第38話 歓迎会
「まがりなりにも子爵家の血を引く小リンド、節度を持って接しろ。ただし、甘やかせと言う意味ではないからな」
レベッカが、守備隊の団員たちを前にヨハンを紹介していた。全員が牙を持つリンド族。そしてヨハンは、八年振りに入団した市民だ。
ヨハンの祖母は男性リンドのスオンとなり、母を生んだ。人として生を受けたのだから、母は竜にはなれなかった。だがリンド族には遥かに及ばないものの、リンドの魔力を使うことができた。
そしてヨハンも、ほんのちょっとだけ風を操ることが出来る。リンドの血を受け継ぐ人間は小リンドと呼ばれており、彼にもその血が流れていた。
「今日から皆さんと寝食を共にすることになりました、ヨハン・アウグスタ・ツウ・バウアーです。よろしくお願いします」
ここはエビデンス城のダイニングルーム。見たことも無い食べ物が載せられた皿と、その皿が並ぶ複数のテーブル。そのテーブルを囲む守備隊の面々から拍手が起きる。
ジェラルドを同じ剣の師匠とするレベッカに稽古をつけてもらうため、第一城壁にはよく出入りしていた。そんな彼にとって、ここにいる団員の殆どは見知った顔だった。
「あのヨハンがもう十五かよ」
「あたし達、それだけ老けたってこと? こりゃーうかうかしてらんないねえ」
そんな声があちこちのテーブルから上がる中、レベッカが再び口を開いた。
「実は皆に、残念な知らせがある。フュルスティンから通達があってな」
そこでいったん区切ったレベッカ。
「隊長、何かあったんですか?」
一人の男性リンドが神妙な顔で問いかけ、室内に緊張が走る。モスマン帝国が国境沿いに砦を築き始めた噂は、ビュカレスト市民にも広まっている。全員が固唾を呑んで隊長の言葉を待った。
だがレベッカは、『ああ、すまんすまん』と慌てて両手を上下に振った。
「不測の事態が起きたという訳ではないんだ。通達と言うのはな……」
苦笑いをしながら、彼女がヨハンに視線を向ける。
「ヨハンが誰を狙っているのか、その件に関しては追求するなというお達しだ」
「はあ?」
「なんだよそれ」
「つまんねー」
「空気読んでくれよっ」
途端に沸き起こる、男性陣からのブーイング。
「私も今宵いちばんの酒の肴を取り上げられた気分だよ。だがフュルスティンのご下命とあらば、仕方あるまい」
今宵いちばんの酒の肴、その言葉に
それにしても、不満を募らせる男性陣に対し女性陣は至って冷静。この差は、いったい何なのだろうか。
そんな中、立食形式の同じテーブルについていた女性リンドが声を上げた。
「周りが変に騒ぎ立てて未来のリッタースオンを失いたくない。それがフュルスティンのお考えなのでしょう。私からもみんなにお願いするわ。彼のことは、静かに見守ってちょうだい」
それは南門守備班のリーダーであり副隊長の、フランツィスカ・フォン・リンドだった。このテーブルには南門のメンバーが集まっており、ヨハンもそこに配属される事が決まっている。
そのフランツィスカが、ヨハンに向かって右手を挙げた。
「ヨハン、ひとつだけ質問していいかな」
「は、はい。何でしょうか」
「あなたは竜騎士になって、何をしたいの? それは命がけの儀式に挑むほどの、価値があるものなのかしら」
ダイニングルームが、しんと静まり返った。それはきっと、この場にいる全てのリンドが知りたいことなのだろう。
ヨハンの父は新興の子爵ではあったが、武人ではなかった。一つの町と三つの村を治め、領民と共に羊を飼育し、食肉と羊毛をロマニアに供給していた。
ヨハンの故郷、オアナの町を一歩出れば見渡す限りの大草原。
あの頃は姉と一緒に、羊を連れて草の海原を駆け巡るのが日課だった。疲れたら、干し肉を噛みながら大地に寝転がって空を仰ぐ。
そんなヨハンを、隣から
青い空と、白い雲。
草を食む羊の鳴き声と、牧羊犬が吠える声。
その風が今、ヨハンの体を吹き抜けていった。
「バウアー家の再興です。モスマン帝国との争いに終止符を打ち、オアナの町を再建し、民を集め羊を飼い育てたいんです。それが僕の目標です」
ヨハンの手に、父の領地は残った。だがそこに住まう領民がいなければ、それは単なる荒地に過ぎない。モスマンの精鋭騎兵は羊を奪い、強奪の限りを尽くして町と村に火をかけ、そして領民を、家族を殺した。
自分の中にある、原風景を取り戻したい。
ヨハンはそのために武器を手にしたのだ。笑われてもいい、ヨハンの目標はモスマン帝国との戦いを終結させる事が大前提の、その遥か向こうにある。
「聞いたか、羊飼いの竜騎士だとよ」
