第607話 みやびの人を見る目

 ――ここはイラコ号のトマト栽培エリア。


直人飯塚、トマトのお尻ばかり見ているが、そんな趣味があったのか?」

「ちょっ、違う!」


 お揃いのTシャツにオーバーオールを身に纏った、ジェシカ領事が飯塚をイジリ始めた。愛する夫がスオンの儀式から目覚め、嬉しくて何か言わないと気が済まないのだろう。


「カルシウムが不足すると、トマトは尻腐れ病になるんだ」

「そいつは厄介な病気だな、だからお尻を見てたのか」

「三大栄養素の、窒素とリン酸にカリウムのバランスは把握できてる。でも他の微量栄養素については、まだまだ手探り状態なんだよ、ジェシカ」


 マミヤ号とイラコ号での作物栽培は、エリア毎に仕切られクリーンルーム化されている。ゆえに病原菌や害虫の心配は無いけれど、微量栄養素が不足すると植物特有の病気が起きてしまう。

 そこんとこは人間と同じく、不足しちゃ困るし、過剰に摂取したら別の問題が起きるしで、さじ加減が難しい。トマトの場合はカルシウムが過剰だと、葉っぱの先端や葉周りが白くなり枯死こしする症状が出ると飯塚は眉尻を下げた。


 農家が畑に苦土くどを蒔くのはマグネシウムの補充。石灰を蒔くのはカルシウムを補充する作業。石灰は校庭のライン引きでお馴染みだが、アルカリ性だから酸性に傾いた土壌の中和にも役立つ。


 ジャガイモは酸性土壌を好むけれど、作物だって十人十色。弱酸性を好むタイプもあれば、中性の土壌を好むタイプと色々ある。土に親しむとは育てたい作物に合わせて、畑のPHペーハーを把握し、必要な栄養素を整えるって意味合いも含まれている。


「ジェシカは領事室を与えられてるけど、夜は俺の部屋に来いよ」

「行っていいのか? 直人」

「だって俺たち夫婦だろ」


 並んでいるトマトの株、その葉が微かに揺れた。

 きゅんと来ちゃったのか、血の交換をおねだりするバハムル族の竜。唇を重ねる新生スオンを、赤く熟したトマトの実が祝福しているかのよう。


「いま入ったらお邪魔虫だねー、メライヤ」

「むぅ、空気を読まないお邪魔虫になるわね、メアド」


 ミックスナッツ星の海水で作った食塩が、旨みとほんのり甘味がある美味しい塩であった。これをトマトに振って食べたいと思い立ったのだが、栽培エリアに足を踏み入れ難く、立ち往生している青い人とスフィンクスにもう一人。


「トマト畑で接吻なんて、ステキですぅ」

「ホムラが花咲かせてるよ、メライヤ」

「まーたアルコール爆弾が生まれるようね、メアド」

「乙女の果実は爆弾じゃありません、メライヤさま!」


 一緒でしょう、いいえ違いますと、ピーチクパーチクの青い人と黄緑色の人。この場合スフィンクスは介入しないスタンス、だって見ていて面白いから。


「三人ともどうかしたの?」

「これはみやびさま、ちょっと中に入りずらくて」


 塩の入った小瓶を手に、はにゃんと笑うメライヤ。その顔と室内を交互に見て、ああそう言うことねと、みやびもはにゃんと笑う。

 ポリタニアに船内を案内している途中だったのだが、マーメイドの御御足おみあしからウロコがにょきにょき生えてきた。トマト畑でチューしてる飯塚とジェシカに、心を乱されたもよう。


「もーらいっ」

「私ももらうのだー!」

「このウロコ美味しいですよね」

「あのね、私はおやつ製造機じゃないのよ」


 眉間に皺を寄せ、唇を尖らせるポリタニア。

 対してそんなもんどこ吹く風と、ポリポリ頬張る青い人に黄緑色の子とスフィンクス。固いこと言わないでと、ホムラが実ったアルコール爆弾をプレゼント。

 ところがマーメイドはアルコールに強いらしく、乙女の果実を食べてもへっちゃらだったりして。これは良い消費先が出来たわと、思わず口の両端を上げてしまう任侠大精霊さまである。


「カエラが味玉にするからって、いま半熟ゆで卵を煮てるわよ。その塩はゆで卵にもばっちり合うと思うな」


 みやびの情報におおうと頷き、三人は連れ立ってアマテラス号へとそそくさ移動して行く。その背中にアルネがお昼のデザート用にスイカを切ってるから、それも試してみたらなんてアドバイスを送るみやびである。


 醤油と味噌を醸造する上で、塩は重要な素材。ノアル国産に匹敵する上等な塩が、宇宙の暗黒空間で入手できる意義は大きい。そんなわけでみやびだけでなく、麻子も香澄も上機嫌なのだ。


 ところで船に乗り込んだポリタニアだが、下半身は二足歩行ができる人間の足をキープしていた。活魚を泳がせておく生け簀いけすがあるので、人魚の時はそこでくつろいでねって話しにはなっていたのだが。


