2-12
「……あ、起きた? おはよー!」
聞き覚えのある明るいトーンの声を聞きながら、意識が徐々に覚醒していくのを感じた。ぼやけた視界に映る緑色でビニール質の天井に少し驚きつつも、そういえばキャンプに来てるんだっけと思い出す。
「……ごめん。俺、寝ちゃってた?」
「あはは、それはもうぐっすりと。気持ちよさそうな顔して寝てたよ」
寝起きと共に聞こえてきた声の主――清藤さんはニヤニヤしながらそう答えた。いまいち状況が飲み込めないが、少しだけ広い備え付けテントの中に他の班員はおらず、俺と清藤さんの二人きりであるということはすぐに理解できた。その事実を飲み込んだ途端、少しだけ緊張で胸がきゅっとなる。
「テントにスマホ忘れたから取りに行くって言い残したっきり帰ってこないんだもん。心配したよー?」
……言われてみれば、そんな感じの流れだったような気がする。
特に何も釣れないまま自由時間が終わった後、BBQ会場で大塚率いるフットサル組と合流。福吉さんと井田原さんが興奮気味に
「大塚くん、すっごく上手だった!」
「ハットトリック達成したんだよ!」
と清藤さんに伝えている裏で、
「貴重品は常に持ち歩けってタカムーに言われてただろ? しっかりしてくれよリーダー」
と悪態をつく大塚に
「すまん。すぐに戻るから先に準備始めてて」
と告げ、急いでバッグがあるテントにスマホを取りに行ったのだが――
「んー……テントに入ってからの記憶がすごく曖昧だな。そのまま、寝ちゃったのか……?」
「状況から見ると多分そうなんだろうねー。私がここに来て十分くらいしか経ってないから、寝てたのは三十分くらいなんだけどね」
ということはつまり、十分間もの間、清藤さんに間抜けな寝顔を見られていたということか。猛烈に恥ずかしいと言うか気まずいな。かろうじてよだれは垂らしていなかったみたいだから、それが唯一の救いか。
「そっか……ごめん。急いでBBQの準備に戻らないとね。むしろ、もう準備終わっちゃってるかな……」
「関君、釣りの途中から少し疲れた顔になってたけど、体調とか大丈夫?」
「……まじか。俺、疲れた感じの顔になってた?」
木原との謎のやり取りでどっと疲れが出たのは事実だが、せっかくの楽しい雰囲気を壊したくなかったがために必死にポーカーフェイスを装っていたつもりだった。個人的に、なかなかうまく出来ていたと思っていたのだけれど。
「あ、疲れた顔ってのは言葉の綾で! ……えーとね。顔にはそんなに出てなかったけど、なんていうのかな、んー、雰囲気がいつもと違うな、みたいな?」
嘘でしょ? みたいなトーンの俺の言葉を聞いて、少し慌てたようにフォローする清藤さん。ちょっとだけ照れたような顔になっているのは多分俺の気のせい。
「雰囲気か……」
さすがは清藤さんといったところか。きっと、性格偏差値最上位クラスの人間は、周囲の人間の感情の機微を感じ取ることに長けているのだ。そのくらいのことが当然にできなきゃ、性格偏差値最上位クラスなんて狙えないのだろう。多分。
「心配してくれてありがとう。少し寝たおかげかな、すっかり回復できたよ」
清藤さんとの会話で覚醒し切った意識はとてもクリアで、木原とのやり取りプラス慣れないリーダーというポジションから感じていた疲労感も抜けきれていた。
「ほんと? よかったぁ。……あ、喉渇いてない? スポーツドリンク、飲む?」
そう言って清藤さんは俺にペットボトルを差し出す。確かに、寝起きだからなのか喉がカラカラだった。
「お、わざわざありがとう。助かるよ」
予め飲み物を買っておいてくれるなんてさすが清藤さんだな。とりあえず受け取った後にお金を払おう――そう思い、差し出されたペットボトルを手に取る。うん、ひんやりしていて美味しそう。そしてすぐに気がつく。思いの外、渡されたペットボトルの質量が軽いことに。
「んーん、気にしないで。あ、でも全部飲んじゃだめだよ? 私もちょっと喉渇いてきたからさ」
「…………」
一瞬思考が固まり、慌てて再起動する。俺はてっきり、新品未開封状態であるペットボトルを渡されたのだと思った。だから、お金を払ってしっかりとまるごと買い取ろうと思ったのだ。だがしかし、目の前に広がる現実はそうではなかった。清藤さん使用済みの中古ペットボトルという、下手をしなくてもプレミアがついて新品の何十、何百倍もの値段がつくであろうプレミアムなペットボトルを手渡されたのだ。
「えっと、これって――」
間接キスだよな? なんて、ストレートに聞けるはずもなく。
