2-15

「肝試しみたいでちょっとドキドキするねー! この山、幽霊とかでるのかな?」


 懐中電灯を片手に木々に囲まれた砂利道を歩いていると、隣を歩く彼女は楽しそうな声でそんなこと言った。つい先程までは明るかった空も今ではすっかりと暗くなり、夏だと言うのにほんの少しひんやりとしている空気は、なるほど確かにそんなことを連想させる。


「……どうなんだろうね? この山が昔、姥捨て山として使われてたんなら老婆の幽霊がでるかもしれないけど……」

「こ、怖いこと言わないでよー……!」


 俺はよく解らない謎のテンションで悪ノリに悪ノリを重ねる。


「あれ……気のせいかな……? 今、あの木の後ろからお婆さんがこっちの方を見てなかった……?」

「きゃーっ!」

「うおっ」


 隣を歩く彼女が急に俺の腕にしがみついてきたため、変な声が出てしまう。純粋にびっくりしたという意味でのドキドキに、腕に当たる柔らかく新鮮な感覚が引き起こすピンク色のドキドキが加わり、心臓がどうにかなってしまいそうだった。


「もうっ! 私怖いの苦手なのっ!」


 木々の隙間から漏れた月明りに照らされた彼女の顔は少し怒ったような顔で、その瞳はほんのりと潤んでいるのがわかった。本気で怖がらせてしまって申し訳ないなという気持ちをよそに、そこはかとなく色っぽいその表情に目を奪われ、ピンク色の感情はどうしようもなく肥大化していく。


「ご、ごめん……。まさかそんなに怖がるとは思ってなくて」


 幽霊とか言い出したの、元はと言えばそっちだよね? なんて事は口が裂けても言えるわけもなく。だけど少し意外だった。高嶺の花・・・・であり万能選手・・・・である彼女に、苦手なものなんて何一つないと、自分の中で勝手に決めつけていた。


「むー……。私、関君が思ってる以上にか弱いんだからね?」


 まるで、俺の心を見透かしているかのような言葉を返す彼女は、そう口にしてゆっくりと俺の腕から離れた。よくわからない名残惜しさを感じながらも、少し先に歩みを進めた彼女を懐中電灯の明かりを連れて追う。


「もし、本当に幽霊が出てきたら……ちゃんと私を守ってね?」


 隣に追いついたタイミングで、こちらを向かずにそんなことを彼女は言った。暗がりの中でぼんやりと見える彼女の顔は、少しだけ赤いような気がしたけど、きっと見間違いだろう。俺は懐中電灯の先に視線を戻し、


「お、おう……」


 と、とりあえず答えながらも、幽霊って物理攻撃効くのかな、とか、仮に効いたとしても俺の腕力でどうこうできる相手なのかな、とか、どうでも良いことを考えた。



 ……そう、そんなことよりも。

 どうしてこうなったんだろう? 何を間違えたんだろう? 意味不明なテンションで誤魔化すのもきつくなってきた。

 どうして――一体どうして、俺の隣にいるのは福吉さんでも井田原さんでもなく――清藤さんなのだろうか。

 その理由は解り切っているはずなのに、そう自問せずにはいられない。

 そして、その自問と共に脳裏に浮かぶイケメン野郎の顔が――憎らしくて仕方がなかった。


「――よし、分かれたな。えーと……俺がグーで、木原がパーで、関がチョキか」


 BBQの片付けが終わったあと、予定通りナイトウォークのペア決めが行われた。各班で自由にペアを決めて良いとのことだったため、うちの班は予定通り男女別にグーチョキパーで決めることとした。ペアは男女で組む必要があるかと思いきや、他の班を見ると男同士だったり女同士でペアを組んでいるところもあったため、それなら別に男女ペアにこだわらなくてもいいんじゃないかとも一瞬思ったけれど、万が一でも木原とペアになったら地獄を見るのは明らかなので、やはり男女ペアに拘ることにした。


