2-3
「――というわけで、日程の詳細と各班に決めて貰いたい項目の説明は以上だ。何か質問があるやつはいるか?」
何が何だかよくわからないままサマーキャンプのリーダーに任命されてしまった俺は、清藤さんの眩しさに免じて渋々と現実を受け入れつつあった。つーか、今日の昼までキャンプの存在が頭から抜けてたやつがリーダーなんかやっていいのかよ……。あわよくば参加費という尊い犠牲を払ってバックれることも視野に入れていたというのに、さすがにそれはできなくなってしまったのが痛い。……千波さんに、なんて言って謝ろうかな。
質問なんかないからちゃちゃっと終わらせて解散しようぜ的な空気が流れ始めたとき、突如としてその質問は放たれた。
「はい! バナナはおやつに含まれますか?」
……ぶっ。誰だよ、ありそうだけど絶対にない小学生の質問百選に選ばれてそうな質問するやつは。完全にふざけてるだろ。若干つば飛んでしまったじゃねーか。
「そうだな――今回は特例として含めないこととする!」
……そしてタカムー、謎にノリ良すぎだろ。そもそもあんた、さっきの説明でおやつの話なんてしてたっけ?
「やった! バナナ好きとしては嬉しい限りです! 特例、感謝します!」
そう言ってガッツポーズをとって喜んだのは――まさかのうちのサブリーダーである清藤さんだった。目の前の光景がにわかに信じられずに目をこすって三度、瞬きをする。……うん、どうやら見間違いではないようだ。
そのやり取りを聞いた他の班の生徒が堪えきれず続々と笑い出し、真面目なムードが漂っていた教室の空気が一変した。俺はまさかの特例が出されたことに驚きつつも、清藤さんの〝バナナ好き〟発言が妙に頭に残り、湧き上がるムラムラとした妄想に少しの罪悪感を覚えてニヤけてしまいそうになるのを必死に堪えていた。きっと、この場にいる男子みんな同じ事考えてるよね? ……ね?
「他に質問がなければ各班、簡単に自由行動の計画を立ててくれ。終わった班から解散してもらって構わん」
先ほどの清藤さんの珍質問によって生まれた和やかムードのままで、各班話し合いに入っていく。班によっては全員きっちり残ったままの班もあり、うちの班員の薄情さを少し恨めしく思った。一日目の昼食後の自由行動は班単位での行動となるため、その中身について事前に計画して欲しいとのことだけど――
「……清藤さんって、ああいうキャラだったっけ?」
俺の知っている清藤さんとのギャップが余りにも大きかったため、思わず彼女に尋ねる。人当たりがよく、いつも笑顔で明るい印象だったけれど、大勢の前で笑いをとりに行くタイプではなかったように思う。
「キャラ? ああ、さっきの質問のこと?」
「そうそう。漫画とかじゃ定番だけど、リアルで言ってる人初めて見たもんで……」
「ふふ。――だって、関君すごく難しい顔してたから」
「……え?」
清藤さんはちょっと照れたような顔で目をそらす。
「せっかくのキャンプなんだし、関君も一緒に楽しんで欲しいなって思って。だから、ちょっとだけ……頑張っちゃいました」
そう言って、てへ、と少し恥ずかしそうに笑う清藤さんを見た俺は――例によって顔が沸騰し、心臓がバクバクと五月蠅く鳴り始めましたとさ。……あっれ、最近この症状やたら多くね? 実は病気なのかな俺?
……落ち着け、俺。清藤さんは単純に『つまらなさそうにしてる人が近くにいると、こっちまでつまらなくなる』的な理論で動いただけであって、そこに何も他意はない。対象はもちろん俺である必要はなく、誰が相手であっても同じ事をしていただろう。うん、きっとそうに違いない。……ああ、危うく勘違いしてしまうところだった。危ない危ない。
非モテにありがちな、女の子に少し優しくされて「あいつ、俺に気があるんじゃね?」と滑稽にも勘違いした末に待ち受ける残酷な未来を想像して身震いした。千波さんの件もそうだけど、もっと身の程を弁えた上で女子と接していかねば、と自分に言い聞かせる。
「そ、そっか。俺そんなやばい顔してた?」
「うん、すっごく。眉間にエグめのシワが寄ってたよ?」
そう答える清藤さんは、どこか楽しそうで。
「マジか。今日は日課のシワ取りマッサージを念入りにやらないとな……」
「それ、絶対日課にしてないでしょ」
気がつけば、俺も釣られて笑っていた。何かとても大事な事を考えて悩んでいたような気がするけれど、楽しそうに笑う清藤さんを見ていると、今だけはそれを忘れたままにしておこうと思えた。
「自由行動、何をするか決めよっか」
「そうだね! 私、このキャンプ場でできること色々調べてきたんだ――」
清藤さんと色々と話会った結果、俺たちの班の自由行動はキャンプ場近くを流れる渓流で釣りをすることになった。
そのキャンプ場では有料でスポーツ用具や釣り具などの貸し出しを行っており、最初はソフトバレーでもしようかという話になったけど、井田原さんがあまり運動が得意ではないことを思い出したらしく、別の案を検討することになった。勝手な予想だけど、見た感じ木原も運動が得意ではなさそうな感じだったのでちょうど良かったと思う。かくいう俺は、帰宅部のエースではあるが別に運動が嫌いなわけではないため、そこそこに動ける……はず。そのうち話題はスポーツから釣りへと移り、清藤さんがこれまで一度も釣りをしたことないと言うから、特に深く考えずに「よかったら教えようか?」と口に出した瞬間に、うちの班の自由行動の内容が決定していた。
海が近い町に住んでいることもあり、海釣りは子供の頃からよくやっていたけど、よくよく考えると川釣りは一度もしたことがないという事実は「楽しみにしてるね!」とはしゃぐ清藤さんを前にして言うに言い出せなかった。……YouTubeを見て勉強しておこう。
