第15話 美咲の散歩

 長い鬱陶しい梅雨が明けて、夏の太陽が顔を見せても、ママはいつも朝から厨房に入って、近在のおばさんと一緒にこしらえ物をする。美咲も手伝うって言うと、ガス台には煮えたぎる大鍋にあちこちのまな板には包丁も散らばっている。だから此処では邪険に扱われて「お外で遊んでらっしゃい」と追い出された。

 此の大きな建物以外はこぢんまりしたモルタル張りの家に混じって、茅葺きと呼ばれる家も点在していた。此処でお隣さんを呼ぶときは大声を出さないと気付いてくれないから、自然と美咲も声が大きくなった。

 美咲は一番近くの茅葺きの家まで歩くと、おばあちゃんが迎えてくれた。此処のおばあちゃんはママと違って朝が早い、その代わり夜は暗くなると直ぐ寝るそうだ。朝はいつも近くの畑で仕事をしているから、近くを歩くと直ぐに見付けて呼んでくれる。今日もそうだった。おばあちゃんはいらっしゃいと大声を出し、忙しなく手招きしてくれた。そう急かされても早く歩けない。転ぶとまたママに厄介を掛けるからだ。そうっと、しかも早足に動かす変な歩き方を、此処で憶えてしまった。ついでに施設の人と集落のお年寄りたちから字を教えて貰った。お陰で絵本以外も読めるようになった。勿論難しい字は飛ばすからただ読んでるだけだった。それでも近くに暇な人を見付けて訊いても、誰も面倒くさがらないで教えてくれた。また忘れても此処の人達は、町と違って大らかで、笑って何度でも教えてくれた。此処のおばあちゃんもそんな一人だった。

 此処のおばあちゃんは、脱穀した後の藁で、色んな物を作った。美咲はそれも教えて貰った。

「あんた器用な子だねぇ」

 あんたのママは喋るのがお上手だけれど、あんたはその分を手先でカバーしてるのね。都会へ出て行った息子の孫は、全く駄目だったのに、と藁を編む美咲の手を止めさせずに、おばあちゃんは一方的に喋っていた。

「どうしてみんな此処を出て行くの?」

「此処はな〜んにもないからよ」

「でも楽しいよ此処に来れば本が有るから色んな物が解って退屈しないから」

 此処には絵本から難しい本まで揃っている。だからママに一度連れて行ってもらった図書館のようだ。しかも普通のお部屋に所狭しと手の届く範囲に並んでるから探しやすかった。

 おばあちゃんは本は読まないらしい、でも亡くなったおじいちゃんは学校の先生だからか本は一杯あった。都会へ行ったままの息子さんも先生なのに、なぜかその子はゲーム漬けでほっといたら一日中それで遊んでいるらしい。だから此処には子供向けの本が一杯あった。最初は分からないところを飛ばしていたが、周りの人達が教えてくれた。お陰で学校へ行き出す前に、字を憶えて仕舞った。これで一番楽をしたのはママだった。だってもう寝る前に本を読まなくて良いからだ。いつも帰りしなには本を一冊借りて行った。此の半年でもう何冊持って帰ったか解らないけど、おばあちゃんの家にある書棚は余り変わりなかった。だからおばあちゃんは、本はちっとも減ってないと思い込んでいるらしい。だから話題は直ぐに変わる。 

「学校へ行き出すとね町の子らからテレビゲームとか憶えてくるの、何でも他に興味を引き立てられると此処は不便に感じるらしい、そのうちに美咲ちゃんもそうなるよ」

「あたしはならない。だって此処は何でも自分で作れるから楽しいよ」

 だって履き物だって自分で作れるんだよ、って美咲は得意そうに見せた。

「あら! もう覚えたの美咲ちゃんは偉い〜ねでもそれ大きいすぎない?」

「ウン、でもこれあたしのじゃないのママの為に作ったの」

「あんたのママそんなの履かないわよ」

「大丈夫今度あたしとあの大きな家のおじさんとケイコク釣りって言う所に行くのにサンダルが無いかしらって言ってたからこれプレゼントに丁度いいとおもう」

「ああ所長さんとね、渓谷釣りね、そう言えば滑る岩場にはわら草履は最適だわ。こんな愉しみが此処には一杯有るのに、どうしてみんな居なくなるの、って美咲ちゃんが以前に言ってたけど楽しみ方が違うのよ」

