第16話 初めての仕事

 仕事の内容は簡単だった。


 注文を聞いて、厨房ちゅうぼうに伝えて、できた料理をテーブルに運ぶ。


 メニューを覚えなきゃと思ったけど、三種類しかなかった。お酒もビールだけ。


 会計はしなくていいと言われた。というか、入ったばかりの新人にお金なんか扱わせられないんだろう。


 それだけの説明を聞いて、ギルドで条件を聞いたか確認されて、最後に名前を聞かれた。


「あんた、名前は?」

「こ……セツです」

「セツ、初めてかい?」

「はい」

「あんたも大変だね」

「?」


 おかみさん――おかみさんって言うほどおばさんじゃなかったけど、そう呼べと言われた――は、ため息をつくようにして言った。


 そのうちに、他のウエイトレスさんも出勤してきた。みんな美人でびっくりしてしまった。


 店はテーブルが十台しかなくて、それにしては店員の数が多いなと思ったけど、こっちの世界ではそういうものなのかもしれない。だからその分お給料が安いのかな?


 ウエイトレスさんたちは、そろいの制服を着る。私も一週間の試用期間が過ぎたら制服を作ってもらうそうだ。自腹だと聞いてショックを受けたけど、雇ってもらうんだから、と諦めた。


 新人の私には何の指示もなくて、一人だけ何もすることがないまま、開店の時間になった。


 といっても、お客さんはすぐにはこなかった。


 この店は日が落ちた頃から夜中すぎまでやっている。だから二次会に使われるんだろう。


 そうこうしているうちに、最初のお客さんが来た。


 常連さんらしく、店員の一人の名前を呼びつける。


 注文を取りに行かなくちゃ、と身構えていた私は拍子抜けした。


 その後も、お客さんが来ては、他のウエイトレスさんが接客していた。私の入る隙がない。


 せめて厨房ちゅうぼうから出てくる料理を運ぼうと思うのだけど、おかみさんはカウンターの中にいる私じゃなくて、カウンターの外にいる別のウエイトレスさんに渡してしまう。


 カウンターの前で待ち構えていると、邪魔だから中にいろと言われた。


 そのうち、お客さんが一人、二人と、店の奥にある階段を上がって行った。


 宿屋のお客さんだったんだ。そうだよね。飲むなら泊まっている宿屋の方がいい。酔ってそのまま寝れるんだから。


 早上がりの人がいるのか、いつの間にかウエイトレスさんの数が減ってきた。


 そして、ようやく私の出番が来た。


 お客さんが、ウエイトレスさんの名前じゃなくて、ただ声を上げただけだったからだ。


「ご、ご注文は、なんでしょうかっ!」


 お客さんのいるテーブルに行った私は、緊張でのどがカラカラになっていて、つっかえてしまった。


 だけど、すでに他の店で飲んできているそのお客さんは、全然気にする様子がない。


「お、新人ちゃんかい? 元気があっていいねぇ」

「ありがとう、ございます。それで、ご注文は――」


 お客さんは、肉の焼き料理とビールを頼んだ。


 注文票がなくても、間違えようがない。


 私は厨房にいるコックさんに注文を伝えた。


 ビールはカウンターでおかみさんがついだ。それを受け取ってテーブルに戻る。


「どうぞ!」

「どうもな」


 この人の料理も持ってくぞ!


 カウンターに戻った私は、あのお客さんは自分のお客さんだと決めて、料理が上がるのを今か今かと待った。


「あいよ」


 おかみさんがコックさんの作った料理を厨房から持ってくる。


 それをすかさず受け取って、私はお客さんのところに向かった。


「こちら、ご注文のお料理になります」


 あ、ついバイト敬語を使っちゃった。変な日本語だって国語で習ったのに。

 

「お、さっきの嬢ちゃんじゃないか」


 でもやっぱりお客さんは気にしていなかった。


「ごゆっくり」


 私は愛想よく笑顔を見せて、カウンターに戻ろうとした。


 その時――。


「きゃっ」


 ――何かがお尻に当たった。


 びっくりして悲鳴が上がる。


 振り向くと、酔って顔を赤くしたお客さんがニヤニヤと嫌な笑いを浮かべていた。


 その手が私の後ろに回る。


 そして、むにっとお尻をんだ。


「やだっ!」


 私は思わずお客さん――嫌らしいおじさんの手を払いのけた。


「いいだろう、触るくらい」


 いいわけない!


 後ずさりすると、おじさんは椅子から腰を浮かせて腕を伸ばしてきた。


 気持ち悪い……!


 背中にぶるりと悪寒おかんが走った。


 と、おじさんと私に割って入った姿があった。


 おかみさんだ。


「この子は新人なんだ。お触り禁止だよ。守れないなら出禁だ」

「あー、悪かった悪かった。もうしない」


 おじさんはあっさりと両手を上げて降参した。


「嬢ちゃんも、悪かったな」

「いえ……」


 おかみさんの後ろから首だけ出して、私は目を伏せた。


 本当なら痴漢ちかん行為で警察沙汰ざただ。


 だけど、こっちで警察――憲兵が動いてくれるのかわからなかったし、大事な初日に揉め事を起こしたくなくて、私は引き下がった。


 おかみさんが守ってくれたし、大丈夫だろう。


 その後も何人か接客をしたけど、それ以上お客さんに嫌な思いをさせられることはなく、夜中を過ぎてめちゃくちゃ眠かったことと、最後にまかないとして出された残り物が死ぬほど不味まずかったことを除けば、平穏に終わった。


 全然動けなかったことをおかみさんに謝ったけど、今日の調子でいいと言われた。新人だから大目に見てくれるようだった。


 日当の銀貨二十五枚をもらった時は、嬉しくて踊り出しそうになった。


 私が初めて自分で稼いだお金だ。嬉しくないわけがない。


 宿代を考えたら赤字だったけど、試用期間の一週間が終われば黒字になる。


 この世界でも、私はなんとかやっていけそうだ。

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