 ところが地底人と同じく海底人も、女子は純情な子が多いっぽい。みやび組・麻子組・香澄組・アルネ組・カエラ組、その仲睦まじさに影響を受けているのか、下半身が人魚に戻らないポリタニアである。


 そんなわけでみやびが彼女に支給したのは、競泳用の水着とビーチサンダル。ヤドカリのクマモとミノカは、主人が水着を着用しても乳房に張り付きガードしている。 

 割りと豊満なポリタニアの乳房を、背負ってる巻き貝でうまいことカモフラージュしてるからグッジョブなのかも。ハサミをにょきっと出して何かちょうだいと、要求してくる辺りが小憎らしいと言うか何と言うか。


「葉菜類のエリアで何かもらおうね、クマモ、ミノカ」


 ヤドカリは雑食性だから、人間が口にで出来るものなら何でも食べる。むふっと笑うみやびにヤドカリコンビが大喜び。あまり甘やかさないで下さいと、ポリタニアが釘を刺したりして。


「総長……いえお嬢さん、申し訳ありません!」


 葉菜類のエリアを訪れたみやびだが、石黒が駆け寄り彼女に対し、腰を九十度に曲げ詫びを入れてきた。何事と驚くみやびに、石黒は大葉を育てているコーナーに人差し指を向けた。


「ぜんぶ花が咲いちゃいまして」

「あらまあ」


 窒素は葉っぱを育てる栄養素。

 リン酸は花や実を付けるのに必要な栄養素。

 カリウムは根っこを丈夫にする栄養素。


 大葉は葉っぱを食用にするから、水耕栽培に於いては窒素が重要となる。トマトを含めた果菜類はリン酸、大根や人参といった根菜類はカリウムに重きを置く。

 背丈が一メートルにも達していない大葉が、一斉に花を咲かせたこの状況。まあ三大栄養素のバランス取りに、石黒は失敗したってことだ。

 こうなると花芽を摘もうと何をしようと、大葉が花を咲かせようと決めたら止められない。新しく生えてくる脇芽から何から、全てが花穂になってしまうわけで。


「育て直す大葉が大きくなるまで時間がかかります、あいすんません! お嬢さん」


 刺身の付け合わせはもちろん、和食で大葉は色んな用途がある。細長く刻んで豆腐に乗せて、お醤油を垂らしたらもう最高。醤油漬けにして葉にご飯を包んで食べたならば、もはや白米泥棒と言っても過言ではない。

 その大葉がしばし使えなくなる。花を咲かせると意思を固めた大葉は栄養を花穂に集中するから、大葉が持つ特有の風味が落ちるし歯触りも悪くなる。栄養科三人組にとっては、ちょっとした痛手になるのだ。


「こうなった栄養素のバランスデータはあるのよね、石黒さん」

「はいお嬢さん、同じ失敗は二度としません」

「ならいいわ、花穂もお料理に使えるからぜんぶ収穫してね」


 そう言いながら花穂を摘む任侠大精霊さま。

 もらったヤドカリコンビが美味しいねと、ハサミを器用に使いもぐもぐしている。その姿は愛らしいけれど、ポリタニアのおっぱい上でやってるわけで、傍から見たら笑うに笑えない絵面である。


「部下に優しいのだな、みやびさまは。海底都市の衛兵だったら懲罰ものだ、きっと人望も厚いのであろう」

「あはは、買い被りすぎよ、ポリタニア領事。私は人を見極めてるだけ、信用出来る人物かどうかをね」

「その基準、聞かせてもらっていいか?」


 単純明快よと、みやびは人差し指を立てウィンクして見せる。

 自分に非があると認め、ごめんなさいと言える人物かどうか、その一点だけだと。石黒は言い訳することなく、まずは謝罪の言葉を口にした。ミスの原因も把握しており、同じ間違いを犯さないと分かる。ならば責める必要なんて無いでしょと、みやびは摘んだ花穂をクレクレ状態のヤドカリコンビに与える。


 みやびが烈火の如く怒る相手とは、自分のミスをミスと認めないタイプだ。当然ながらごめんなさいってセリフが、その口から出ることはまずない。なぜならば悪いのは自分じゃなくて、上司だ会社だ社会だ世間だって思考回路になっているから。


 十界じっかいに於ける三悪道に闇落ちした魂の典型であり、救い出したいから本気で怒るのだ。自分が自分がではなく、その思考を振り払い自分とみんなが、それが魂を磨き浄化する方法だとみやびは知っているから。


 無敵の人、最近はこんな言葉が使われるようになった。自分がやらかした事でどんな結果が生まれるか、まるで考えてない人の事を指すようだが。

 秋葉原の無差別殺傷事件も、

 小田急線と京王線で起きた殺傷事件も、

 小学校に車で侵入し児童をはねる事件も、

 恨みどころか面識すらない相手を傷付ける、三悪道に落ちた情けない魂の成せる業と言えよう。そんな手合いに限って裁判では、反省したふりをして減刑を求めるふてぶてしさをあわせ持つ。


 任侠は常に弱者の味方であろうとする。地獄界・餓鬼界・畜生界の三悪道へ落ちた者に任侠たる資格はない。だから言い訳することなく、ごめんなさいと言える魂をみやびはいつくしむのだ。

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