第107話 フライフラウ・アルネ

 君主ファフニール・フュルスティン・フォン・リンドは、四つの伯爵位を併せ持つ皇帝直属の侯爵である。

 彼女はその伯爵位を臣下に譲渡して統治を命じるが、実はこれら伯爵位も皇帝直属の臣下として扱われる。


 宮中伯きゅうちゅうはくは直轄領としてファフニールが侯爵と兼務。

 方伯ほうはくでありシルバニア卿のラングリーフィン・みやび。

 城伯じょうはくでありビュカレスト卿のブルクグラーフ・ブラド。

 辺境伯へんきょうはくでありモルドバ卿のマルクグラーフ・パラッツォ。

 これら伯爵位を、総称して帝国伯ていこくはくと呼ぶ。


 同じ伯爵という地位でも帝国伯の場合は、一国一城のあるじで自治権を有する。みやびもブラドもパラッツォも、身分は小国の王と同格かそれ以上なのだ。


 モスマン帝国からの侵略を防ぎ、皇帝にもしものことがあれば馳せ参じる義務を負う。皇帝から忠義の証として授与される特別な伯爵位、それが帝国伯と言える。


 その特別な伯爵である、みやびの配下に属しているアルネ。彼女が叙任式を受け爵位を持つ意味は、皇帝直属の臣下としてその末席に加わるということだ。


 ヨハンの亡き父が正にそうであった。前君主ラウラから子爵の叙任を受け、グレーン州で国営事業である羊の放牧事業をオアナに展開していた。

 ヨハンがオアナを含むグレーン州の領主となったのは、これも巡り巡った縁なのかも知れない。


 さて、場面をファフニールの執務室に戻そう。


 今のアルネは緑茶の味もイチゴショートケーキの味も分からなかった。

 ラングリーフィンがフライフラウと呼んでいる。誰だろう? 早くお返事すればよいのにと、アルネはケーキをもそもそと咀嚼する。


「フライフラウ・アルネ」


 自分だったと気付いた瞬間ケーキが喉に詰まり、むせかえるアルネ。大丈夫ですかぁと、ローレルが背中をパシパシ叩く。


「す、すみませんラングリーフィン! 敬称に慣れてなくて」

「いいのよ、私も最初は慣れるの大変だったから。でもここからは大事なお話しになるから、シャキッとしてね」


 侯国の宰相であり近衛隊の総監でもあるみやびが、人差し指を立てて茶目っ気たっぷりにウィンクした。


「アルネ、私にとって教会の子供達は帝国に料理を広める大切なキーパーソンなの。だからただの配下では困るのよ、この話し受けてくれるわよね」


 アルネはずるいと思った。そんな風に言われたら断れるわけがない。けれどみやびと出会わなかったら、自分はどうなっていただろうと冷静に考えてみる。


 戦争孤児とさげすまされながら、市場の片隅で露天の商いをしていたのは間違いない。十五歳を迎えて教会を出たら、どうやって生きていこうかなんて夢も目標もありはしなかった。

 そんなアルネの脳裏に、難癖を付けて来た男へ放たれた蓮沼流の見事な体術が思い浮かぶ。


 “あのとき私は、きっと精霊に導かれたのだわ。ならばこの人にとことん付いていこう。ううん、付いていきたい”


「謹んで、お受けいたします」

「そう言ってくれると思ったわ、ありがとうアルネ」


 微笑むみやびに、アルネは七色の虹彩を見たような気がした。けれどそこからは、彼女を置いてきぼりにしたマシンガントークの開幕であった。


「アルネに領地を与えるの? みやびさん」

「男爵領は十五歳を迎えてからにしようと思うの、妙子さん。代わりにお屋敷と、使用人を付けてあげたいな」

「お屋敷の件は任せて。それとみや坊、歳が若すぎてメイドに召し上げるのを保留にしている牙の娘が二名いるわ。どうかしら」

「ファニー、それ採用!」


 屋敷持ちに使用人を二人抱える。そんな話しが進んでいき、アルネは頭がクラクラしてきた。大丈夫ですかぁと、ローレルが心配顔でお茶を注いでくれる。


「皇帝領と枢機卿領、それにクスカー城へ派遣する子供達のローテーションも考えないといけませんね。将来的には法王領も」

「そう言えばオトマール公国とクアラン国も、子供達の派遣を打診して来たと耳にしましたが」


 クーリエ・クーリド姉妹の発言に、アルネの顔が引きつる。総支配人となる以上、その采配を振るうのは自分だ。


「私は受けようと思っているわ。だからこそお料理の伝道師は、ただの配下じゃ困るわけ」

「ならば将来的には子供達を全員、皇帝直属の爵位持ちにするのですね」


 意図を察したクーリエに、その通りとみやびは頷いた。年齢と料理の腕前は別、若いからって舐められないよう、相応の身分を与えたかったのだ。


 その後も魔改造した三台目の屋台をどう運用するか。みやびとヨハンの屋敷のスペアキーは、後輩に任せるべきとか。テーブル上で意見が飛び交う。


「ねえみや坊、アルネの様子おかしくない?」


 気付いたファフニールの言葉に、みんなが一斉にアルネを見た。遠い目をしたまま、上半身がゆらゆら揺れている。そんな彼女の額に、ローレルが手を当てた。


「知恵熱が出たのではないかとぉ」


 詰め込みすぎちゃったかと、みやびが頭に手をやりへにゃりと笑った。






 ――五日後の大聖堂。


 ファフニールとアーネスト枢機卿が立ち会う前で、みやびはカラドボルグを抜いた。目の前にひざまずくアルネの右肩を二回、左肩を二回、剣先でポンポンと叩く。


「あなたは今日からアルネ・フライフラウ女性男爵・トゥ・シルバニア。帝国に料理を広める伝道師よ」

「この身命を、帝国に捧げます」


 アーネスト枢機卿が感極まったのか、ハンカチを目に当てている。

 みやびはカラドボルグを鞘に収め、控えていたローレルからマントを受け取りアルネにふわりと羽織らせた。

 みやびの配下であることを示す若草色。その裾には燦然さんぜんと輝くチェシャの肉球がワンポイント。


 そしてみやびの目配せに応じ、ティーナが小箱の蓋を開けてアルネに差し出した。それはチェシャの肉球を象った紋章印。

 この紋章印を持つ子供達が、帝国の食糧事情を根底からひっくり返す起爆剤として活躍するのは、そう遠い未来ではない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る