「ここへ来る前はゲームセンターへ一度ママに連れ行って貰ったけど何か目が回りそうで忙しなかったよ。此処は一人でも楽しめる物が一杯あるから楽しいよ」

「それはばあちゃんも思うわよ。人の作った物より断然自分で工夫して作った方が良いでしょうそしてもっと使い易い物をって考えれば結構面白いわよ」

 ウンと美咲は頷く。

「でもね盆暮れに帰省すると孫たちは家に籠もってテレビゲームばかりで昼間は良いけど夜までだからテレビ番組が見られないのよね。まあ仕方ないか、久しぶりに息子とお酒がゆっくり飲めるけれどね。しかし息子に聞くと孫は相当ゲームに入れ込んでるのが解った。家ではスマホでやってるが、此処では直接テレビに繋ぐもんだから堪ったもんじゃ無かった。その息子が歳だからやせ我慢しないでさあ此処を出て一緒に住もうって言うからね、でもばあちゃんが云う此処で骨埋めるって解る?」

「ウン分かる死んじゃうんでしょう」

「そう、で、あたしが亡くなると入るお父さんのお墓も一緒に移すって言うの」

「それでおばあちゃんもやっぱし此処出て行くの」

「出て行かないわよ」

 おばあちゃんは死ぬまで此処に居たいんだ。それを息子さんは帰省するのが面倒になったらしい。それとおじいちゃんの遺骨もコインロッカーの様な納骨堂に納めて、おばあちゃんもそこへ入れるつもりで大もめになったらしい。それをちょっと変わったあたしと謂う子供相手に色々と親子関係をブツブツと言い出した。

 美咲は稲藁を編みながらウンウンと返事しても、手だけは器用に動かして聞いていた。後で干し柿やあんこの入ったよもぎ餅をくれた。なんと言ってもおばあちゃんの麦茶はコンビニのペットボトルの物より遙かに美味しかった。

「美咲ちゃんは此処好き?」

「ウン好き、本が一杯あるから」

「良かったね前のおうちにはなかったの」

「ウン」

「じゃあもっと早く此処へ来れば良かったのにね」

「ウンウン、でもママは本当はずっと町に居たかったみたい。あのねぇ、ママねぇ、大変だったの、なので分かっていたから何も話せなかった」

「そうか、何で美咲ちゃんは此処に来たのかなあ」

「分かんないママが行くとこなら何処へでもいかなけゃあダメなの」

「どうして」

「だってあたしはママの子だもんママが居なけゃあたしも居られないの」

「じゃあママが死ぬって言ったらどうする」

「ついて行くでも絶対ママは言わない」

「どうして」

「いつもママと一緒に寝てるから分かるママはいつもギュッと抱きしめてくれるママはいつも温かいそしてママか読んでくれる本を聞きながら深い眠りにつくだからママは死なない」

 とどうしてもと言い張る。その訳はママはいつも元気で生き生きしているからと、それ以上は五歳の子に説明できない。そうと解るとおばあちゃんは、それ以上は問わず近くで採った山菜の灰汁あくの抜き方と食べ方を教えた。

 こんなこと学校では習わないよ、と此処でも生きるのに必要な食べられる物とそうでないものも教えられた。とにかく自然にある物を利用する方法も憶えた。これであなたは一人でも生きていけると太鼓判を押された。だから都会へ行かなくても良いでしょうとも言われた。

「おばあちゃん、じゃあどうしてみんな都会へ行くの」

「寂しいからよ」

 おばあちゃんはたった一言で片付けて仕舞った。おばあちゃんは、此処は生きてゆくのに必要な物は全部揃ってるって言ってたけど、最後の物だけは足らないんだ。そこで美咲は分からないまま頷いて仕舞った。だから此のお話はそれで終わった。

 今日もまた帰りしなに、本を借りた。借りてもおばあちゃんはあげるつもりで催促しないから、施設の談話室の本が増えてゆくけど、みんなのんびりして誰も気付かなかった。

  

  

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