【Web版】魔導具の修理屋はじめました

藤浪保

第1話 トラック転移

「これから帰るよ、っと」


 部活の帰り道、交差点で信号を待つ間、私はメッセージアプリでお母さんに帰宅することを連絡した。


 すぐに「OK」とスタンプが返ってくる。


 あたりはもう暗い。来月の合唱コンクールの練習で、このところ帰るのが遅くなっている。


 でも、高校から駅までのこの通学路には、まだ生徒たちの姿がぱらぱらと見えた。三年生の姿を見かけて、きっと自習室で勉強していたのだろう、と思った。


 来年は私もそうなるんだろうな……。


 まだ信号が変わるまでには時間がかかりそうだったので、私は動画アプリを立ち上げる。


 今見るわけじゃない。容量がもったいないから。家で見る動画をチェックするだけ。


 あ、新作上がってる。


 好きな歌い手の新しい動画が投稿されているのを見つけて、ちょっと嬉しくなった。帰ったらすぐに見なきゃ。


 コメントもいい感じだ。


 と、その時、右横を誰かが通り過ぎて行った。


 信号が青になったのだろう、と目線を上げながら足を一歩踏み出す。


 すぐ斜め前に制服姿の男子の背中があった。


 あれ? 信号――。


 視界に映った歩行者用の信号が赤だと気づいたときには、さらに二歩進んだ後で。


 右から、けたたましいクラクションの音が聞こえた。


 視線を向けるよりも早く、体が衝撃を受けた。


 自分が宙を飛んでいるのがわかった。


 スローモーションになるって本当なんだ。


 でも、走馬灯が見えるっていうのは嘘。


 道路に落ちてアスファルトの上を転がりながら、最後に思ったのは、動画見たかったな、だった。



 * * * * *



「――さん、小日向こひなたさん」

「ん……」


 体を揺すられて、私は目を覚ました。


「きゃっ!」


 目の前にぼぉっと光る幽霊のような顔があって、私は悲鳴を上げた。


「落ち着いて、小日向さん。田野倉たのくらだよ。同じクラスの」

「田野倉くん?」


 よく見れば、クラスメイトの田野倉たのくらじゅんくんだった。幽霊と間違えたのは、下から青白い光が当たっていたせいらしい。


 田野倉くんは、うちのクラスの学級委員で、イケメンで明るくて人気者で勉強ができてスポーツも得意な、いわば完璧超人みたいな生徒だ。もうすぐ生徒会長に立候補するらしいと噂で聞いた。


 もちろん女子にモテモテで、かく言う私も淡い憧れの気持ちを持っている。


「なんで私、寝て……」


 一瞬、授業中に撃沈して休み時間まで寝こけてしまったのかと思ったけど、机につっぷしている訳ではなかった。


「ここ、どこ?」


 体を起こしながら周囲を見回す。


 床がぼんやりと光っている。長方形のざらざらとした石でできていて、ひんやりと冷たい。


 暗くてよく見えないけど、壁も石造りのようだ。


「わからない。けど……床に描いてあるのは魔法陣に見える」


 田野倉くんが言いにくそうに言った。


「魔法陣?」


 その響きがおかしくて、私は笑いを含んだ声で聞き返した。


「ほんとだ……」


 田野倉くんに手を引かれて立ち上がってみれば、青白く光っているのは線だった。私たちを中心に何重もの円や線が描かれていて、ミミズがのたくったような字みたいなものも書き込まれている。


「トラックにひかれたのは覚えてる?」

「え? ああ、そうだ。私、車にひかれた」


 信号が青になったと勘違いして道路に飛び出して、それで――。


 トラックだったんだ。


 見る暇もなかった。


「僕も一緒にひかれたんだ」

 

 あのとき前にいたのは田野倉くんだったのか。


「じゃあ、なんで私たち……」


 二人ともピンピンしている。怪我なんてないし、痛い所もない。制服に破れた所や汚れがあるようにも見えなかった。


「わからない」


 田野倉くんは首を振った。


 そりゃそうだ。わかるわけない。


 トラックにひかれて目が覚めたら石造りの部屋の魔法陣の上にいる理由、なんて。


 これじゃあ、まるで――。


「あそこから、出られるみたいだ」


 田野倉くんが指さした方を目をこらして見れば、壁ではなく暗闇が続いていた。


「ここにいても仕方ないし、行ってみようか」

「でも真っ暗だよ」


 言ってから、スマホのライトを使えばいいんだ、と思いついた。


 だが、ポケットを探ってみても、スマホはなかった。それどころか、どのポケットの中もからだった。


 スマホは事故の時に手からすっ飛んでいってしまったのかもしれないけど、なんでいつも持ち歩いているはずのハンカチや鏡まで?


「僕も何も持ってないよ。あるのはこの体と、制服だけ。で、どうする? 小日向さんがここにいたいなら、僕だけで様子を見てくるけど」

「やだ。一人にしないで」


 私は思わず田野倉くんの腕をつかんだ。


 こんな訳のわからない所で一人ぼっちにされるなんてごめんだ。


 その時、暗闇の向こうから突然足音が聞こえてきた。走っている。たぶん複数人。


「下がって」 


 田野倉くんが私をかばうように片腕を広げた。


 そのまま私たちは壁際まで後ずさる。


 足音はどんどん大きくなっていき、明かりが見えた。通路の先は折れ曲がっているようで、明かりが近づいてくるのがわかった。


 固唾かたずを飲んで見守っていると、明かりは角を曲がり、人が姿を現した。


 全部で三人。外国人だ。


 右側はローブを着て、背丈ほどもあるつえを持っているおじいさん。


 左側はヨーロッパの古い衣装のような服を着たおじさん。


 そして、真ん中は、似たような服でマントを着けたお兄さん。


 ランプを掲げたお兄さんは、私たちを見て一瞬固まったあと、両腕を広げて仰々ぎょうぎょうしくこう言った。


「お待ちしておりました、勇者殿」

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