報恩記 芥川龍之介

ノエル

どうせ死ぬなら、あいつを見下してから死にたい!

またまたまた紅い芥子粒さんの書評に感銘とお勧めを受けて、いつもの、いや、とても感動的な発見を描くことにしました!


  ◇◇◇


あああ、わたしはなにを読んだのでしょうか。これは、ほんとうに芥川が書いた小説なのでしょうか。ほぼ80年も隔たっているというのに、わたしは同じ夢を見ているのでしょうか。


世のひとは、これを「デ・ジャ・ヴなんてありはしない」などと言って、わたしをあざ笑うのでしょうか。


しかし、わたしは、ポーと同じ精神を芥川に視るのです。


え、どうしてか、ですって。どうもこうもありません。現実にいまのこの現代で、わたしは同じものを視たのです。芥川は、ポーの生まれ変わりです。そうとしか思えないのです。


まさに例の、a spirit of perversenessなのです。これが芥川の血肉にも脈々と承け継がれているのです。


その証拠をお目にかけましょう。

わたしはなにも、あなたを愚弄しようと思っているのではありません。真実、心の底から、そう信じているのです。


  ◇◇◇


黒猫の主人公は、あの秘密をひとに漏らしたくて仕方ありません。それは、天邪鬼の精神が暴露せよと唆すからです。それが、結局は、自分の身を亡ぼすことが分かっているというのに、です。


主人公の甚内は、問わず語りながら、わたしたち読者に問います。

それには生死を問わず、他言しない約束が必要です。あなたはその胸の十字架に懸けても、きっと約束を守りますか? 


そして、そのうえでないと、これから述べる秘密は明かさないというのです。


彼は、自らも言うように、この時代の大泥棒でした。そして京を舞台にさまざまな悪事を働きます。ここには、京住まいの人間(例えば、わたしのような)にはとても馴染みのある住所や地名がポンポン飛び出します。


同じ渡海を渡世にしていても、北条屋は到底角倉などと肩を並べる事は出来ますまい。しかしとにかく沙室や呂宋へ、船の一二艘も出しているのですから、一かどの分限者には違いありません。


余談ですが、原文ではこの「角倉」は「かどくら」とルビが振られているのですが、時代の設定からして「すみのくら」と読むのが順当でありましょう。


さて、これぞと目をつけた大屋敷に忍び込んだ甚内は、老夫婦の会話を耳にします。


わたしはこの話を聞いている内に、もう一度微笑が浮んで来ました。が、今度は北条屋の不運に、愉快を感じたのではありません。「昔の恩を返す時が来た」――そう思う事が嬉しかったのです。わたしにも、御尋ね者の阿媽港甚内にも、立派に恩返しが出来る愉快さは、――いや、この愉快さを知るものは、わたしのほかにはありますまい。


そう、彼は大昔に恩を受けた主に出遭います。そして、その窮状に六千貫もの大金を三日のうちに用意すると言います。


今となって見れば、むげに受け取らぬとも申されません。しかもその金を受け取らないとなれば、わたしばかりか一家のものも、路頭に迷うのでございます。どうかこの心もちに、せめては御憐憫を御加え下さい。わたしはいつか甚内の前に、恭しく両手をついたまま、何も申さずに泣いて居りました……


そうして無事、その六千貫もの金額を受け取った主は、商いもかつての勢いを取り戻し、安泰の日々を送ります。ところが、二年も経つ頃に妙な噂を耳にします。

なんと、あの命の大恩人である甚内が召し取られ、一条戻り橋(時代小説好きな読者で、ここを知らないひとはいないでしょう。そう、その昔、安倍晴明ブームで有名になりました)で、晒し首にされているというのです。


せめてもの恩返しに、陰ながら回向をしてやりたい。――こう思ったものでございますから、わたしは今日伴もつれずに、早速一条戻り橋へ、その曝し首を見に参りました。


しか~し、驚くべきことに、事実は思いと違ったのです。なな、なんと、

この首は甚内ではございません。わたしの首でございます。二十年以前のわたし、――ちょうど甚内の命を助けた、その頃のわたしでございます。


でも、そんなことがあるわけもありません。驚きから覚めた主は、気を取り直してその首を検分します。まさに文字どおりの「首実検」です。


しけじけ首を眺めました。するとその紫ばんだ、妙に緊りのない唇には、何か微笑に近い物が、ほんのり残っているのでございます。


そしてまたまた、驚くべき事実が判明しました! 

なんとそれは、忘れもしない、わが放蕩息子・弥三郎の首――だった、のであります。タタン、ターンっと。


その息子の首が口を開いて言うのです。


「お父さん。北条屋を救った甚内は、わたしたち一家の恩人です。わたしは甚内の身に危急があれば、たとえ命は抛っても、恩に報いたいと決心しました。またこの恩を返す事は、勘当を受けた浮浪人のわたしでなければ出来ますまい。わたしはこの二年間、そう云う機会を待っていました。

そして、

わたしはこのまま生きていれば、大恩人の甚内を憎むようになるかも知れません。

と――。


わたしの大好きな当サイトの大御所、大書評家の紅い芥子粒さんはこう書いてます。

自分は血を吐く病で、どうせ長くないいのち。

なかばやけっぱちになって、ある計画を思いつく。

家族が受けた恩を甚内に返すために。

自分のちっぽけな恨みを晴らすために。

小悪人だった自分の一生を、嘘の華できらきらしく飾り立てるために……

それは、不孝を重ねてきた親への恩返しにもなるはず……

と――。


と、そう言いますのも、彼には以下のような思惑、いやいや、目論見とでも申しましょうか、腹黒い奸計があったからであります。


ありとあらゆる甚内の名誉は、ことごとくわたしに奪われるのです。云わば甚内を助けると同時に、甚内の名前を殺してしまう、一家の恩を返すと同時に、わたしの恨みも返してしまう、――このくらい愉快な返報はありません。


じつに忌々しい、チマチマした意趣返しですが、下種なバカ息子にしてみれば、精いっぱいの強がりです。まさにポーの、ああ、まさに黒猫の主人公の強がりであります。


バカ息子は哄笑しながら、われわれに告げます。

どうだ、弥三郎の恩返しは?」――その哄笑はこう云うのです。「お前はもう甚内では無い。阿媽港甚内はこの首なのだ……。


ああ、これをどうしてポーの血が書かせたものでないと言い切れるでしょう。

赤い芥子粒さん、お勧め、ありがとうございました! (はい、おあとがよろしいようで)


出典 https://www.honzuki.jp/book/284926/review/256304/

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報恩記 芥川龍之介 ノエル @noelhymn

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