「おいおいまじかよ。こりゃ傑作だ」
驚き半分、嘲笑半分と言ったところだろうか。覚悟はしていたから、頭に血が登る事は無かった。笑いたい者は笑えばいいのだ。
だが、フランツィスカは違うらしかった。
「ふうん、羊飼いの竜騎士か。悪くないわね」
「笑わないのですか」
「笑う? どして? リンド族の祖先が最初に選んだスオンは羊飼いよ。隊長はどう思う?」
振られたレベッカも、笑っていなかった。
「リンド族の伝承に於いて、羊飼いは聖なる職業だ。ヨハン、お前は胸を張っていい。オアナ産の羊肉、中でもラム肉は私も好物だったよ。なかなか手に入らなかったがな」
そう言ってレベッカは、ぶどう酒の入ったデキャンタを持ち上げながら声を上げた。
「そこの笑ってるお前たち、他人を笑う余裕があるなら自力でスオンを連れて来い。私が品定めしてやるぞ」
今までの嘲笑が別の笑いにかき消され、団員のひとりが止めてくれとばかりに応じた。
「隊長に審査されたら、みんな不合格になっちまう」
「失礼な、私は武術に関して妥協しないと言ってるだけだ」
「だから隊長殿、そこが一番の難関なんだってば」
ダイニングルームに笑いの渦が起き、場の雰囲気が和やかになっていく。そこへ、同じくデキャンタを持ち上げたフランツィスカが拍車をかけた。
「私たちは崖っぷちなの。もはや嫁不足の寒村状態、笑ってる余裕なんかないわよ」
「栄えある竜騎士団が嫁不足の寒村かよ。ひでえ喩えだな」
リンドのスオンとなることは、国民にとって名誉なことだった。しかし前の戦争で、あの最悪な日。スオンたちの壮絶な最後を目の当りにしたロマニアの民は、尻込みしてしまったのだ。この八年間、リッタースオンの名乗りを上げて入団した者は一人もいない。
みんな笑ってはいるが、きっと内心は不安なのだ。むしろ不安だからこそ、笑って沈んだ気持ちを吹き飛ばそうとしているのではあるまいか。
「その寒村に、奇特にも嫁候補が来てくれたんだ。みんなでヨハンを歓迎しようじゃないか」
レベッカの嫁候補発言に不服だったヨハン。自分はれっきとした男子だと。
けれどリンド族にとって性別は不問と、考え直して杯を手にする。
「今日は無礼講だ。みんな、ぶどう酒を回せ!」
レベッカがデキャンタを掲げ団員たちを促し、待ってましたとばかりにそれぞれの杯へぶどう酒が注がれていった。
「これは?」
乾杯が済んだ後、ヨハンはレベッカに杯を取り上げられ、代わりにデキャンタを押し付けられていた。
「最後まで持っていろ!」
「は、はい」
妙に声を張り上げたレベッカ。そんな大声を出さなくても、ヨハンには聞こえているのだが。
しかし受け取ったはよいものの、このデキャンタは何を意味するのだろうか。もしかして、新入りだからみんなに注いでまわれということなのだろうか。ならば早速行かなければならない。
ところがテーブルを離れようとしたヨハンは、フランツィスカに首根っこをつかまれ引き戻されていた。そして彼女もなぜか、声を張り上げてこう言ったのだ。
「ばっかねぇ、隊長は持ってろって言ったのよ。あなたは歓迎会が終わるまでに、それを飲み干さなきゃならないの!」
「そんな、無茶な」
二十杯分のぶどう酒が入るデキャンタを抱え、唖然とするヨハン。そんな彼の耳に、フランツィスカが手を添えてささやいた。
「設定だってば」
「設定?」
つられてヨハンも、小声になる。
「普通に杯を持ってたら、みんなが注ぎに来るわよ。これだけの人数から注がれたぶどう酒、全部飲むつもり?」
ロマニアの民は、十二歳からぶどう酒を嗜む。もちろんヨハンも嗜むが、本当にそれは嗜む程度なのだ。そんなに飲めるわけがない。
「む、無理です」
「でしょ。それを抱えていれば、設定が効いて誰も注ぎに来ないわ。大丈夫よ、どうせ歓迎会が終わる頃には、みんな酔っ払って忘れてるから。隊長の気遣いに感謝することね」
レベッカを見れば、そしらぬ顔でぶどう酒を飲んでいる。そんな心配りに気が付かない自分は、やっぱりまだ子どもなんだろうかと自己嫌悪になりそうだった。
「そのデキャンタを、ちびちび舐めてればいいのよ。あとは料理を楽しもう」
「はい、そうします」
フランツィスカのアドバイスに従い、握り寿司を口に入れたヨハン。何と彼は、ワサビ抜きの旗がある皿とは別の皿から摘まんでいた。
リンド仕様のワサビ大盛り握り寿司にむせかえるヨハンの背中を、レベッカが大丈夫かと叩いていた。
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