2-11

「せ、千波さんは、なぜここに?」


 真っ先に浮かんだ疑問を、隣に腰掛けた千波さんに投げかける。相変わらずほのかに漂う甘い香りに、現実ではないにも関わらずドギマギする。


「んー……どうしてでしょう? 私にもよくわかりません」


 てへぺろ。……なんて事は一言も言っていないしそんな表情を覗かせたわけでもないけれど、なんとくそんな風に脳内補完してしまい意味もなく一人でキュンとなる。


「ま、まぁ、そうだよね……」


 よくよく考えれば――というより、よくよく考えなくとも、千波さんがここにいる理由を千波さん本人が知るわけがない。だってこれは、おそらく俺の夢の中なのだから。けれど、千波さんは、ほんの少しだけ儚げに笑って、


「関くんと……会いたかったからですかね?」


 なんてことをさらりと言ってのけるから、俺の心拍数は無駄に跳ね上がり、顔の熱が急上昇するのだ。所詮は俺の夢だってのに、困ったなこりゃ。


「キャンプ、楽しんでますか?」


 そんな俺の醜態を知ってか知らでか、千波さんは会話を続ける。


「キャンプ……?」

「あれ? 確か関くん、クラス行事のキャンプ中でしたよね?」

「……あ」


 千波さんの言葉がキーとなり、現実世界での俺の現状を思い出す。きっとその言葉を言わせているのは回り回って俺の深層心理的な何かなのだろうけど、見事なまでに頭からすっぽりと抜け落ちていた記憶が徐々に鮮やかに色づいていく。それはまるで自分の事を俯瞰で眺めているような感じで新鮮だった。


「楽しんでる……のかな? あ、でも昼に作ったカレーはすごく美味かった」

「カレー、いいですね。キャンプの定番って感じで」

「具材を切ったりしたんだけどさ、料理なんて家庭科の授業でしかしてこなかったもんだから、全然思ったように切れなくてダメ出しくらいまくったよ。料理できる人ってすごいなぁって改めて思った」

「ふふ。練習すれば、関くんにだって簡単にできるようになりますよ」

「そうかなあ? 千波さんも、料理に失敗したりすることあるの?」

「それはもちろん、ありますよ。最近は少なくなりましたけど、母から習い始めた頃はたくさん失敗していました。黒焦げの厚焼き玉子を量産したり……その、ベタですけど、砂糖と塩を入れ間違えてとても塩っぱいクッキーを焼いたり……」


 言いながら恥ずかしくなったのか、少しずつ声のボリュームが小さくなっていく様子が少しおかしくて、とても可愛らしかった。


「へぇ、なんかちょっと意外かも」


 普段食べさせてもらっている弁当のクオリティの高さから、千波さんが料理を失敗しているところなんて想像もできなかったけれど、冷静に考えるとやっぱりこれは俺の深層心理的な何かが勝手に千波さんにそう言わせているだけなので、意外もクソもないことに気がつく。言うなれば今の俺は、一人でおままごとをしながらニヤついている頭がイッてる系男子なのだ。早く目を覚ましてくれと切に願うが、その願いはどこにも届くことなく空気中に霧散していく。もしかしたらこれは夢ではなく、死後の世界なのだろうか。運命が変わったことにより、一ヶ月後という死期が少し早まって、現実世界の俺はキャンプ場近くのどこか深い谷底に無残な姿で横たわっているのかもしれない。そんな荒唐無稽……とは言い切れない妄想を膨らませている俺をよそ目に、千波さんは口を開く。


「だから、関くんも練習すればきっと、料理上手になりますよ」


 リアルではなく、作り物だとしても――千波さんの偽りのない真っ直ぐな言葉が、とても心地良くて。俺は、これが決して現実ではないことを知っているにも関わらず、


「そっか、ありがとう。千波さんがそう言うなら、頑張ってみようかな」


 知らないふりをして、この現実・・・・に向き合うことにした。


「今度さ、自分で弁当を作ってみようと思う。いつも作ってもらってるお礼……ってほどちゃんとしたものを作れる自信はないんだけど……味見、してくれる?」

「もちろんです! 楽しみにしてますね?」


 屈託のないその笑顔をより輝かせるかのように、キラキラとした風がホームを抜けていく。通り過ぎて行った風が残したのは、夏らしい、爽やかな静寂だった。



 それからも、この現実こちらでの千波さんとの会話は弾んだ。木原との謎の軋轢についても話そうかと思ったけれど、それを語るには清藤さんの存在を避けて通ることができずに諦めた。そこはそこで、先日謎の軋轢をひしひしと感じたからだ。そんなわけで、無難に夏をテーマにした話題を選択した。夏の思い出。ついつい口ずさんでしまう夏歌。好きなアイスの味。夏祭りに着ていく浴衣の柄。何のことについて話しているのかは理解できるのに、その内容がまるで頭に入ってこない。それはきっと、俺は俺の知らない千波さんを再現できないが故、考えることを放棄しているのだ。加えて――この現実こちらあの現実あちらの境界線が揺らぎだしていたことも、関係しているのかもしれない。


「……そろそろ、戻る時間みたいですね」


 不意に、千波さんはそう口にした。薄れゆく意識の中で、千波さんの言葉の意図を理解した上で尋ねる。


「え、と……千波さんは、どうするの?」

「私ですか? 私は……もう少し、ここで待つことにします」

「待つ……?」


 意外な言葉が出てきて、思わずその言葉を繰り返す。こんなに何もない場所で、彼女は何を待つというのか。


「またここでお会いできたら嬉しいです。キャンプ、楽しんでくださいね」


 そう言って、少し寂しそうに、どこか儚げに手をふる彼女に対して



「――――」



 何も言えないまま、俺の意識は暗転した。

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