第98話 日本語のメモ

「メモを見てもいいですか?」

「もちろんです」


 私は自分の練習メモを机の引き出しから引っ張り出した。


 小さく切った紙の左上に穴を開け、ひもを通してあるだけの簡単なメモ帳だ。


 魔導具の種類の略号と、丸バツ三角が書いてある。


 丸は素材を使って修理できた、三角は魔力を使って修理した、バツは修理じゃなくて魔力の充填じゅうてんをしてしまった。


 最初の方は三角とバツがとても多い。半々くらい。


 それがだんだん三角が増えてきて、ほぼ三角だけになって、最新の紙だと、ちらほらと丸が出て来る。


 これを見れば、大体の数はわかるはず。


 ……なんだけど、時々メモするの忘れて、書いてないこともあるんだよね。


 特に充填しちゃったときは、メモせずにそのまま修理をやっちゃったりして。


「拝見してもいいですか」

「えっ!? 駄目ですっ! 字が汚いので!」

「構いませんが」

「いや、私にしか読めないくらい汚いんです!」


 私にしか読めない、というのは本当のことだ。


 ただし、字が汚いからじゃない。


 自分しか見ないだろうと思って、急いでいるときは日本語を使ってしまっているのだ。


 ガンテさんは、にっこりと笑った。


「セツさん、今は時間がないんです。見せて下さい」

「はいっ!」


 私は思わずメモを差し出していた。


 なんだろうこの有無を言わさない感じ。


 ガンテさんがメモ帳をめくっているのを、私はドキドキしながら見守った。


「なるほど……」


 うんうん、とガンテさんがうなずきながらメモを見ている。


 全て見終わったあと、ガンテさんは私をじっと見た。


「セツさんは……随分遠くからきたようですね」


 ドッキーンと私の心臓が跳ねた。


 まさか異世界人ってバレた!?


「これ、セツさんの出身地の独自文字でしょう?」

「……」


 ガンテさんが日本語の所を指差して見せてくる。


 私は何というのが正解なのかわからなくて、何も言えなかった。


 どっくどっくと耳元で大きく心臓の音が聞こえている。


「僕は言語には詳しくないのでどこの文字かまではわかりませんが、この国の標準文字とはかけ離れている。魔導具に触れてこなかったことを考えると、外部との接触をほとんどっていたと推測されます。事情を聞きはしませんが、王都に出て来るのも、ここでの生活にも慣れなくて大変だったのではないですか」 


 ガンテさんは、他の人同様、私が辺境から来たのだと思ってくれたらしい。


 ほっとして限界まで張り詰めていた気が緩んだのと、ガンテさんの優しい声と眼差まなざしに、思わず私の目からポロリと涙がこぼれた。


「ああっ、大変失礼なことを申し上げました! セツさんを侮辱ぶじょくしたつもりはありません」


 狼狽うろたえるガンテさんの様子をおかしく思ったのか、離れたテーブルで作業していたミカエルさんが近づいてきた。


「何をしている! 貴様、セツを泣かせたのか!?」


 ガンテさんの胸倉をつかみ上げるミカエルさん。


「ちがっ、違うんです。泣かされたわけじゃ……。ちょっと今までのことを思い出しちゃって」


 私は指で涙をぬぎって笑顔を見せた。


 召喚されてから、こっちの世界の常識に戸惑って、いろいろ嫌なこともあって、それでもなんとかここまでやってきた。


 その奇跡のありがたさはみ締めていたつもりだけど、そのことをねぎらってもらったのは初めてで。


「そうか? こいつは時々辛辣しんらつだからな。ひどいことを言われたらすぐにわたしに言うのだぞ」


 ミカエルさんがガンテさんから手を離した。


「僕が厳しく言うのはミカエル様がいつも適当なせいでしょう」


 ぼそりと言ったガンテさんが、ミカエルさんににらまれた。


「話は聞こえていた。セツは独自文字を扱うのだな。だから文字の習得に難儀していいるのか。会話は流暢りゅうちょうに思うが」


 それは異世界転移の特典チートなんです、とは言えなくて、私は笑って誤魔化した。


「話し言葉のまま表記すればいいだけのだがな」

「慣れてる言葉が邪魔しちゃって……」


 嘘はついてない、よね?


「今までどうしてそれを言わなかったのだ」

「ミカエル様、それは不躾ぶしつけですよ」

「あんまり出身地のことを聞かれなくて……」

「そうか。詮索せんさくも口外もするつもりはない。わたしもガンテもこの文字のことは知らないから安心しろ。事情は理解したから、これからは故郷の文字も自由に使うといい。その方が楽だろう」

「ありがとうございます」


 日本語を使っていいというのは本当にありがたい。


「外には知っている人物もいるかもしれないので、隠しておきたいのなら、そこだけは気をつけて下さいね」

「わかりました」

「では――」


 ガンテさんがにこりと笑う。


「――作業を再開しましょうか」


 

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