第41話 初めての味

 彼はぎろりと私をにらみつけた。


 ひっ。


 威圧感がすごい。


 謝ろうと思うのに、体が震えて口が動かない。


 彼は両手をテーブルに乗せると、勢いよく立ち上がった。


 私はビクッと体を震わせた。


 すごく怒ってる……よね……?


「ご……めんなさい。やっぱり美味しくな――」


 彼はまた私のことをにらんだ。


 そして人差し指を私に突きつけると、ゆっくりと言った。


「ここで、待ってろ」

「はい……」


 彼は足音高く部屋を出て行った。


 ドアが閉まったのを見て、私はその場にへたり込んだ。


「こわっ……怖かった……」


 殺されるかと思った。


 じわっと目がうるむ。


 そんなに不味まずかった?


 こっちの世界の人でも食べられないくらい?


 私はそろそろと立ち上がって、皿の上に残った七切れの鳥肉を見た。


 そういえば、味見してない。


 なんということだ。他人ひと様に出すのに味見もしていないなんて。


 私は彼が置いていったナイフを手に取って、一切れ口に運んだ。


 舌の上に乗せた途端、香辛料の香りが鼻に抜けて――。


「ぐっ」


 突然こみ上げてきた吐き気に、私はえずいた。


 何これひどい。


 トリのあぶらと香辛料の香りが絶妙な不協和音をかなでている。


 私はたまらずそれを吐き出した。

 

 水がめの中の水を直接コップですくって、そのまま口をつける。


 浄化の魔導具を使う余裕なんてなかった。


 口の中を何度もゆすいだけど、それでもあぶらが残っているような感覚が消えない。


 胃がきゅっと縮んで、吐き気が止まらない。吐くほどでもなくて、吐いても良くなるわけじゃないこともわかっていて、吐くより苦しいんじゃないかって思った。


 さっきとは別の意味で涙がにじんでくる。


 これは食べ物じゃない。


 口にしちゃいけないやつだ。


 しばらく流しでえずいた後ようやく落ち着いて、私は水をくんだコップに浄化の魔導具を入れて口をゆすぎ直した。


 明日お腹を壊すかもしれない。


 けど、これ食べた方が絶対ひどい壊し方するでしょ。


 あの人、よく飲み込んだな……。


 他人ひとが作ったものだからということなのか、食べ物を無駄にはできないという気持ちからなのか、ものすごい精神力だと思う。常人じゃない。


 こんなの出されたら、私なら、殺しにきてるのかなって思うよ。毒だよこれは。


 そこまで考えたあと、私ははっと玄関の扉を見た。


 待ってろって言ってたよね?


 てことは、戻ってくるんだよね?


 何しに?


 ……そんなの決まってるじゃん! 仕返しだよ!


 殺されるかも……!


 私は本気で身の危険を感じた。


 あっちの世界なら、すごい剣幕で怒られるくらいだろうけど、こっちの世界では殺人があっちほど少ないわけじゃない。よく知らないけど。


 あの人、「むしゃくしゃしてやった。後悔はしていない」とか平気で言いそう!


 かぎっ!


 私はダッシュで玄関へと向かう。


 だが、手が届くよりも先に、扉が外側に開いた。


 藍色あいいろの頭が隙間からぬっと入ってくる。


「ひっ」


 逃げなきゃ、と思うのに、私の足は一歩下がったまま、床に凍り付いてしまった。


「きゃっ」


 顔の前にしゅっと何かが近づいてきて、思わず目を閉じた。


え」


 え?


 恐る恐る目を開けると、そこには木のお皿に乗ったお肉があった。皮がついているから鳥肉だろう。こんがりと焼き上がっている。


 ふわりと美味しそうな匂いが漂ってきた。


「ほら、食えよ」


 ずいっとさらに近づけられる。


「いや」


 私は首を振りながら後ずさった。


 仕返しなら、さっきよりも不味いに決まっている。あれよりひどい物を口にしたら、衝撃で良くて気絶、悪くて昇天しちゃうかも。


「食えって」


 ぐいぐいとお皿を突き出されて、私はじりじりと後ろに下がっていく。


 しかし、やがて太ももがテーブルにぶつかって、ついに追い詰められてしまった。


 それ以上進めなくなった私は、精一杯体をらせて逃げようとしたけど、顔に大きな手が伸びてきて、あごをつかまれた。


 恋愛漫画でヒロインがされる優しいやつじゃない。ほっぺが潰れるくらい、ガシッと力強くだ。


 彼はもう片方の手の皿をテーブルの上に置くと、そのまま肉を手でつかむ。


 ちょっ。


「まっ、待って! ――むぐっ」


 抵抗むなしく、私の口の中には肉が押し込まれた。


 あ、死んだ。


 吐き出そうにも、彼の手が私の口を押さえていて叶わない。


 息さえ止めていればと思ったけど、そんなわけにもいかなくて。


 私は耐えきれなくなって、鼻から思いっきり息を吸ってしまった。


 入ってきたのは強烈な……強烈な……強烈な……?


 あれ?


 もぐっ。 

 

 もぐもぐもぐ。


 もぐもぐもぐもぐ……。


 ごくん。


「美味しいっ!?」


 いつの間にか彼の手は離れていて、私は飲み込んだのと同時に驚きの声を上げた。


 チキンだ。これは間違いなく鶏肉チキンだ。チキンソテーだ。


「ったく……。これがめしだ。なんだあれは。コカトリスに謝れ」


 彼はハンカチで手をきながら言った。


「これコカトリスなの? 同じお肉? 同じお店の? 超高級肉とかじゃなくて?」

「店は知らんが普通のコカトリスだぞ。養殖の」


 信じられない。


「それ食ってろ。これ作り直してくるから」


 彼は、私が作ったとんでもなく不味いコカトリス肉ソテーのお皿を持って、部屋を出て行った。

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