第87話 あれの肉

 いつもよりも早くギルドを出て、デルトンさんに家まで送ってもらうと、ドアの取っ手にひもが巻き付けてあった。


 ルカだ!


 今日来るって意味なのかな。それとも明日?


 細かい合図の取り決めをしてなかったから、どっちなのかわからない。


 そう思っていたら、ルカの部屋のドアが開いた。


 藍色の頭が出てくる。


「早かったな」

「うん、ちょっと……」

「飯、作るけど食うか?」

「食べる!」

「じゃ、できたら持ってくわ」

「うん、待ってる」


 私がうなずくと、ルカは部屋の中に引っ込んだ。


 やったー!


 心の中で喝采かっさいを上げた。


 昼間ずっと寝ていただけでほとんど何もしていないのに、急にお腹がすいてきたような気がした。




「おぉー!」


 ルカがトレイに載せて運んできたのは、ハンバーグだった。


 つまりは挽肉ひきにくをこねて整形して焼いたもの。上にはケチャップみたいな赤いソースがかかっていた。


「いただきます!」


 ぱんっと手を合わせると、やっぱりルカからは不思議そうな視線が向けられた。聞かれれば理由を答えるつもりだけど、聞いてこないから私も何も言わない。


 ナイフとフォークを手に取って、期待を込めて刃を入れる。


 思った通り、じゅわっと肉汁があふれてきた。


 さらに刃を入れると、トロッとしたものが出てきた。見た目はチーズだ。チーズ・イン・ハンバーグ。ただしその色がオレンジ。


 切り分けた部分にフォークを刺して持ち上げると、びよーんと伸びた。チーズにしか見えない。でもオレンジ。


 ちらりとルカを見ると、普通に食べていた。


 大丈夫。ルカのご飯だもん。


 思い切って口に入れた。


 お肉とチーズの味がした。少し甘みがある。ポーションみたいな甘ったるい甘さじゃなくて、煮詰めた牛乳みたいに優しい甘さ。


「美味しい」


 私が食べたのを見て、ルカが口を開く。


「これはコカトリスとシマリスの合いき肉。中に入ってるのはキザクラの粘液にアカウリの汁を混ぜて発酵させた物」

「っ!」


 シマリスの名前が出て、私は顔を引きつらせた。


 かじられた時の痛みが蘇る。


 そして、手でわしづかみにした時の柔らかい感触と、地面に叩きつけた後の血だまり。


 ぐっと喉にせり上がってくる物があった。


 思わず手で口を押さえる。


「どうした?」


 大丈夫、という意味を込めて、反対の手でルカを押しとどめるようなジェスチャーをする。


「不味かったか?」


 ううん、と首を振る。


 美味しい。美味しい、けど……。


 ルカが立ち上がり、心配して側まできてくれた。


 吐くわけにはいかない、と我慢しても吐き気は止まらなくて、うっ、うっ、と体を震わせてしまう。


「まさか――」


 はっとしたルカは、私の大きなままのハンバーグをフォークで刺して口まで運び、かじり取った。


「いや、変な物は入ってないな。古くもなっていない。体に合わない物だったのか。吐いた方がいい」


 ルカがタライを持ってきてくれたけど、私は手で断った。


 体に合わない物っていうのは、つまりアレルギーだってことだろう。


 あっちの世界では特にアレルギーはなかった。だけど、こっちの世界の食べ物が平気なのかはわからない。


 でも、少なくともこれはアレルギーじゃない。肉体的な拒絶反応じゃなくて、精神的な反応だ。


 涙目になりながらも、私はなんとか堪えた。せっかく作ってくれたものを吐き出すわけにはいかない。


「無理するな」

「だい、じょうぶ……」


 落ち着かせるように、鎖骨の辺りを上下にさする。ルカも背中をさすってくれた。


「これはやめといた方がいいな。何か別の物を作ってきてやるよ」


 ルカが私のハンバーグが乗った木のお皿を持ち上げた。


「大丈夫。食べるよ」

「無理するな」

「食べられる。お願い。ルカが作ってくれたんだから食べる」

「駄目」


 私の話は聞いてもらえず、ルカは部屋を出て行ってしまった。


 戻って来た時にお皿の上に乗っていたのは、ほかほか湯気を上げるソテーだった。


「コカトリス焼いただけのやつ。これなら食えるだろ」

「ごめんね」

「いい。あれは後で俺が食うから」

「ごめんなさい……」

「いいから。食えない物があるのは仕方ない。好き嫌いじゃないだろあれは」


 そう言われて、私は余計に申し訳なくなった。食べられないわけじゃない。食べたくないだけだ。好き嫌いでしかない。


「違うの。私――」

「謝るなら、冷める前に食え。話は食べながら聞くから」

「うん……」


 私はナイフとフォークでコカトリスのソテーを切り分けた。


 口に入れるのを、ルカがじっと見ている。


 私がもぐもぐと食べて飲み込んだのを確認して、ほっと息をついた。


「何が悪かったんだろうな。キザクラは前使ったことあるから、アカウリか? それとも、発酵してあるのが駄目なのか?」


 自分はハンバーグを口にして、ルカが呟いた。


「違うの。私、シマリスが食べられないの」

「シマリスが? 珍しいな。肉全般駄目なやつは聞いたことあるけど、他はいけるんだろ?」

「体質的に無理なわけじゃなくて、苦手なの。ごめんなさい」


 私が正直に言っても、ルカは怒ったりしなかった。


「ああ、あのクセが駄目なのか。香り付けに使ったけど、次からはやめておく」

「味じゃなくて」

「じゃあなんだよ。まさか、見た目が可愛いから可哀想だなんて言うんじゃないだろうな?」


 ルカの口調が少しきつくなった。


 可哀想だなんて思ってない。最初は可愛いと思ったけど、そんな甘いこと、外じゃ言ってられないことを文字通り痛感したから。


「あのね――」


 私はルカにシマリスに襲われた時の事を話した。


 ルカはろくな装備も持たずに一人で外に出たことに目を丸くして、最後には深くため息をついた。


「もう二度とやるなよ?」

「絶対やらない。外に出ない」

「それは極端だが……まあ、今はそのくらいの方がいいのか。他にはないだろうな?」

「えっと……」


 今日ギルドで魔力枯渇になったことを話したら、こっちはすっごく怒られた。

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