「んー?」
当の清藤さんはそのことに気がついていないのか、気がついていたとしても特に気にしていないのか、どちらともわからない純粋な瞳を俺に向けている。もしかして、間接キスごときでここまでキョドっている俺がおかしいのだろうか。なんだかそんな気がしてきた。かの大塚大先生もいつか言っていた気がする。間接キスで騒ぐのは小学生まで、と。何よりも、この空気の中で間接キスであることを指摘しようものなら、哀れんだ目を向けられた上で「うわ……そんなこと気にするなんて、関君やっぱり童貞なんだね」と言われかねない気がした(※個人の被害妄想です)。
「いや……なんでもない」
場の空気に飲まれたわけではない……とは言い切れないところが悲しいが、俺は覚悟を決めてペットボトルのキャップを回す。当たり前だけれど、キャップはなんの引っ掛かりもなくスムーズに開いて、それが清藤さんの飲みかけであることを強調してくる。
目をつぶる。なるべく、唇と飲み口が触れ合う面積が最小になるように細心の注意を払いながら、一口、口に含む。その瞬間、スポーツ飲料がもたらす潤いと、なんとも言い難い快感と背徳感が混ざり合って体中に染み渡る。
「……サンキュー」
キャップを締め、精一杯、何も気にしていない風を装ってからペットボトルを清藤さんに返す。サンキューなんて、英語の授業以外で言ったのはいつぶりだろうか。欲を言うと喉の渇き的にもう少し飲みたかったけれど、これ以上飲むと背徳感で埋め尽くされてしまいそうで怖かった。もちろん、その原因は千波さんの放った
「お安い御用ですよ。……それにしても今日は暑いねー! 私も飲もうっと」
受け取ったペットボトルのキャップを細い指でくるくると外し、手でぱたぱたと顔を仰ぎながらぐいっと飲む。愛嬌のある綺麗系の顔立ちと、モデルのような体型が相乗効果的に手伝って、まるでスポーツ飲料のCMを見ているかのようだった。飲み口から離れた唇がほんの少し濡れてどこか艶やかで、思わず視線を逸らす。これはもう、一介の男子高校生が直視していい代物ではない。
「生き返る〜! 暑いときはやっぱりスポーツ飲料に限るね!」
おどけたようにそう口にする清藤さんの顔は、心なしか先程よりも赤くなっているような気がした。
「……なんかそれ、おっさんくさいな」
「ひどい! こちとらピチピチの現役JKですが何か!」
「今どき、ピチピチって……」
「あーもう! ピチピチはピチピチだからいいのー! ……っていうか、関君からツッコミ受けるって、なんか新鮮かも」
「……あー、まぁ、それだけ打ち解けてきたということで」
「ほんと? なんか、嬉しい」
唯一無二の学園アイドル的存在に向かっておっさんくさいと突っ込むは少し抵抗があったが、清藤さんがそれを望んでいるような気がして、勇気をだして突っ込む。結果、謎の緊張感(?)が張り詰めていた空気は一変し、和やかなものとなった。それはさておき、俺から打ち解けられても、何も良いことはないですよ?
「俺が言うのも何だけど、大塚たちも待っているだろうし、そろそろ戻ろうか」
自分のペースを取り戻しつつあるこのタイミングで、この状況から脱出すべく提案する。このまま二人きりの状況が続くと、清藤さんのペースに飲み込まれて、最終的には埋め尽くされてしまいそうだった。つい数時間前に、近づきすぎないようにしようと誓ったばかりだというのに。……俺は決して、イカロス氏のようにはならない。
「うん……そうだね」
清藤さんは、何か言いたげな雰囲気を醸しながらも肯定した。そのまま二人でテントの外に出る。
辺りはすっかりオレンジ色に染められていて、少し遠くの方から聞こえるクラスメイトたちの喧騒が意味もなく焦燥感を掻き立てた。
「――関君」
歩き出してすぐに、少し後ろにいた清藤さんに呼び止められる。俺は反射的に振り向く。
「どうした?」
振り向いた先に立つ彼女――清藤さんは、少し緊張したような顔で、けれでも何かを決心したような目をして口を開いた。
「今日のナイトウォーク……よかったら、私と一緒に回らない?」
全く予想していなかった言葉に面食らったが、その意味を理解するのに時間はかからなかった。だけども残念なことに、意味を理解したからといって、その意図まで理解できるとは限らない。清藤さんが俺をナイトウォークに誘う意図を必死に考察しようとしたが――
――
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