 男子側のグーチョキパーは一発で綺麗に分かれた。しかし、それは俺が想定していた結果・・・・・・・・と見事に異なっており、動揺を隠しきれずに大塚に小声で話しかける。


「……おい、どういうことだよ」

「ん? 何が?」

「何がって……。俺はお前がパーを出して清藤さんとペアを組んでくれるとばっかり思ってたんだけど。これじゃあ、木原が清藤さんとペアを組むことになるじゃんか」


 大塚も木原のことをなんとなく嫌っているように感じたので、なんの疑問もなく、大塚が清藤さんのペアの相手になるものだと思っていた。そしてその組み合わせこそが、誰しもが納得する完璧な組み合わせであることを俺は疑っていなかった。


 大塚はニヤリと笑って口を開く。


「お前、自分から清藤さんとのペアを降りたくせに、清藤さんが誰とペアを組むのか気にしてるんだな。なんだ? 草食系と見せかけて束縛激しい系男子か?」

「べ、別に、そんなんじゃ……」


 痛いところを鋭い刃物でぶすりと突かれた俺は、それ以上何も言い返せなかった。


 確かにそうだ。一体全体、何の権利があって、俺は清藤さんのペアの相手をコントロールしようとしているのだろうか。清藤さんが誰とペアを組もうが、俺にとって何の関係もないことじゃないか。俺は木原のことを好きになれなかったが、清藤さんもそうであるとは限らないし、そうである必要もない。俺みたいな非モテを何かと気にかけてくれている清藤さんのことだ。木原のこと気に入る可能性だって十分にある。……そう考えて心が少しざわつくのは、その相手が木原だからなのか、別の理由があるからなのか、よく解らなかった。


 ……とりあえず。こうなった以上、この件を丸く収めることは不可能になったと考えていい。清藤さんのペアの相手が大塚であれば、イケメンパワーでなんとかうまく誤魔化せたかもしれないが、木原にその力があるとは思えない。……まぁ、そもそも全て自業自得だ。〝清藤さんからの誘いを断った愚者〟のレッテルを貼られ、今後の学校生活が荒波に飲み込まれたとしても。そして何より――清藤さんを傷つけてしまうことになったとしても。俺は自分で決めた選択と共に、前に進むしかないのだ。うん。覚悟は決まった。


「そんな深刻な顔するなって。言ったろ? 俺に任せておけって」


 ぽんぽんと、俺の肩を強めに叩きながら大塚はそう口にする。この期に及んでよくもまぁそんな気休めを言えたもんだなと皮肉を込めて感心していると、女子の方もグーチョキパーが終わったようで、こちらに向かって三人が近づいてくる。それに気づいた大塚が真っ先に口を開く。


「お、そっちも終わった? こっちは、俺がグーで、木原がパーで、関がチョキだったよ」


 早速グーチョキパーの結果を伝える大塚。一呼吸置いて、井田原さんがそれに応じる。


「ふむふむ……。じゃあ、私が大塚君、早希が木原君、そして――ひよりん・・・・が関君とペアだね!」


 井田原さんの頭の中で整理された結果が公表される。それによると俺はひよりんとペアを組むことになったらしい。えーと、井田原さんは大塚と組むって言ってるから、消去法で行くと福吉さんか。福吉さんって名前なんだっけ。確か――福吉、早希。あはは、早紀でひよりんは無理がないか? ……ん? ちょっと待てよ。さっき、木原は誰とペアと言っていた?


「ごめん、もう一回言ってもらってもいい?」


 そんなはずはない。そんなはずはないのだけれど、念の為もう一度確認する。井田原さんはすこし困惑した様子で答える。


「え? えーと、私が大塚君、早紀が木原くん、ひよりんが関君、だよ?」


 ……やはり聞き間違えではなかった。井田原さんは、木原のペアの相手は早紀・・であると言っている。ということは、ひよりんという名前は福吉さんを指しているわけではないということになる。……あれ? つまりどういうことだ? 消去法でいくと、あり得ない解・・・・・・が導き出されるぞ? 消去法って、使えないパターンもあったんだっけ――


