第18話 最初の客

 ドンドン!


「んぁ?」


 ぐっすりと寝ていた私は、扉を叩く音で目が冷めた。


 一瞬どこにいるのかわからなくなる。


 ああ、そっか。昨日、王宮を出て宿屋に来たんだ。


 起き上がる元気がなくて、ベッドから転がり落ちるようにして床に下りた。


「いてて……」


 体が固まってしまったように痛い。ベッドが硬かったからだ。


 ドンドン!


 扉がまた強く叩かれる。


「はーい。今、開けます」


 あ、服着てない!


 下着姿だったのを思い出し、椅子にかけていたワンピースを頭から被って、ようやく私は扉を開けた。


 扉の前には、ひげをはやしたおじさんが立っていた。


 パン二つとスープの載ったトレーを持っている。


「次来なかったら片付けちまうぞ」


 ん、とトレーを突き出され、私は思わず受け取ってしまった。


「えと、あの、これっ」

「朝食だ」


 おじさんはそれだけ言って階段の方へと戻って行った。


 朝食。なるほど。


 ということは、宿屋の人なわけだ。私が朝食をすっぽかしそうになり、わざわざ届けてくれたと。


「ありがとうございます!」


 階段を下りようとしていたおじさんに声をかけると、おじさんは背中を向けたまま片手を上げた。


 部屋に戻り、トレーをテーブルに置いて、さっそく頂くことにする。


 起き抜けで顔も洗ってないけど、それよりもまずご飯だ。急いで食べなくちゃいけない。


 なぜなら……冷めると不味くなるから。


 期待はしていなかったけど、王宮で出た物よりも黒い色のパンはカチカチだった。


 スープは野菜のかけらがほんの少し入っているだけだ。茶色い色はついているから、味はありそう。


 パンは私の握力だとちぎるのは不可能なので、そのままスープにつっこんで水分を吸わせる。


 ふにゃふにゃになった所でガブリ。


 う……。


 とても酸っぱい、独特の味だ。知ってた。昨夜仕事先で出てきたから。


 そしてこのスープ。


 味はあるけど、なんとも言えない。何だろうこの、のどに引っかかるような感じ。後味がずっと舌に残る。


 これで銀貨二枚。


 慣れるしかないのかな……。


 昨日用意もせずに寝てしまったので、水はない。


 私はのどに詰まらせそうになりながら、パンを口の中に押し込んでいった。


 


 * * * * *



 動かなくちゃいけないのはわかっていたけど、食べたら眠くなってしまって、結局私が活動を開始したのは昼過ぎだった。


 夕方には仕事に行かなきゃいけないし、それまでにランプと上着を買いに行かなくちゃいけない。


 それまでに、体を拭いて、洗濯をしないと。


 宿屋のおじさんが一階のカウンターにいたので聞いてみると、水は裏手の井戸を好きに使っていいらしい。


 ただし、おけを借りるのは有料とのことだった。


 渋々銅貨五枚を払った。桶も買おう。


 洗濯は無事終えたものの、今度は干す場所がない。


 部屋の壁を見ると、ロープを張るためのフックがついていた。


 ロープと洗濯ばさみも買うことにする。


 あとトイレの紙も!


 紙は一応あったけど、紙って言うか、木を薄く削ったような物だった。使い続けるのは難しい。


 汚さについては言及したくない。


 

 * * * * *


 

 朝起きて朝ご飯を食べ、体を拭いて洗濯をし、必要なら買い物に行って、仮眠を取ってから仕事に行く。途中で夕食を食べて、仕事が終わったら、暗闇の中ランプをともして宿屋に戻り、すぐに寝る。


 そんな生活が一週間続いた。


 宿屋をやっているのは夫婦で、名前がダンさんとカミラさんだと知った。


 あれから二、三回会ったお隣さんは、やっぱりすごく態度が悪い。


 そして、私の試用期間も終わった。


 お給料が正規の銀貨三十五枚になり、制服を手に入れた。


 自腹だと聞いていたけど、前にいた人の分があると言われたので、それをもらったのだ。


「似合うじゃないか」


 そでを通すと、おかみさんが褒めてくれた。


「でも少し胸が大きくて……」

「気になるなら詰めたらいい」

「詰め……?」


 制服の胸の横の部分をつままれた。


 ああ、そういうことか。胸にパットを詰めろと言われたのかと思った。サイズを詰めればいいと言ったのか。


「そうします」


 そう返事はしたけど、私にできるんだろうか。適当にえばいいのかな。針と糸を買わないと。


「じゃあ、今日からしっかり頼むよ」

「はい!」


 制服を着ると、レストランの一員になれたような気がした。


 これまで他のウエイトレスさんとは全然話ができていなかったのに、頑張がんばって、と声をかけてもらえた。


 ドキドキしながらお客さんが来るのを待つ。初日ほどではないけど、緊張していた。


 でも、お客さんの反応は特になくて、他のウエイトレスさんが呼ばれていく。

 

 そんな時、お客さんに呼ばれたウエイトレスさんが、私の所にきて言った。


「ご指名だって」

「え?」


 おかみさんの顔を見ると、小さくうなずかれた。


 やった! 初めてお客さんがついた!


 喜んで、告げられたテーブルへと向かう。


「あ……」


 私を指名したのは、初日に私のお尻を触った、あのおじさんだった。


 複雑な気持ちだったけど、それでも、働きぶりが認められたようで嬉しかった。


「お嬢ちゃん、名前は?」

「セツです」

「セツちゃんか。俺がセツちゃんの最初の客だぞ」

「ありがとうございます!」


 おじさんは、がはは、と笑った。

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