第566話 宇宙を泳ぐ魚たち
日本人は塩分の摂り過ぎを、イコール高血圧と捉えるフシがある。過去の減塩ブームにより、そんな風に刷り込まれてしまい浸透したと言えるだろう。だが腎臓疾患などを抱える一部の方を除けば、塩分と高血圧の直接的な関係は未だ解明されていないのが実情。
「日本とシンガポールはさ、塩分摂取量が上位の国よね、麻子。でも長寿国ランキングで見ると一位と二位だったりして」
「韓国も日本並みに塩分を摂取してるけど、長寿国三位なのよね、香澄」
ここは蓮沼家の台所。なんでこんな話しをしているかと言えば、沖縄のメール党員からお高い塩が届いたからなんだが。みやびがひと舐めして、うん美味しいと目を細めた。
海水から精製した塩には、カリウム・カルシウム・マグネシウムといった、人体に必要な微量ミネラルが含まれている。この割合で塩の味が決まり、産地による味の違いが出るわけだ。
化学的にナトリウムを99.5%以上にまで精製し、微量ミネラルを取り除いちゃったお安い塩は、ただ塩っぱいだけなので栄養科三人組は使わない。
「塩分を取り過ぎたら、腎臓が調整して排出してくれるのよね、香澄」
「そうそう、その働きを助けてくれるのがカリウムなのに、なんで取り除いちゃうのかしらね、麻子」
この塩分(ナトリウム)は細胞の浸透圧を維持するのに必要で、ただ減塩すればいいってもんじゃない。真夏に屋外で働くガテン系の人、外でスポーツを楽しむ人、そんな人と屋内で体をあまり動かさない人と、塩分摂取量が同じで良い訳がない。
人体の電解質を調節し、不要な塩分を体外に排出する。その手助けをする相棒がカリウムなのだ。野菜や果物、海藻や魚介類から摂取できる必須ミネラルである。
塩分高めの食事環境でも、カリウムの摂取でバランスを取っている、それが長寿国の特徴ではないだろうか。
「カリウムの値が3.5を下回ったら危険な状態。この前の講義でそんな話しがあったよね、麻子、香澄」
思い出したようにみやびが言い、二人もそうだねと頷きお高い塩を舐める。
血液検査を行えば、体のナトリウムとカリウムの量が分かる。検査結果をお医者さんに聞けば、普通に教えてくれるだろう。
正常値はナトリウムが135~147、カリウムは3.5~5.0。減塩のし過ぎだったり、偏った食生活でカリウム不足だったりすると、真夏の炎天下でぶっ倒れ救急搬送待ったなし。助かれば良いが、そのまま棺桶行きでは人生寂しすぎる。
「和歌杉おばあちゃんって知ってる? 二人とも」
「和歌杉友子さんよね、みや坊。食育の第一人者で有名な人だったかな、香澄」
「食育の書籍、いくつも出版してるよね、麻子」
「その書籍にね、こんな下りがあるの。肉を食べない食生活なら、減塩する必要は無いって」
海なし国で岩塩も産出しない地域に暮らす人々は、動物の肉や血から塩分を補給している。肉を食べないならば、野菜や魚介類が食事の中心となっているはず。カリウムが足りている訳で、無理に減塩しなくても良いという考え方だ。
思えば長寿国である日本もシンガポールも韓国も、海に面した国で食事に魚介類を取り入れている。もちろん野菜も果実も摂るから、結果としてバランスが良いのだろう。
「こんな美味しい塩、お結びかお吸い物よね、麻子」
「うんにゃ、塩唐揚げにも良さそうだよ、香澄」
「どっちにしても高級品になりそうね」
破顔するみやびに、塩がお高いですもんねーと唇の両端を上げる麻子と香澄。
ロマニア侯国も塩の産出国ではあるが、それでもノアル国産を取り寄せているのは美味しいから。味噌も醤油も梅干しも、基本の素材は塩ですゆえ。
「ところでメライヤの話し、みや坊は信じてる?」
「宇宙で魚群と遭遇するって件よね、香澄。この目で見ないと、信じられないと言うか何というか」
宇宙を回遊するクジラの群れや魚の群れが存在するという、まるでおとぎ話のような世界。だが実際に遭遇すれば、アメロン船団の乗員は漁師と化すんだそうな。
ほぼ真空状態の宇宙で、どうして生きているのだろうか。少なくとも肺呼吸やエラ呼吸ではないはずで、そもそもどうやって泳いでいるのやら。
アメロン船団は放射能除去装置を持っている。釣り上げた宇宙の魚は放射能を中和され、領民の糧になるという。遭遇すること自体が天の恵み……もとい宇宙の恵みなんだそうな。