タカムーに自由行動で釣りをすることを伝え、帰宅準備を始める。他の班は早くに決まっていたらしく、残っていたのはうちの班だけだった。最後の班の報告を受けたタカムーは早々に職員室へと戻り、オレンジ色に照らされた教室内には俺と清藤さんの二人だけが取り残された。
「――関君さ、」
不意に声をかけられ、筆記用具を片付けかかっていた手を止める。
「ん?」
振り向くとそこには先ほどまでの雰囲気とは随分と違う、ほんの微かな哀愁を身に纏った清藤さんが立っていた。オレンジ色に染まった清藤さんは、一呼吸空けて口を開く。
「最近、前よりも格好よくなったよね」
「……へ?」
……今格好よくなったとかそんな単語が聞こえたような気がするけど気のせいだよな? 俺に一番似合わない言葉だし。あ、さっきまで大塚も一緒に居たし、もしかしたら俺を大塚だと勘違いしているのかもしれない。きっとそうだ。
「その、先週――」
清藤さんが何かを言いかける。
「……先週?」
「んーん。やっぱりなんでもない」
「……そっか」
また少しだけ、あの気まずい空気が流れはじめたように感じた。帰宅準備を再開するかどうか悩んでいると、清藤さんが再び口を開く。
「――千波さん、随分と雰囲気が変わったよね。すっごく可愛くなった」
「……へ?」
突然、千波さんの名前を出されてドキリとする。
「一年の時に委員会が一緒でさ。話したことはないんだけど、何度か顔を合わせたことがあってね。可愛いのに勿体ないなぁって、勝手に思ってたんだ」
「……そう、なんだ」
清藤さんの話の意図が掴めず、適当な相打ちを打つ。しかし、去年の段階で千波さんの可愛さを見抜いていたとは……。男と女では、女性を見るときの視点が根本的に異なっているのかもしれない。……別に、エロい意味ではなくて。
「関くんさ。最近……千波さんと仲良いよね」
「……そうかな?」
――ああ、こっちが本題か。
いつかは、誰かに聞かれることになると思っていた。今まで大した接点がなかった二人が行動を共にしている時点で、そこに何かがあったことは明白過ぎる。
「うん。毎日お昼一緒に食べてるみたいだし、女子の間でちょっとした話題になってるよ。知らなかった?」
……大塚め。清潔感云々で話題になっていることは聞いていたが、千波さんとの関係まで話題になっているとは聞いてないぞ。あいつ、こういう状況になることを想定して楽しんでるんじゃないだろうな……。
「へ、へえ。全然知らなかった」
「その……付き合ってるの?」
うわぁ、すっげえ色々聞いてくるじゃん……。清藤さんにとって俺みたいなゴミが誰とつるんでようがなんの関係もないはずなのに。だけど、「別に清藤さんには関係ないだろ?」的な感じで突き放すと今後の関係、差し当たってはキャンプに影響が出そうだし、何より千波さんとの関係に怪しさが加わってしまう。……さて、どうしよう? この質問に対する答えはNOで明確なんだけど、それだけだとどうせ「じゃあなんで一緒にいるの?」って話になるのは目に見えている。まさか馬鹿正直に死ぬ運命を変えてもらうため、なんて言うわけにはいかない。
「――前にも言ったけど、別にそういう関係じゃないよ。……その、知り合いがちょっと困ったことになってて、たまたまその分野に千波さんが詳しいことを俺が知ってたから、色々と相談にのってもらってるだけだよ」
……即興で思いついた言い訳としては、いい線言ってるんじゃなかろうか。追求されたとしても
「……そうなんだ。てっきり、関君は千波さんのこと好きなんだと思ってた」
……ぶふっ。
「……自分が非モテである認識はあるからね。そんな畏れ多い感情は抱かないよ」
ほんの少しだけ動揺してしまったことに驚きつつも、素直な気持ちを答える。
「そっか。そうなんだね」
それを聞いて、にっこりと笑う清藤さん。先ほどまで漂っていた哀愁も気がつけば消え去っているようだった。……非モテってところ、そんなに面白かったかな?
「それじゃあ私……頑張ってもいいんだね」
「……え?」
「なんでもない! 部活、行ってきます!」
清藤さんは鞄を持つと、俺の返事を待たずに教室の出口へと足早に歩いて行く。部活……たしかバドミントン部に入ってるんだっけ?
「お、おう……」
ゆるく結われた栗色の髪が靭やかに揺れるのを眺めながら、よくわからないけどとりあえず千波さんとのことを誤魔化すことができたことに安堵していると、教室を出たあたりで不意に立ち止まった。
「どしたの? 忘れ物?」
清藤さんは振り返って、満面の笑みで口を開く。
「――キャンプ、楽しみだねっ!」
真っ直ぐな瞳で俺にそう告げると、満足そうな様子で立ち去っていった。
オレンジ色の教室に一人、取り残される。嬉しいやら恥ずかしいやら、なんだかよくわからないピンク色の感情に支配される。俺がもしも大塚だったら……もしくは、相手がもっと平均的な感じの女子であれば、自分にも青春が到来したことに疑いをもたなかったんだけどなあ。顔・性格・スタイル(主に胸)どれをとっても偏差値最上位クラスに位置するあの清藤さんだもんな。俺ごとき羽虫に対してそんな感情を抱くわけがない。ただ、羽虫に対しても等しく優しいというだけ。さすが、性格偏差値最上位クラスなだけはある。
……そう自分に言い聞かせたけれど、この五月蠅い鼓動はしばらく鳴り止みそうになかった。何か、とても大事なことを置き去りにしたままで。
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