2-9

「釣れないねー!」

「釣れないすなー」

「でも、なんか楽しいねー!」

「釣りを提案した身としては、そう言ってもらえると助かるけど……本当に楽しい?」

「楽しいよ! 釣りそのものというより、シチュエーションって言うのかな? 自然に囲まれてぼーっと釣り糸を垂らしてると、それだけで心が癒やされるというか。あと私、川の流れる音好きかも」

「あ、それ俺もわかるな。『1/fゆらぎ』ってやつだよね。川の流れる音とか波の音とか、自然が織りなす音はヒーリング効果があるらしいよ」

「それそれ! 波の音も良いよねー。私の家、海辺が近いから暇なときは意味もなく散歩したりしてるもん」

「へえ、清藤さんの家って海寄りだったんだね。いいなー、毎日釣りができるじゃんか」

「あはは、関君どんだけ釣り好きなの」


  今回の釣り場となる渓流は、キャンプ場の管理棟からちょっとした山道を歩いて十分ほどの場所にあった。浅瀬になっているところでは川底の大小様々な砂利が綺麗に透けて見え、深くなっているであろう場所は、まるで絵の具を垂らしたかのような青緑が川の流れに合わせて揺らめいていた。太陽が水面に反射してキラキラと輝き、目にした者全てのテンションをハイにするのではないかというくらいとても夏らしい風景だった。


 今日は釣れる気がする。むしろ、釣れる気しかしない。


 そんなハイテンションで釣りを始めて早二時間ほど経過したが、とりあえず水で満たしたバケツの中は悲しいかな何も泳いでいなかった。ちょこちょこ釣りを嗜んでいる俺にとってはボウズなんて珍しくもなんともないから平気だけど、後の二人が退屈してしまわないかが心配だった。けれども、そんな俺の心配を余所に二人とも楽しそうに釣り糸を垂らしていた。というのもひとえに清藤さんの凄まじいコミュニケーション能力のおかげなのだろう。これまで女子とまともに会話をしたことがなさそうな(※個人の感想です)木原でさえ、清藤さんの巧みな話術によってありとあらゆる引き出しを開けられていた。


 釣りは初体験であること。入学当初は水泳部に所属するも、先輩との人間関係が上手くいかず三ヶ月で辞めて今は帰宅部であること。好きな教科は化学であること。趣味というほどのものでもないけれど、太鼓の達人が好きで、週に一度イオン内にあるゲーセンに通っていること。音楽はスネオヘアーがお気に入りであること。これまで一度も彼女がいたことがないこと。明るくてハキハキした女性がタイプであること。最近、気になる人ができたこと。だけど、それが誰かは流石に言えないこと……等など、彼の私生活のことから好みの女性のタイプまで、特に知りたかった訳でもないけど知ることができた。


 木原と楽しげに会話している清藤さんの裏表のない笑顔から滲み出る愛想の良さが、彼女という美しい花をより高嶺まで押し上げているような気がして、俺とは住む世界がまるで違うのだと感じた。


 それなのに、そんな別世界で暮らす彼女と俺の距離がどんどん縮まっていっているような気がしてならなかった。ここ二、三日で急に気温が上がったため、熱中症による幻覚・幻聴の可能性も否定できないし、モテたいという願望と、モテないという事実の狭間で押しつぶされて、夢と現実の区別が付かなくなってきているのかもしれない。だけど、どちらにせよこういう場合は最悪のケースを想定して動けば問題ない。


 そもそも、色々考えたところで大塚のようにイケメンでもない俺がこの状況下で選べる選択肢は結局のところ一つだけ。


 太陽に近づきすぎたイカロス氏の悲惨な結末を知っている俺は、これ以上は清藤さんに近づきすぎないようにしよう、と心の中で密かに誓いを立てた。少し離れた場所から眺めておくくらいが、立場的にも目の保養的にもちょうど良い。


「ごめん、私ちょっとトイレに行ってくるね。釣り竿ここに置いておくから、見といてもらってもいい?」

「あ、りょーかい。道狭いとこあるから気をつけて」

「……関くん、ついてきてくれないの?」

「えっ……いや……えっと」

「もう、冗談だよ。木原君と仲良く釣りしててね」

「お、おう……」


 余計な一言を言い残して、清藤さんはトイレへと去って行った。

 異色の組み合わせであるこの三人の会話が奇跡的に途切れなかったのは、清藤さんという特上の潤滑油が存在していたからである。その潤滑油の供給が途切れてしまえば、たちまち軋みが大きくなり、やがては動かなくなってしまう歯車も同然だ。


「釣り、初めてって言ってたよな。どうよ、初めての感想は?」


 とは言っても、とりあえず歯車を動かす努力はしてみよう。リーダー決めの時から木原こいつとは仲良くなれる気がしなかったのが、ちゃんと話せば意外と馬が合うかもしれない。


「…………」


 ――前言撤回。この歯車、がっちりと固定されてしまっていて回らないようだ。


 思えば、三人で居たときも会話はすべて清藤さんを介していて、直接の言葉のやり取りはなかったかもしれない。食後に睨まれていた件と言い、どうも俺は知らずのうちに木原から嫌われていたらしい。……カレー食べすぎたことくらいしか思い当たらない。


 必然的に会話が途切れる。


 川の流れる音。風が吹く音。葉擦れの音。小枝が落ちる音。鳥とセミの鳴き声。人工的な音がしないこの空間は、極上のヒーリングスポットだ。隣の回らない歯車の事は忘れて、俺は母なる地球ガイアと一体になることを選んだ。


