第41話 リンドの乙女とヨハンの告白

 奥の貴賓室でモスマン帝国への対策と準備が話し合われている中、ダイニングルームでは護衛の騎士達に同じ料理が振る舞われていた。

 ダイニングルームで指揮を取るのはエアリスである。オトマール公国の騎士たちは、コース料理に愕然がくぜんとしていた。


「エアリス殿、近衛隊のみなさんはこの料理を作れるのですか?」

「ええ、ラングリーフィンの手ほどきを受け日々精進しておりますから」


 にっこり微笑むエアリスの答えに、騎士達が羨望の眼差しをメイド達に向けた。

 だが彼女達はロマニアの侯族に名を連ねるリンドの乙女、欲しいと思うならばスオンの儀式に挑戦しなければならない。

 これは悩ましいと、彼らは顔を見合わせていた。そこへ交代のために戻ってきたエミリーが、がっくりと肩を落とす。

 その様子に貴賓室で何かあったのかと、同僚の一人が心配顔で尋ねた。


「ランハルトさまが私に、料理を覚えオトマール公国に広めろと」


 彼女は知らない。近い将来、同僚の騎士達がこぞって求婚してくる事を。

 

 そのダイニングルームを、レベッカとヨハンが横切っていく。

 顔が見たいと、ランハルト公爵からご指名で呼ばれたレベッカ。平手打ち事件を知るヨハンは、同行しますと言って強引に付いて来たわけだが。

 本来なら隊長命令で同行を却下する所だが、レベッカは断れなかったのだ。彼女の心は今、ヨハンに対して大きく揺らいでいる。




「おおレベッカ、久しぶりじゃのう。息災そくさいであったか」

「ランハルト公もご健勝けんしょうのようで、お慶び申し上げます」


 型通りの挨拶を交わす二人。

 実はランハルト公爵の人生に於いて、自分に手を上げた女性は亡き母とレベッカだけなのだ。そのレベッカを、彼は楽しげに見つめた。


「ところで隣におる、その小僧は何じゃ? 呼んだ覚えはないぞ」


 いぶかしむランハルト公爵に答えたのは、ファフニールだった。


「オアナ子爵領の領主で、ヨハンと言います。先日、竜騎士団に仮入団しました」

「ほう……」


 ランハルト公爵が、鋭い視線をヨハンに向けた。入団したならば、それはスオンの儀式を受ける覚悟を持つ者だ。リンドの慣習は、彼もよく知っている。


「ところでレベッカ、そろそろ返事を聞かせてくれんか。わしの所に来ないか?」


 しつこいと言わんばかりに、ランハルト公爵を胡乱げな目で見据えるレベッカ。


「またそのお話しですか。私はリンド、ロマニアを離れるつもりは毛頭ございません」


 何度も繰り返されてきたこのやり取り。だがランハルト公爵は、このやり取り自体を楽しんでいるように見える。

 彼は分かっているのだ。ガサツなように見えるレベッカだが、実は貞操観念ていそうかんねんの高い乙女であることを。

 体も心も、女の部分に触れて良いと認めるのは絆を結んだリッタースオンのみ。その想いが強いからこそ、お尻を撫でられれば相手が公爵だろうと手を上げる。 


「わっはっは。わしは諦めんぞ、レベッカよ」


 ――その時だった。


「レベッカさまは誰にも渡しません!」


 それはヨハンだった。感情が高ぶると、思っている事をつい叫んでしまうのは彼の悪い癖だ。

 貴賓室がシンと静まりかえる。今の叫びはスオンの申し出に等しい。


 いたたまれなくなったのか、顔を真っ赤にしたレベッカが貴賓室を出て行ってしまった。やってしまったという顔で、すみませんとうつむくヨハン。


 ランハルト公爵は注いでくれと、みやびに向かって杯を振った。もちろんお尻に伸びてきた手を、みやびはひらりとかわす。同時に室温のコントロールも忘れない。

 

 ランハルト公爵はぶどう酒を口に含みながら、ヨハンを睨んだ。


「ヨハンと言ったか、お前なぜレベッカを追いかけんのだ? お前が行かぬなら、わしが追いかけるぞ。好いた女を放っておくな」


 ランハルト公爵の言葉にヨハンははっと顔を上げ、彼もまた貴賓室を飛び出していった。


「ランハルト公、よろしかったのですか? あれほどレベッカを気に入っておられたのに」


 パラッツォの問いに、ファフニールとブラドも頷く。彼はヨハンの背中を押したことになるのだ。だがランハルト公爵は、にっこりと笑った。


「モルドバ卿、年をとると若い者の成長を見るのが楽しみにならんか?」


 パラッツォは貴賓室で立ち働くメイド達を眺め、そうですなと同意を示した。壁にぶち当たり思い悩む若いリンドを見ると、愛おしいという感情が湧き上がってくる。


「わしに手を上げたレベッカがどのように成長し、どんな伴侶を得るのか、手元に置いて見届けようと思ったのだが、その必要はなさそうだな。

 フュルスティン・ファフニール、スオン旅行の際にはオトマール公国へ遊びに来るよう二人に伝言を頼む。儀式が成功したらな」

「承知しました。その暁には、二人に伝えておきましょう」


 どうやらこの御仁、レベッカに色目を使っていたわけではなく、孫娘を見るような眼差しで接していたようだ。

 手癖は悪いが信用できる好ましい人物だなと、みやびはランハルト公爵に目を細めた。ところでスオン旅行とは何だろうと、ファニーに尋ねてみる。


「モスマン帝国の件で先送りになっているけれど、本来なら一ヶ月ほどの旅行を新生スオンは楽しむのよ」

 

 なるほど新婚旅行のようなものかと、みやびはポンと手を叩く。ファニーとお泊まり旅行、それは楽しいだろうなと。

 そのファニーが、眉を八の字にしてお願いと言った。


「ここはもうレアムールに任せて、レベッカとヨハンの様子を見てきて欲しいの」


 もちろんみやびも気がかりであった。分かったわと頷き、みやびはティーナとローレルを従え貴賓室を後にした。

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