2-14

 むせてしまうくらいに強烈に漂う肉を焼く匂いをかき分けて、氷と水で満たされたクーラーボックスから缶ジュースを適当に手に取る。手には炭酸グレープが握られており、また炭酸かよと心の中で舌打ちをしたが、戻すのも面倒なのでそのままベンチの方へと戻る。戻る途中で美味しそうに椎茸を食べている清藤さんと目があったような気がするが、特になんのリアクションもなく彼女の視線は移ろいだ。きっと俺の気のせいなのだろう。必要以上かつ過剰に意識してしまうのは、非モテ特有の悪い癖だ。


「で? なんて言って断ったんだよ」


 ベンチに戻るや否や、大塚が清藤さんのいる方に視線をやりながら俺に問う。


「なんつーか、断られたって感じの雰囲気ではなかったんだがなぁ」


 どこか納得していないような顔でボソボソとそんな事を口にする。俺はそれを聞きながら炭酸グレープのプルタブを立てる。プシュッと小気味良い音を立て、少しだけ泡が缶の上にはみ出る。


「まぁ……うーん。遠回しに断ったんだけれど……結果的には微妙な感じになったというか、なんというか」

「なんだそりゃ? 詳しく」


 炭酸グレープを口に含む。同じ炭酸ならコーラが飲みたかったなとぼんやり思う。


「ナイトウォークのペアの決め方、最初は適当でいいやって思ってたんだけどさ。よくよく考えたら、女子は全員大塚とのペアを希望するだろうなってことに気がついて。……あとまぁ、木原のこととかもあったし。俺なりに考えた結果、男女別にグーチョキパーで分かれるのが、一番平等で、波風立たないんじゃないかって思って。そんな感じの事を、清藤さんにも伝えた。もちろん、木原の件は端折ったけれど」

「なるほど。女子全員ってところ……少なくとも、清藤さんは違ったわけだ」

「……まぁ、結果的には」

「それで? その案を出したときの清藤さんの反応は?」

「んー、少し不満そうだったけど、納得してくれたよ。清藤さん、真面目だし平等って言葉に弱かったみたい」

「ふーん……。今の話を聞いた限り、特に悩む要素が見当たらないな。関はどこで引っかかってるんだ?」

「……ここで話が終われば、どんなによかったことか……」


 改めて。心底。そう思う。全ては運任せ。仮に俺と清藤さんがペアを組むことになったとしても、そこにはなんの意思もなく、ただの偶然。そんな風にしたかった。


「その後、清藤さんに言われたんだよ。『私、パーを出すようにするね? だから、関くんもパーを出すようにしてね!』って、そりゃあもう、曇り一つない笑顔で。そんで、どう答えるのがベストなのか解らなくて、曖昧な感じの反応してたら、同意したと見做された感じで……」

「あー……なるほど、そう来たか。……って、それって全く断れてねーじゃねーか! 道理で合流したとき、全然そんな雰囲気じゃなかったわけだよ」


 大塚から盛大にツッコミを受ける。自分でも薄々気がついていたことだが、他人から指摘されると途端に現実味が増す。


「……やっぱり、そうなるよなぁ。こんなつもりじゃなかったんだけどなぁ……」


 炭酸グレープをぐいっと飲み干す。何も解決しなけれど、喉にくる刺激がそれを都合よくぼかしてくれる気がした。


「……けど、ますます解らねえな」


 そう呟く大塚の視線の先には、清藤さん――ではなく、清藤さんから少しだけ離れた場所で、彼女を視線に捉えた木原が立っていた。平静を装っているつもりなのだろうが、その黒縁の眼鏡から漏れ出すニヤついた表情が嫌悪感を誘う。


「解らないって?」

「だってそうだろ? ナイトウォークのペアは希望制ではなく男女別にグーチョキパーを実施してランダムに決める。結果、偶然にも・・・・清藤さんのペアの相手は木原ではなく関となる。まぁ、木原から多少は恨みを買うことになるかもしれないが、ランダムという建前がある以上、それも最低限で済む。これ以上にないくらい、ベストな形に落ち着いたと思うんだが」


