第76話 枢機卿の来訪(前編)

 事前の打ち合わせ通り、守備隊と牙が慌ただしく城内の配置に付く。リンドの城内に普段は不要な警備だが、今日は別だ。


 特に重要なのは二重の螺旋階段らせんかいだん

 リンドが竜化できない場所であり、長剣と魔力弾で戦うには味方にとっても敵にとっても狭くて厄介なのだ。

 絶対に三階の妙子とカルディナ姫の部屋には行かせない、もちろんまだ眠っている麻子と香澄の部屋にもだ。別に使用人が使う普通の階段も含め、入り口には重点的に人員が配置されていく。


 そこへミスチアに付き添われ、お盆を手にしたカルディナ姫が通りかかり目を丸くした。

 今日はお部屋で召し上がって下さいと、調理場でみやびにもらった裏メニューのカレー南蛮そばを持って。


「ミスチアよ、何かあったのかや?」

「枢機卿が第二城壁からこちらに向かっております、姫君は早くお部屋へ」

「聖職者を招くにしては、ずいぶん物々しいのう」


 まるで戦場に行くような顔をしている守備隊と牙の面々に、カルディナ姫は首を捻った。来るのは正教会の枢機卿であろうにと。


「訳は追い追いお話し致します。姫君、今は私とお部屋にいて下さい」


 ミスチアにせっつかれ、カルディナ姫は螺旋階段を昇っていった。調理場では巻き込みたくないという近衛隊の配慮で、民間のメイド達が家路につく。 


 その頃みやびは自室で、シルバニア方伯領の領主としての装束を身に付けていた。もちろんカラドボルグを腰に下げるので、近衛隊総監としての第一種警戒態勢だ。


 そして彼女は、ファフニールと食べようと思っていた栗羊羹を皮袋に入れた。虫の知らせと言うのだろうか、持って行った方が良い、そんな気がしたのだ。

 革袋を腰のベルトに結ぶと、みやびは若草色のマントを翻して扉を開けた。西門に来る倍返しの相手、枢機卿を出迎えてやろうじゃないかと。


 君主としての正装用キトンで出迎えるファフニール。

 第一種警戒態勢のパラッツォが単眼を空に向ける。彼のマントは竜騎士団長としてのカラーである真紅。ブラドもこの時ばかりは城伯領の領主として、第一種警戒態勢となり長剣を背負う。

 そこに同じく第一種警戒態勢のレアムールとエアリスに加え、レベッカとヨハン、フランツィスカが並ぶ。


 西の空にワイバーンの姿が見えてきた。飼い慣らした騎手がワイバーンを操り、首から提げたゴンドラで人を運ぶ。これはミスチアやクララの護衛も同じ。

 そのゴンドラに手をかざし、パラッツォが四人だなと拍子抜けしていた。枢機卿と騎手に護衛が二人。従者を引き連れ大所帯で来ると思っていたのだが。






 ファフニールの執務室で、みやびは枢機卿を観察していた。レアムールにエアリスと共に、ファフニールの後ろへ立ち護衛役。

 本来はテーブルについて一緒に会食する立場だが、虫の知らせがそうしろと言っていたのだ。


 それにしてもと、みやびは枢機卿を半眼で眺めた。どう見ても豚さんで、聖職者の食事でこんな体型にはならないなと。脂ぎった額にコイツは絶対に生臭坊主なまぐさぼうずだと、みやびは眉間にしわを寄せた。

 アーネスト司教に差し入れしようと別鍋で作った、肉を入れない聖職者用の和風カレー。これにチーズをトッピングして会食に流用したみやびだが、この男はトンカツやハンバーグのトッピングでも平気で食べそうと。


 テーブルに同席しているのはブラドにパラッツォ、クララにアーネスト司教だ。枢機卿の配下三人も、彼の後ろに立ち周囲に目を光らせている。

 帯剣せずメイド姿のままで給仕に付いたティーナとローレルが、かなり緊張しているようす。和風カレーをテーブルに置く手が、少し震えていた。


「ロマニアの新しい食文化を堪能しませんかとお招き頂いたが、良い香りですなあ。フュルスティン・ファフニール」

「そう言ってもらえて光栄ですわ、枢機卿」

「ところでカルディナ姫のお姿が見えませんが」


 テーブルを見渡す枢機卿に、姫は食後のお昼寝中ですとクララがつっぱねた。実際には裏メニューのカレー南蛮そばを堪能し、汁を飲み干している所ではあるが。


 そもそもこの男、どうしてカルディナ姫がビュカレストにいる事を知っているのかと。これは皇帝領に相当数の密偵が放たれているに違いない。


 誰の耳にもはっきりと聞こえるほどの、枢機卿の舌打ちが聞こえてきた。やはりこの男はカルディナ姫を狙っている。


「では食前のお祈りを」


 ファフニールの合図で、テーブルにつく全員が胸の前で手を組みお祈りを捧げ始める。


 それを聞きながら、みやびは不快な雑音を耳にした。神聖な祈りを捧げる場に相応しくない、違和感のある声を。

 その発生源は枢機卿で、気付いたパラッツォがいかんと席を立った。椅子が倒れるけたたましい音が響き渡り、同時にみやびは真っ暗闇の中に飛ばされていた。


「くっそう、やられた。アーネスト司教、奴は闇属性だったのか?」


 その声はパラッツォだった。してやられたと、声に悔しさが滲んでいる。


「そのようですわね、私も今日初めて知りました。聖職者同士で属性を聞くのはマナー違反でしたから」


 そんな声を聞きながら、ファニーいる? とみやびが安否を確認した。ここにいるわという声にホッとし、みやびは思考を巡らせる。

 これは自分が倉庫にしている亜空間と、原理は同じじゃあるまいかと。ならば枢機卿が意識して出さなければここで飢え死にだ。


 取りあえず真っ暗なので、明かりが欲しいと念じてみる。するとみやびの体が頭を除きポワッと光り出し、執務室から飛ばされた皆の姿が見えるようになった。自家発電の人間LED電球、ここに現る。


「にゃはは、みやびさまは本当に魔人でございますにゃぁ」


 どうやら扉に控えていたチェシャも巻き込まれたようで、うっさいと言いながらみやびは人差し指を空間の一角に向けた。他にも誰かいるわと。


「ミハエルさま、ミハエルさまではありませんか!」

「クララ……か」


 クララが慌てて駆け寄り、横たわっているミハエル皇子を抱き起こす。何日も飲まず食わずで、すっかり衰弱しているではないか。


 みやびは腰に結んだ革袋の栗羊羹を取り出し、食べた人が元気になりますようにと念じてクララに手渡した。


「胃がびっくりしちゃうから、ちょっとずつ食べさせてあげてね」

「感謝に堪えません、ラングリーフィン」


 クララが皇子を介抱している間、リンド組が額を寄せ合った。亜空間を打破して抜け出す手は無いこともないが、膨大な魔力を必要とする。ここにいるメンバーでは足りそうもなかった。

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