関が清藤さんとペア・・・・・・・・・か。清藤さんとのペア、俺も狙ってたんだけどなー」


 まるで本心が込められていない大塚の言葉が、あり得ない解を現実化していく。


「不意に大塚くんから出てくる意味深な言葉……」

「まさかの、恋のトライアングル発生中⁉」


 急にざわつきだす女子二人の言葉を華麗にスルーして、必死に現状を理解しようと思考する。けれども、何が起きているのかさっぱり解らず、俺の思考能力はピークを超えて徐々に鈍りだす。そしてそれにとどめを刺すかのように、清藤さんがこちらを向いて口を開いた。


「……よろしくね、関君」


 はにかんだように笑う清藤さんのその笑顔は――俺の単純な思考回路をショートさせるには十分すぎた。



 その後、各自準備のため十分後に再集合ということになった。テントに戻り、自宅から持ってきた懐中電灯を手に取る。少し冷静になって考えると、大塚に嵌められたという一つの真実にたどり着くことが出来たため、一発ぶん殴ってやろうかと思ったが、時既に遅しで俺の前から消え去っていた。……逃げ足の早い奴め。


 ……大丈夫。一周三十分程度の遊歩道をただ歩くだけのイベントだ。ペアに誘われたからと言って、何かあると決まったわけじゃないし。


 気持ちを切り替え、現実に向き合う。だけど、ほんの少し前にこの場所で清藤さんと間接キスをしたことをふと思い出し、一人で勝手に動揺する。頭に浮かぶ妙に色っぽい清藤さんの唇をかき消すように立ち上がり、テントの外へと出る。するとそこには、俺を待っていたのか――黒縁眼鏡をかけた男が立っていた。


「随分と浮かれているようだね」


 テントの前に立っていたそいつ――木原は笑いながらそんな言葉を口にした。けれども、街頭の光がギラリと反射する眼鏡の奥の瞳は、決して笑っていなかった。


「……別に、浮かれてないけど」


 努めて冷静に、短く答える。これ以上会話を続ける意思がないことを示すために、木原を避けて前に進む。


「今回の件は――宣戦布告された、と捉えていいのかな?」


 背中越しに聞こえた穏やかではない言葉に、自然と立ち止まる。振り向いて、そいつを睨みつける。


「……どういう意味?」

「だってそうだろう? あれほど僕の邪魔をするなと言っていたのに……君は僕の邪魔をした。――僕から清藤さんを奪ったんだ」

「はぁ? 奪ったってなんだよ? 元々清藤さんはお前のものではないし、俺と清藤さんがペアになったのは偶然だろ? まさか、お前は席替えの度に清藤さんの隣になった誰かに宣戦布告されたと思――」


「――黙れ。お前が大塚とグルになってこうなるように仕組んだのはわかってんだよ」


 俺の話を遮るようにして、木原は怒りを顕にする。そのギラギラとした視線は、俺を睨みつけて離さない。


「…………」


 半分正解しているが故に何も言い返せない。正しくは大塚が独断で仕組んだことなのだけれど、そう訂正してしまえばあのペア決めはアンフェアであったことを認めてしまうことになる。グーチョキパーのあと、大塚とこそこそ会話したのもまずかった。こいつの中で浮上した、何か仕組まれているのではないか、という仮説を歪んだ事実・・・・・へと昇格させるには十分な材料になってしまった。


「お前は今日から、僕の敵だ」


 そう吐き捨てて、木原は去っていく。

 久しぶりに感じる他人からの敵意は、思った以上に心の奥底までずしんと響いた。


 なんで俺がこんな目に、とか、全部大塚のせいだよなこれ、とか、色々思うことがありすぎて気持ちがごちゃごちゃとする。……もういいや。一旦考えるのを止めよう。せっかく、あの清藤さんとペアになれたんだ。楽しまなきゃ損だよな。笑う門には福来る。同じアホなら踊らにゃ損損。


 そう必死に言い聞かせ、自分を奮い立たせる。こうして俺は、謎のテンションでナイトウォークの集合場所に向かったのだった。

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