 これまでの話を整理し、これがベストな形であると結論付ける大塚。……だけど俺は、そんな大塚の意見を聞いても、これがベストであるとは言い切れずにいる。


「それともなにか? 清藤さんのペアの相手は木原のほうがよかったか?」

「……いや。そうじゃないけど――」


 そうじゃない。そういうことじゃ、決してない。けれどもそれは――清藤さんと俺がペアであれば良い、ということには決してならない。


「――俺なんかが、清藤さんにペアの誘いを受けたことが……なんというか、良くないことのような気がして……」


 上手いこと言語化できず、感じているもやもやは吐き出しきれない。けれど、大塚はどこか納得したような顔で口を開く。


「つまり――俺みたいにイケメンとは程遠く、どこにでもいるような量産型のパッとしないモブキャラで雑魚キャラの俺が、容姿端麗かつ品行方正、学校のアイドル的存在で高嶺の花である清藤さんからペアの誘いを受けるなんて、痴がましいにも程がある。これはもはや死刑に値する。今すぐ死のう……って感じ?」


 ……って感じ? じゃねえよ。この短時間でよくそんなディスを思いついたな。逆に感心するわ。


「……随分と過剰で過激になってるが……まぁ、そんな感じ」


 表現方法は置いておくとして、大方俺のもやもやを代弁出来ているので良しとする。


「卑屈なやつだなー……って、相手が普通の女子だったら言ってやるんだけどな。まぁ、清藤さんが相手なら、関がそう考えてしまうのも仕方ないっちゃ仕方ないか」

「大塚……!」


 いつもどおり馬鹿にされるかと思いきや、俺の抱えるもやもやに理解を示す姿勢を見せる大塚。この瞬間、初めてこいつと解り合えた気がして、思わず少し感動してしまう。だけどその次に放たれた言葉は、俺の中の触れられたくない場所を容赦なく暴き出す。


「――けどな、関。こうなった以上、お前は誘いに乗るか、乗らないか。そのどちらかを選ぶ必要がある。いくらそうやって自分を卑下したって、選ばない・・・・なんて選択肢、存在しないんだぜ?」


 第三の選択肢。そんな風に言えば、聞こえはいいけれど。


「……そんなの、わかってるよ」


 それは結局、結論を出せないやつの言い訳に過ぎない。


「ほう。じゃあ、そう考えている時点で既にお前の中で答えは出ているってことに気がついているか? 必死になって、答えを出せていないフリをしている道化だってことにさ」

「――っ!」


 心の中のもやもやを、一寸の狂いもなく的確に縁取られたような気がして、思わず胸元を握りしめる。


「その様子だと、気がついていなかったみたいだな。まぁ、冷静に考えてその選択はあり得ないもんな。相手はあの清藤さんだぜ?」


 あの清藤さん。そう、相手はあの清藤さんなのだ。

 だけど大塚は――俺が、清藤さんの誘いを断りたがっていると言いたいらしい。容姿端麗かつ品行方正、学校のアイドル的存在で高嶺の花である清藤さんのペアに選ばれて、断る男なんてこの世界に存在するはずがないというのに。もし、何かの間違いで存在するとするなら、それはそいつが正気じゃないに違いない。だけど――大塚のその言葉に、妙に納得した自分がいて。自分でも、清藤さんの誘いに乗らないなんて、馬鹿げていると思う。世界中の男から、後ろ指さされて罵られる愚行であると思う。


「もし……仮にそうだとして、俺はどうしたら良いと思う?」


 どうしようもなく愚行だってわかっているはずなのに。気がつけば俺は助けを求めるようにして、大塚にそう問いかけていた。大塚は少しだけニヤけて口を開く。


「そんなもん簡単だろ。グーチョキパーの時にパー以外を出せばいいんだよ」

「けど、それじゃあ……」


 清藤さんは俺がパーを出すと信じている。あまりにも明確な裏切りは、事なかれ主義を自称する俺にとって避けたいところだった。


「まぁ、その辺は俺に任せておけって。お前は安心してチョキでもグーでも出しゃいいんだよ」


 胸を拳で叩きながらそう口にする大塚が、神様のように尊く眩しい存在に見えた。


「恩に着る……!」


 心の底からの感謝を告げる。それ見た大塚はうんうんと頷く。


「しかしもったいねえなあ。なんだよ、好きな女でもできたのか?」

「……できてねーよ」


 反射的に、そう答えてしまうけど。脳裏にちらつくひどくぼやけた彼女・・・・・・・・・の存在に、気が付かないわけはなかった。だけど俺は、相変わらず・・・・・それに気が付かないフリをする。


 ケラケラと笑いながら肉を取りに向かう大塚の背中を見ながら、とりあえず、ナイトウォークのペア決めはなんとかなりそうだと安堵した。パチパチと木炭が焼ける音を聞きながら、俺ももう少し肉を食べようと立ち上がる。


 ――その安堵は、なんの根拠もないハリボテであることに気が付かないままで。

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