お味は? とみやびが尋ねれば、メライヤは聞くなと遠い目をする。この時点でお察し、ひどい味らしい。私らが調理したらどうなるかしら、それが栄養科三人組の関心事であった。
「取りあえず冷凍されていた、イワシっぽい魚をサンプルでもらったけど」
みやびがまな板に宇宙イワシをぽんと乗せ、むむむと顔を寄せる麻子と香澄。形はイワシにそっくりだけど、体表が金光りと言うかメタルっぽい。
銅色と銀色と
「に、臭いが、麻子」
「ドリアンと、くさやの干物と、硫黄の臭いを足して三で割ったような。これ食欲が湧いてこないよ、香澄」
レアムールとエアリス、アルネ組とカエラ組、そしてマーガレットが、これは危険だと台所からそそくさ逃げ出していく。
それでも実食して確かめるべしと、箸を握る栄養科三人組。リッタースオンだから毒無効、何があっても死にゃあしないわよと。
「
「
「船団の人たち、よく食べられるわね」
腐敗した生ゴミを食べたらこんな味かしらと、調理台に突っ伏す栄養科三人組。けれどちょっと待って下さいと、アリスが箸でエラ蓋をこじ開けた。エラが付いているのだから、水中でもエラ呼吸して泳ぐのではと。
「そのココロは? アリス」
「海水でしばらく飼育すれば、味が変わるかもしれません、お姉ちゃん」
それは試してみる価値あるかもと、麻子と香澄が頭をむくりと持ち上げた。同じく顔を上げたみやびが、宇宙魚群探知機を錬成しようと言い出しちゃったわけで。
――そしてここはオリオン大星雲。
メライヤによると、宇宙魚群を観測できるのはほぼ星雲なんだそうな。甲板で釣り竿を手に、ウキウキ顔をしている真戸川センセイ。そんな彼の肩を、後ろからみやびがぺしぺし叩いた。
「先生はどうお考えなのでしょう、聞かせてもらっても良いですか?」
「宇宙には隕石やチリだけでなく、実は原子や分子なども漂っているんだよ、みやびさん。そういった星間物質がより多く集まっている場所、それが星雲なんだ」
原子や分子をエサとするプランクトンがいて、それを食べる小魚がいて、更に小魚を食べる大型の魚がいる。そしてこれらの生物は、水素を分解して酸素に変える器官を有しているのではないだろうか。私は生物学に疎いけどねと笑う、これが真戸川の見解であった。
「みや坊、魚探に反応が出た」
「船を回すね」
魚探を手にする麻子と、コントローラーを手にする香澄が、魚群に向かってアマテラス号を動かし始めた。亜空間倉庫には錬成した大型の
「真戸川センセイ、すごいですね」
「これは壮観ですね、みやびさん」
魚体をキラキラ輝かせながら、群れが船を避けるよう上下に分かれ、悠々と泳ぎ去って行く。ちなみに釣った魚は、シールドをすり抜けるよう改良を施してある。
「まさか宇宙でルアーフィッシングをやることになるとはね」
そうは言いつつも、楽しそうに真戸川がキャストを始めた。栄養科三人組と愛妻たちも、アルネ組とカエラ組も、そーれとロッドを振る。狙っているのは群れを追いかけている大型の魚だ。
「それってブリ? 麻子」
「あはは、五円玉みたいな色だけどね。みや坊のはビンチョウマグロっぽいけど」
「新品の十円玉みたいな色だよね」
ともかく釣れる魚がどれもこれも、ピッカピカのメタリックカラー。取りあえずメライヤから借りた、放射能除去装置を使ってみる。
形はハンドタイプで起動させると、緑色の光りが線状に放出される。まるでCTスキャンのように、光りで魚体をなぞるわけだ。これで宇宙で浴びた放射線を、中和させることが出来るらしい。あとはみやびが、亜空間倉庫の生け簀に瞬間転送。
そんな中で黒地に金と赤の斑模様をしたでっかいやつが、群れの一部をぱくっとひと飲み。これが宇宙クジラかと、誰もが息を呑んだ。宇宙空間でも食物連鎖の頂点に君臨するのは、やっぱりクジラなのねと納得するみやび達であった。
「ちゃんと生きて、泳いでるね香澄」
「そうだね麻子、日本から持ってきた、カタクチイワシもパクパク食べてる」
水族館並みの巨大な生け簀を見上げながら、果たして食用になるのかしらと、誰もがそう思っていた。まあやってみなきゃ分からない、結果はしばらく飼ってみてからだ。千住丸さま率いる子供たちがアクリルガラスに張り付き、泳ぐ魚を夢中で眺めていた。
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