ななよめぐる短編集

ななよ廻る

『妖精の本』 テーマ:草地 隠す 本


 いつの間にか、本がなくなっている――。

 そんな噂がされ始めたのは、いつの頃であったか。

 私のもない。僕のもない。と、誰も彼もが本がなくなったと騒ぎ出す。

 ただ、噂を聞くと、埃の被った読まなくなっていた本ばかりがなくなっているという。それも、特別金銭価値の高くない物ばかり。

 なくなったからと言って困りはしないが、不気味な事態に、街全体の怪談かのようにその噂は広がっていった。


 そんなある日。

 ちょっとした諍いで親と喧嘩をした僕は、街から少し離れた、野花が咲いた原っぱを訪れていた。


「……別にいいじゃないか。ちょっと、帰りが遅くなったって」


 くだらないことで喧嘩をして、家に帰りづらくなった時は、いつもこの場所で一人過ごしていた。

 昼間は小さな子供を連れた家族が遊んでいることも多いが、日が暮れ始めればほとんど人はいなくなる。空が黒く塗りつぶされ、小さな輝きが照らし始めたのであれば猶更だ。

 不貞腐れながら向かった原っぱ。苛立ちを沈めるために一人になりたかったのだが、この日に限って先客がいた。

 夜闇を金色の長い髪で照らす、小さな女の子だ。

 彼女は自分の周りに城塞でも築くかのように本をうず高く積み上げ、一心不乱に本を読んでいた。

 見慣れぬ子供の不思議な行動が気になって、僕は声を掛けた。


「ねぇ、何をしているんだ?」

「本を読んでいるわ」


 僕の質問に、彼女は素っ気なくそう答えた。

 親と喧嘩をしてきたばかりでささくれ立った心には、火に油。思わずむっとしてしまう。

 とはいえ、相手は自分よりも十は離れているであろう子供だ。苛立ちに任せて怒るなど、あまりにも大人げない。

 僕は努めて心を落ち着かせると、優しく話しかける。


「なんで、こんなところで本を読んでいるんだ? 両親はいないのか? それに、この本はどこから……」

「本は読むためにあるものよ。読むのは当たり前じゃないかしら」


 それきり、少女が答えることはなかった。

 僕もあまりの反応の薄さに話しかけるのを止めて、一人静かに草花の上で転がった。

 ……気が付いたら眠っていて、どっぷりと沈んだ夜に帰ったら、雲一つないというのに雷が落ちたが。


 それから、なんとはなしに少女のことが気になり、原っぱに通うこと一週間。彼女はいつも黄昏時に、本に囲まれながら読書に励んでいた。

 なんでこんなところで本を読んでいるのか。その本は噂になっている騒ぎの物ではないのか。

 聞きたいことは多かったが、いくら話し掛けても彼女が答えることはなく、結局、ただなんとはなしに本を読む彼女を眺めているだけであった。


 何日目だったか。

 今日も静かに彼女のことを見ていたら、ぽつりと彼女が言葉を発したのだ。


「……埃を纏って、読まれなくなるのは寂しいものね」


 少女が言葉を発したことに驚いて目を丸くした僕だったが、それきり彼女が話すことはなかった。

 そして、原っぱで彼女と遭遇してから十日が過ぎた頃。

 いつもの夕暮れ時。

 いつもの場所。

 けれど、小さく背を丸めて本を読む少女の姿はなかった。


「親に怒られたのかな」


 そう思いながら、彼女の居た場所に近付くと、一冊の絵本が落ちていた。


『本の妖精』


 本には妖精が住んでおり、本を読むことによってその妖精が異世界に連れて行ってくれるという児童向けの絵本だ。

 昔、母親に駄々をこねて買ってもらい、今でも一字一句思い出せるほどに読み込んだ絵本であった。

 本を拾い、表紙の埃を払う。裏も同じように払おうとすると、ひらがなの汚い字で自分の名前が書いてあることに気が付いた。

 そして、ふと、少女が最後に口にした言葉を思い出す。

 表紙には、楽しい世界へと案内してくれる金髪の可愛らしい妖精が笑っていた。


「……たまには悪くない、か」


 僕はその本を持ち帰ると、十年ぶりに母親と一緒にその絵本を読むのであった。

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