第42話 隣の彼の名前

 私は、彼いわくコカトリスだというお肉を眺めた。


 見た目は私の作った物に似ている。


 けど、鶏肉チキン以外の鳥の肉を見たこともない私に、コカトリスなのかそうでないのかなんてわかるわけがない。


 匂いは、山椒さんしょうのような香りはしない。これ……もしかして、胡椒こしょう


 じっと見て匂いをいでいると、さっき食べた味を思い出して、ごくりとのどが鳴った。


 こっちにきて、初めて美味しいと思えた。


 死ぬほど不味まずいと想像していたからハードルが低かったせいもあるだろうけど、口の中に残る味は、確かに美味しかったと主張している。


 食べてていいって言った、よね?


 玄関の方をちらりと見る。


 言った。確かに言った。「ってろ」って。


 綺麗に並べられていたお肉は、皿の上で散らばっていて、一切れテーブルに転げ落ちていた。


 もったいない。


 三秒ルールにはもう遅いけど、テーブルの上だもん。セーフセーフ。


 私はそれを指先でつまんだ。


 もう一度視線を玄関に向けてから、おっかなびっくり口元に運んでいく。


 先っちょだけちょこっとうじろうかとも思ったけど、思い切って――。


 あーん。


 ばくり。


 早まったかな……?


 口には入れたものの、味を感じるのが怖くてしばらく動けなくなる。


 ぱちぱちとまばたきをして目を彷徨さまよわせてから、思い切って口を動かした。


 もぐ。


 外側はパリッとしていて、中は柔らかい。


 噛みしめると、じゅわっと肉汁があふれてくる。


 しょっぱくて、甘い。少しピリッとした感じ。


 鼻から抜けていく香りがもう最高だった。


 美味しい……!


 さっきはびっくりしてすぐ飲み込んじゃったから、今度はその一口を心ゆくまで味わった。


 もっと食べたい。


 ペロッと指をなめて、テーブルの上に転がったナイフを手に取る。


 重なってしまっている一切れにナイフを刺して、口に放り込む。


「ん~~!」


 やっぱり美味しい!


 椅子に座りもせずにもぐもぐと食べていると、玄関の扉が開く音がした。


 口を動かしたまま、入ってきた彼を見る。


 彼は片手にお皿、片手に椅子を持っていた。お皿の上には私の作ったものだったらしきお肉と、フォークが二本。


 そして、軽々と持ち上げていた椅子を、すでに置いてある椅子の正面の位置に置き、座った。


 フォークの一本は私が食べていたお皿へ。


 私が黙って見ている前で、彼は持ってきたお肉をフォークで口に運んだ。


 一瞬顔をしかめたけれど、その後は顔色を変えずに食べている。


 二口目を飲み込んだあとで、彼が私の方を見て、あごをしゃくった。椅子に座れというのだろう。


 私はうながされるままに椅子に座った。


「それ、私が作ったやつ……?」


 作り直すとは言っていたけど、リメイクしてなんとかなるレベルの味じゃなかったはずだ。きっとあれは捨てて、新しく作ってきたに違いない。


 でも一方で、六枚あった不揃ふぞろいのお肉たちには見覚えがあった。彼が作った方はきちんと同じ大きさに切られている。


「そうだ。味付けを変えてきた。マシにはなった」

「もらってもいい?」

「ん」


 彼がお皿をぐいっと押してきたので、私は持ってきてもらったフォークで一切れもらった。


 さっき死ぬほど不味かったのを思い出して、口に入れるのを躊躇ちゅうちょする。


 だけど、彼が普通に食べていて、あの味がどんな変貌へんぼうげたのかが気になりすぎる。


 ええい。ままよ!


 昔の小説みたいな言葉を心の中で叫んで、私はお肉を食べた。


「ん!?」


 香辛料の山椒さんしょうっぽい匂いは相変わらず前面に出てきた。


 焼きすぎだ。元々焼き過ぎな上に、また焼き直したのだろうから当然だろう。


 だけど……そんなに不味くない。少なくとも、その辺で朝ご飯よりは美味しいと思える。


「すごい……!」


 一体何をどうしたらこうなるんだろう。


 私は本気で感動していたのに、彼は肩をすくめただけだった。


「そっち、食わないのか。せっかく作ってやったのに」

「食べます!」


 彼が私のお皿に手を伸ばしてきたので、私はお皿をひょいっと持ち上げた。


 こんなに美味しいご飯をみすみす逃すわけにはいかない。大事に大事に食べなくちゃ。


 いったんフォークを置いて、手を合わせる。


「いただきます」


 私は何度もため息をつきながら、コカトリス肉ソテーを堪能たんのうした。


 先に食べ終えた彼は、食べきってしまうのが惜しくてゆっくり食べている私を、しらーっとした目で見ていた。


 たかがこんなので何をそんなに感動しているんだ、って感じ。


「すっごい美味しい!」

「そりゃどうも」


 ない。


 いや、これほんと美味しすぎるからね? 王宮のコックさんのご飯よりずぅっとずぅっと美味しいからね?


 王宮にいたなんて言えないけど。


 ついに私は食べきってしまった。最後の一口まで美味しかった。


「はぁ……ごちそうさまでした」


 こっちにきて初めてお腹がいっぱいになった感じがする。感動で胸もいっぱいだ。


「じゃ、戻るわ」


 彼は私の声を聞くなり立ち上がり、お皿と二本のフォーク、そして椅子を持った。


「何かお礼をさせて」

「そういうのいいから」

「でも、ご飯作ってもらっちゃったし、すごく美味しかったし」

「俺は食材を無駄にされたのがムカついただけだ」


 そもそも、私がごちそうするって話だったのに、激マズの料理を食べさせて、別のを作ってもらって、挙げ句作り直させるっていう……。しかも彼が不味い方を食べた。


 え、待って、私サイアクじゃない?


「せめて洗い物くらいさせて。後で持ってく」

「もう寝る」

「じゃあ明日持ってく」

「いいって」

「前助けてもらったお礼もしてないし……」

「しつこい」

「わかった……」


 そこまで言われたら引き下がるしかない。


「じゃ」

「ほんとに美味しかった。ありがとう。何かできることがあったら言ってね。何でもするから」


 すたすたと玄関に歩いて行く彼の背中に向かって言った。


 彼は一度ぴたりと足を止めてため息をついたあと、そのまま玄関を出て行こうとした。


「あ、そうだ、名前! 名前教えて! 私はセツ」

「……ルカ」


 玄関の扉の向こうの暗闇に消える前、ルカはそう教えてくれた。

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