第135話 灌漑工事の竣工式

 みやび達は近衛隊とマイア州守備隊を引き連れ、クアラン国の地方都市ムランジールを訪れていた。

 水の都ラグーンのオルト川で始まった灌漑工事が、あと一撃でムランジールを流れるシムス川に繋がる。水属性のリンド達が水を堰きとめ、最後の一発を待っていた。

 護岸工事もここまで完了し、クアランの民が畑に流す支流を毛細血管のように広げている最中だ。


 この竣工式には前回と同様ランハルト公も招待され、クアラン王と共に貴賓席で談笑している。そこへみやびとファフニールが、挨拶も兼ねて派遣する小さい板前さんを紹介した。


「おお、待遇に不備があれは遠慮無くわしに言うがよい」

「ランハルト公の仰るとおり、クアランでも歓迎するぞ」


 満面の笑みで派遣を喜び合うランハルト公とクアラン王に、自ら志願した女の子二人はよろしくお願いしますとカーテシーでご挨拶。

 両手でスカートの裾を軽く手で持ち上げ、片足を引いてちょこっと膝を曲げる。女性が位の高い者に対して行う、帝国では伝統的な礼儀作法である。


 二人の君主がほう、と目を細めた。カーテシーが出来ない、いややろうとしない貴族の息女が増えて来たため、新鮮に映ったらしい。

 これこそアーネストがどこに出しても恥ずかしくないと自信を持って言える、宮廷作法を身に付けた子供達なのだ。

 

「まだ教会での教育が残ってるから、三ヶ月周期の交代制ね。ところで持参する調味料が荷馬車一台分だけど、連絡した通り用意してもらえたかしら?」


 みやびの確認に、もちろんと頷く二人。ならば積み込みは任せてと、彼女はポンと胸を叩いた。まあ亜空間から荷馬車に直接でんでんでんと置いていくだけだが。


 運動会テントに行った小さい板前さんが、お盆を手に戻ってきた。一人がお好み焼きを、もう一人が焼き鳥セットをテーブルに置いてお毒味しましょうかと尋ねる。


「わはは、要らん要らん。リンドを信用できなくなったら世も末じゃ」


 豪快に笑うランハルト公がネギマを手に、その通りとクアラン王がカット済みのお好み焼きに手を伸ばす。

 後ろに立つ護衛と側近達が慌てているけれど、お前達も食えと二人は皿を持ち上げた。共に分かっているのだ、料理は更に続き一品で満腹となる訳にはいかないと。


「それじゃみや坊、行きましょうか」

「うん、それじゃ最後の一発やってこよう」


 頷き合い、ファフニールとみやびは川床に降りていった。ファフニールはキトンの中に左腕を入れて竜化し、ブーツと腰帯をランドセル型鞄に回収したみやびが背に跨がる。


 器用にホバリングしながら、ファフニールは最後の壁に機首を向けた。水を堰きとめている水属性のリンド達も、運動会テントの近衛隊達も、ランハルト公もクアラン王も、工事に携わった職人達も、その瞬間を待っていた。


「ファニー、帰ったら一緒にお風呂入ろうね」

「どうしたのみや坊? いつも一緒に入ってるじゃない」

「なんかね、今日はファニーとずっとイチャイチャしたい気分なの。書類仕事はなしね、面会も全てお断り」

「……バカ」


 竜化してもそれと分かる赤面に、みやびがファニー大好きと笑いながら魔力弾を放った。地属性と風属性の合わせ技が、最後の壁を木っ端微塵にぶち抜いていく。

 シムズ川の水が濁流となって吹き出し流れ込み、水属性のリンド達が堰きとめていた水を一斉に解放していく。

 オルト川の水とシムズ川の水が激しくぶつかり合い波を立てながら飛沫を飛ばす。源流の異なるふたつの川が渦を巻きつつ繋がる光景は、まるで満潮時の河口が如し。


 そのすれすれをホバリングしながら見守るみやびとファフニール。飛び散る飛沫がキラキラと反射し、幾重にも虹を架けていく。


「うっひゃー冷たい!」

「でもみや坊、虹が綺麗よ。この世界にはこんな美しいものがあったのね」

「あらファニー、世界は美しいものに溢れているわ」


 ずぶ濡れになりながらも、みやびは楽しそうに両手を広げ空を仰いだ。誰に尋ねるでもなく、そうだよねーと叫ぶ。

 するとまるで応じるかのように、虚空に八花弁の紋章が浮かび上がった。その紋章から、七色に変化する光の粒が舞い落ちる。


 その場にいる誰もが精霊の存在と加護を改めて確信していた。舞い散る光の粒と幾重にも重なる虹の架け橋は、間違いなく精霊が起こしたもう奇跡であり祝福。


 そして悠々と羽ばたくファフニールと騎乗するみやびは虹と光に包まれ、まるで大精霊を描いた一幅の美しい絵画のようであった。


 ランハルト公とクアラン王の文官が、この情景を後世に残そうとペンを必死に動かしている。工事関係者達は震える手を胸の前で組み、虹と光の粒が消えるまで祈りを捧げ続けた。


「クアラン王よ、そなた泣いておるのか?」

「泣きもしよう、ランハルト公。八年前のあの時、我が国は飢饉に襲われロマニアに援軍を出せなかった。無理を押してでも助太刀に行くべきだったのではと、今でも思い悩む」

「八年前は先王の時代、そなたは王子であっただろう。それに先王はわしに連合を組もうと打診してきた。悔い悩むことなどありはせん、これから先の未来を見据えよ」


 そこへ人の姿に戻ったファフニールと、髪から水を滴らせたみやびが戻ってきた。共に服はびしょ濡れで、火属性と風属性の合わせ技で一気にドライ乾燥を実行するみやび。

 仲良く手櫛で髪を乾かす二人を、ランハルト公とクアラン王は眩しそうに眺めた。この世界をひっくり返すかも知れない、精霊に一番近い存在を。


「それでフュルスティン・ファフニールよ、書簡にあったメリサンド帝国内に於ける不穏分子とやらの話し、詳しく聞かせてもらえぬか」


 貴賓席のテーブルを囲み、ランハルト公がフランクフルトにマスタードとケチャップを付けて頬張る。クアラン王もチキンナゲットをバーベキューソースに付けて頬張る。

 そんな二人にファフニールがビュカレストで起きた事件と、西シルバニアで起きた事件を掻い摘まんで話した。法王から助言も授かり、モスマン帝国と水面下で通じている一派の存在が世界を破滅に導く導火線になっていると。 


「クアラン王よ、わしと一緒に皇帝陛下に会いに行こうではないか。場合によっては戦の準備が必要じゃ」

「喜んでお供いたしましょう。それにしても相手がモスマンではなく身内の領邦国家とは、歯がゆいですな」


 メリサンド帝国はいま風雲急を告げている。前門の虎不穏分子後門の狼モスマン帝国。かつて無い危機的状況に、二人は杯をぶつけぶどう酒を煽った。

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