「……質問していい?」


 ガイアと一体になることを選んだ矢先、そんな人工的な音が聞こえた。まるで、人間の声帯が震えることによって発せられる音のような。そう、具体的には木原の声にとてもよく似ていた。


 ……ないないない。シカトしたばかりの相手に自分都合で声をかけるとか、そんな傍若無人な振る舞いが高校生にもなって許されるわけがない。これはあれだ、隙間風の音が人の声みたいに聞こえる的な、ちょっぴりオカルティックな現象が起きているだけに違いない。……気を取り直して、ガイアと一体になろう。


「清藤さんのこと、どう思ってる?」

「……は?」


 隙間風によるオカルティックな現象でもなんでもなく、その音は紛れもなく木原そのものから発せられていた。

 傍若無人な振る舞いに加え、突拍子もないその質問内容に少し苛立ちを覚えつつも、とりあえず回答する。


「どう思うって、何が?」

「――僕、清藤さんのこと好きになったんだ」

「……え?」

「これまでこんな気持ちになったことないから、よくわからないんだけど……きっとこれが好きって事なんだと思う」


 ……えーと。

 あ。清藤さんとの会話の中で出てきた最近できた気になる人って、清藤さんその人だったのか。そりゃあ、あの場で答えられないよな。

 ……ってあれ? そういうことじゃなくね?


「……いやいやいや、ちょっと待て。話が全く見えない。どうして俺に、急にそんな話を?」


 普通こういう色恋のカミングアウトはよっぽど信頼できる相手か、修学旅行の夜にしかやらないと相場が決まっている。俺は木原にとって信頼できる相手でもなければ、修学旅行先の旅館に雑多に敷かれた布団の中でもない。というより、木原こいつが誰が好きかだなんてまるで興味もないし、別に知りたくもなかった。


「……わかんないかな? 邪魔しないで欲しいってことだよ」


 全く予想していなかった言葉が返ってきたため、思わず閉口する。少しの間を置いてから木原は続ける。少しずれていた眼鏡を人差し指で戻して、見下しているかのような目を俺に向けながら。


「今日もずっと、僕の邪魔をしていたじゃないか」

「……はぁ? なんで俺が木原の邪魔をしなきゃならないんだよ」


 言いがかりと言うにはあまりにもお粗末なその物言いに対して、あからさまな不快感を上乗せして反論する。


 なぜ俺が木原の恋路の邪魔をしないといけないんだ? 相手が清藤さんだということを知った今、身の程を弁えやがれとは思うけれど、邪魔をする理由はどこにも見当たらない。


「君、清藤さんのこと好きなんじゃないのか?」

「……は? 馬鹿言ってんじゃねえよ。俺みたいな下民が清藤さんに対してそんな畏れ多い感情抱くわけないだろ」


 精一杯格好つけてみたものの、内容的に全然格好よくなくてびっくりする。

 木原は少し驚いたような顔して口を開く。


「そうだったのか。やたらと清藤さんと話しているようだったからてっきり狙っているのだと思ったよ」

「リーダーとサブリーダーっていう役割的に会話が増えるのは自然だろ。つーか、これまでと随分雰囲気が変わったな」


 目の前にいる男は、俺が知っている木原ではなかった。福吉さんにゆるキャラと形容されていた容姿に似合わない、ギラギラと鋭く尖った雰囲気はまるで別人のそれだった。


「あはは。好きな娘の前では猫を被りたくなるものだろう? そうか、僕の誤解だったようで安心したよ。君は僕の敵にならなくて済みそうだ」

「……誤解が解けたようで何より」


 深く関わるべきでない人種であると俺の直感が告げていたため早めに会話を切り上げるべく短く返す。けれども、そんな俺の思惑空しく、上機嫌な様子で木原は会話を続ける。


「そうだ。カミングアウトしたついでにお願いをしてもいいかな?」

「お願い?」

「今晩のナイトウォーク、男女ペアで回るんだってね。僕と清藤さんがペアになれるようにそれとなく誘導してくれないかな?」


 ……こいつ。図々しいにも程があるだろ。


「……俺が木原に協力する理由がなくないか?」

「理由がなくちゃお願いしちゃだめかい?」


 あっけらかんと答える木原に対し、ふつふつと込み上げる怒りを感じながら、努めて冷静を装う。


「……協力はしないし、邪魔もしない。一緒に回りたければ、自分でなんとかするこったな」

「そう。つれないね。まぁいいや。僕の邪魔さえしなければそれでいいよ」

「……頑張ってくれ」


 人に言えた義理ではないのは重々承知の上だが、まずは自分の顔を鏡で観察することから始めた方がいいよ、とは言わなかった。夢は大きく、目標は高く。近所の予備校だってそう謳っている。俺個人の意見としては、叶わない夢と届かない目標に意味があるなんて、とてもじゃないけど思えないけれど。


 ガイアによるヒーリングが追いつかないくらいに不愉快な気持ちにさせられたまま、時間は過ぎていった。清藤さんが戻ってきてからも色々と会話は続いたけれど、どんな話をしたのかあまり覚えていない。その代わり、心なしか先ほどよりも積極的になった木原を見て、言いようのない嫌悪感を覚えた。


 ――そして結局、一匹も釣ることができないまま、自由行動の時間は終わった。

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