第19話 本当の仕事

 おじさんがご飯を食べ終えて、おかみさんにお金を払ったあと、見送ろうと思って近づくと、おかみさんに鍵を差し出された。


「二階の一番手前だ」


 こそりと耳打ちをされる。受け取った鍵には二〇一と書いてあった。


 おじさんの部屋なのだろう。


 宿泊客だったんだ。いつもは食べたら出て行くから、街の人なんだと思ってた。他の宿に泊まってたのが、今日からここに泊まるってことなのかな。


 にしては、荷物を持ってない。もう部屋に置いてあるのだとしたら、なんで鍵がここに?


 よくわからないまま、案内をしろと言われたのだと理解して、私はおじさんを先導した。


 奥の階段を上がっていく。そういえば二階に行くのは初めてだ。昼間の掃除は誰がやってるんだろう。夜のウエイトレスじゃなくて、そっちの仕事の方がいいな。


「こちらです」


 やけに重たい扉を開けて、おじさんを中に入れる。


 中はベッド、背の低い棚、丸テーブルと椅子が置いてあった。


 私の泊まっている宿と家具は同じだけど、それよりは高級な宿なのだということはわかった。ベッドカバーがかけられている所からして全然違う。


「ごゆっくりどうぞ」


 鍵をベッド脇の棚の上に置き、一礼をする。


 すると突然、おじさんが距離を詰め、抱きついてきた。


「きゃっ」


 驚きで固まって動けないでいると、おじさんが背中に回した手をさまよわせる。


「ちょっ、何するんですかっ!」

「初めて見たときから可愛かわいいと思ってたんだ。最初の客になれてよかったよ」


 私はおじさんの腕の中から逃れようとしたけど、がっちりと拘束こうそくされていて身動きがとれない。


「怖がってるのか? 大丈夫。優しくするさ」

「やめて下さいっ!」


 おじさんは私をベッドの上に押し倒した。


 耳におじさんの荒い鼻息がかけられる。


 お酒の匂いがした。


「やだっ」


 必死で抵抗したけど、おじさんの力は強かった。


 腕を頭の上でまとめられ、ひざを足で割られる。


「セツちゃん、可愛いねえ」

「ひっ」


 べろりと耳をなめられた。


 そして胸に手がかかる。


「やだっ」

「ここまできて抵抗するなよ。わかってて来たんだろ。大丈夫。おじさんは慣れてるから」


 その言葉にはっとした。


 リーシェさんが渋った理由。担当のウエイトレスさんがいて、夜遅くなるにつれてだんだんいなくなる意味。初めての客という言葉。


 ここは普通の宿じゃない。売春宿だ。


 おかされる……!


「私はそういうんじゃないっ! 知らなかったの! やめてっ! やだっ!」

「そりゃよっぽどの箱入りだったんだな。夜に給仕をするってことはそういうことだろ。もう金は払ったんだ。大人しくしろ」

「いやっ! やだっ!」


 私はめちゃくちゃに暴れた。


 だけど、おじさんの力は強くて、のし掛かられた体の下から抜け出すことができない。


「誰か来てっ! やだっ!」

「うるせえ! 黙れっ!」


 バシッと音がしてほっぺたが熱くなり、耳がキーンと鳴った。


 殴られたのだ。


 その衝撃にびっくりして、また体が固まった。


 怖い。


「じっとしてれば怖いことはしねえからよ。俺は優しいって言ってるだろ」


 また殴られると思ったら、動けなかった。


 涙が浮かんでくる。


 おじさんの手がスカートの中に入ってきた。


 足を閉じたくても、おじさんの膝が邪魔で閉じられない。


 怖い。怖い。


 するりと太ももをなでていくガサガサの手が気持ち悪い。


 いやだ。いやだ。いやだ。


 私は歯をぎゅっと食いしばった。


 涙が横に流れていく。


 おじさんの手が足の付け根に触れそうになったとき、不快感が殴られる恐怖を上回った。


「いやぁっ!」


 もういちどがむしゃらに暴れると、私が大人しくなって油断していたおじさんの股間こかんに、跳ね上げた私の足がクリーンヒットした。


「がっ」


 おじさんは股間を押さえ、私の胸の上に頭を落とした。


 腕の拘束が解けた私は、おじさんを横に押しのけい出した。


 転がり落ちるようにベッドから下り、扉に飛びつく。


 一瞬振り向くと、立ち上がったおじさんが鬼の形相ぎょうそうをして、私に手を伸ばしてきた。


「この野郎っ!」


 ほとんど体当たりで扉を開け、廊下に飛び出す。


 階段を駆け下りて一階へ。


「たすけ――」


 カウンターの中のおかみさんに助けを求めようとした時、後ろから叫び声をした。


「逃げた! 捕まえろ!」


 おかみさんの顔色がさっと変わった。


 駄目だ。


 おかみさんは味方じゃないんだった。


 店にいた男たちが立ち上がり、私を捕まえようと腕を伸ばしてきた。


 捕まったら無理矢理犯される。


 いやだ。怖い。


 私は男たちの手をかいくぐり、外へと転がり出た。


 何も見えない。


 地面を見失い、つんのめる。


 一度地面に手をついて体を起こし、足を前に進めた。どっちに進んでるのかもわからなかったけど、両手を前に出して早歩きをする。


「逃げた!」

「捕まえろ!」

「あのアマ許さねえ!」


 後ろから怒鳴り声が聞こえてくる。


 怖い怖い怖い。


 と、その時、突然ぐいっと体が横に引っ張られた。


「っ!」


 壁に体を押しつけられる。


 叫び声を上げようとしたけど、口をふさがれて声が出ない。


 怖い! 嫌だっ!


「んー! んーっ!」

「落ち着け! 俺だ! 暴れるな!」

「んーっ!」

「俺だって!」


 押し殺した声には聞き覚えがあった。


 姿は何も見えなかったけど、確かに隣の部屋の男子のものだった。


 私は暴れるのをやめた。


「手を離すぞ。叫ぶなよ?」


 こくこくとうなずく。


 彼は私の口から手を離した。


「お前、またランプなしで何やってんだ」

「えと、私……っ」


 必死になっていて引っ込んでいた涙がぽろぽろこぼれてきた。


「うっ、えぐっ」

「おいっ、なんで泣くんだよ……。まいったな」


 私は泣きながら、今あったことを彼に話した。


「知らずに売春宿で働いてたって、アホじゃねぇの」

「私っ、戻らなきゃ……っ」


 冷静になってみると、悪いのは私だ。逃げたと言われてもおかしくない。


「戻る必要なんてねぇだろ。嫌ならバックレちまえよ」

「そんな、無責任なこと、できないよ。それに、服も鞄も……」


 はぁ、と彼はため息をついた。


「何で俺がこんなこと……」


 ぶつぶつと何か言っている。


「話つけてきてやるから、ここで待ってろ」

「え?」

「いいか、大人しく待ってるんだぞ?」


 私が何か言う前に、彼の気配が遠ざかっていった。


 少し離れたところで、明かりがついたのが見えた。


 しばらく暗闇の中でじっとしていると、何をどうやったのか、彼は私の服と鞄を持って戻ってきた。


 お礼を言ったけど、気にするなとしか言われなかった。まだ一週間前のお礼もできていないのに、また借りを作ってしまった。


 彼は私を黒牛の角亭まで送ると、どこかへ行ってしまった。


 こんな夜中に、何をやってるんだろう。


 ……私も人のことは言えないか。

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