で海じゃない、と溜め息交じりに加奈は城崎に着いた。
城崎温泉駅改札を抜けて表に出た。駅前のロータリーから広場を抜けて、店が軒を並べる県道へ出た。県道を左へ四、五百メートル往くと、川幅が五メートルぐらいだろうか、両岸には柳並木道の
円山川に注ぐ此の川を挟んで、北と南の道路沿いに、旅館が軒を並べて土産物屋と小綺麗な店もあった。遅い昼食にその小綺麗な店を見付けて入った。
観光シーズンを外れるとこんなもんか、と広くは無い店でノンビリ出来た。やって来たスパゲティに調味料を振りかけてフォークに絡めて咀嚼した。どんなときも調査員は、音も無く静かに、常に周囲に耳のアンテナを張り巡らす。後に居る先客の女二人は観光客には目もくれず、向かい合って駄弁っているから地元の人らしい。
相手の一人が今日予約してる嶋崎旅館と聞いて、途中からその会話が気になりだした。どうやら彼女らは高校時代の女友達で、この温泉街で仕事をしているらしい。
此の季節は海水浴客ばかりで、みんな海の家や民宿に泊まる。この町まで足を伸ばす人が少ない、とぼやいていた。秋になればぼつぼつ客足は戻り始めるから、夏場はこうして学生時分の友達と駄弁っている。
「処で旦那さんはどうしたの春から顔を見ないわねずっと。確か大阪のホテルで宴会を担当してたとか、その関係者と営業のお仕事?」
「まあね冬の蟹だけじゃあね、何とか夏にも来て貰わないと思って呼び込み遣って貰ってるの」
「それで旦那さん頑張ってるの、いい人見を付けたのね」
「見付けたのはあたしじゃないわよ」
「そうだったわね、お父さんが大阪の知人の結婚披露宴に招待されてそこで目を付けた人やねぇ」
「これからの旅館業を任せる人だと父が目星を付けて口説いたから」
「その点ではセンスのいい人だと判ったし、かなり客筋のいいホテルのお客さん相手だから人当たりは申し分ないわね。此の五年であんたとこは単価の高いお客さんばかりでリピートも多いからあの人をお婿さんに選んだお父さんも鼻が高いでしょうね」
まあねと曖昧な返事をして、その辺で切り上げようとしていた。
此の話題から逃れる処が、此の半年間の苦労に繋がっているようだ。
「そろそろ今日の泊まり客の支度をしなくっちゃ」
「夏でも
「女性の一人旅なんかが急に入っちゃって、後は家族連れが三組ね。こっちは前から予約されてた方だから印象を悪くさせちゃったらもう来てくれないからね」
相方が腕時計を見て、じゃあそろそろ旅館に戻らないといけない、と声を掛けられて佐登は店を出た。
今日は付いてる、と早速行動開始と加奈は後を付けた。二人が別れると、嶋崎の旅館は分かってるから迷いも無く、もう一方の友人の後を付ける。
一キロ四方の狭い町だ。直ぐに近くの土産物屋に入ると、そのまま店の奥に消えた。どうやら彼女はこの土産物屋らしい。店の片隅に掲げられた武藤と謂う表札も、抜け目なく確認した。
さっきの二人の話の雰囲気から、波多野はどうも半年前から家を出たままらしい。その辺りが此の仕事の山だと睨んだ。今、旅館は佐登が切り盛りして、波多野の代わりを父がやっているようだ。此の先の情報を出来るだけ、此処で調達できればしめたものだ。
加奈はその店に飛び込んだ。やはりさっきの女が出て来た。店の物を品定めをしながら今日泊まる予定の嶋崎旅館を尋ねた。
「あら何も調べないで来たの?」
彼女は道順を云おうとしたが、場所はネットで調べたから、どんな旅館なのか尋いた。
「一応調べましたけれど、あの旅館はここ最近急速にお客さんを増やして居るからどんなお宿なのかと思って。外観で宿泊を申し込んでも裏の内情はどうなのかしら。女将さんはどんな人かしら。モニター画面の向こう側って実際に行って近所の人に訊かないと判りませんからね。出来ればお宿の人に直に訊くより近所の人なら掛け値なしで教えて貰えるかしらと思って。それにね友達で旅館の女将さんに憧れてる子がいるから」
「そう、それは佐登ちゃん喜ぶわ。あの旅館の女将さんはねえ、同じ学校のクラスメイトで活溌な人だから何でも聞けば教えてくれるわよ」
「ご主人のことも」
武藤の眉間が少し寄った。
慌てて加奈は社長さんはと聞き直した。女は無理に笑顔を作った。
「でもここしばく出張しているから留守なのよね」
「暫くってどれぐらい」
「分かんないわね、集客力アップを狙って大阪に事務所を設けてそこで城崎の宣伝しているから。ほとんど常駐だから佐登の話では時々帰ってるって云ってたけど、ここ半年は詰めてるのか見掛けたことはないわね」
「じゃあそれだけ城崎温泉への人気が出て来て忙しくなってる証拠でしょう。偶にトンボ帰りで家族の顔を見たら直ぐに出ても関西なら数時間で戻れるから仕事もはかどるでしょうね」
と加奈が旦那さんの仕事を聞き出そうとした。
「あら旦那さんが大阪でそんなに頑張ってるんじゃあ此処で余り見掛けない訳ねえでもそんなに此処が人気になってるのかしら」
と友達の割には気のない返事に加奈は焦った。
「まあ夏はともかく今年の冬は隠れた観光スポットになるかも知れませんよ」
「それは良いわね。特に大阪の人と結婚してからはかなり張り切りだして、でもそんなことこれっぽっちも言ってくれないなんてずるいわねー」
「それはご主人のせいかも知れませんね、案外こっそりと大口の会社と慰安旅行の特約でもされて居るんじゃないですか」
「そう、それね、きっとそうだわ。何でも大阪のホテルでは一番人扱いが慣れて結構評判が良かったみたい。もっともそれで佐登のお父さんがうちの娘にと旅館の跡取りにとコロッと行ってしまってって自慢していたから」
「じゃあその娘さんで無くお父さんに認められたんですかお婿さんは」
此の店の女はどうやら佐登に嫉妬していた。高校時分はそんなに変わらないのが、波多野を迎えてから大きく差を付けられた。以前はお互いに慰め合っていたが、最近は面白くないのが、言葉の端々に現れているようだ。此処はもう少し突っ込んで煽り立てれば、此の女から旅館の事情を聴けそうだ。
「此の狭い町じゃあそんな話はみんな知ってるんですか?」
「そうでもないわよ最近は個人情報には
冬まで待てるか! あ〜あ、彼女を煽っても何も出なかった。同級生だった此の女も波多野の事は余り知らないようなら、嶋崎佐登に直接当たるしかないか。これで急に旅行気分が一気に吹っ飛んだ。
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