第35話 調理場の風景

「と・言う・わけ・で」


 三十名のメイド達を前に、お玉杓子を指揮棒がごとく四拍子に振ったラングリーフィン・みやび。調理場に於ける彼女の白い装束は、割烹着と呼ばれている。


 食材を調理するという文化が発達しなかったこの世界に於いて、みやびは包丁と呼ばれる片刃の短剣を用い、素材を選び、形を整え、それらを組み合わせ、調味料と呼ばれる粉末や液体を使い、熱を加え、あるいは冷やし、全く別の食べ物を生み出してしまう魔術師であった。

 彼女が食の錬金術師と呼ばれる所以もそこにある。広めちゃったのは、お付きのティーナであるが。


「守備隊がヨハン君のためにささやかな歓迎会を開きます」


 一言一句聞き漏らすまいと、背筋を伸ばして耳を傾けるメイド達。彼女達にとってみやびはフュルスティン同様お守りすべき対象であり、近衛隊の統括者でもある。


「気軽に手で摘まめるオードブルってことで、エビデンス城の備蓄、それと今日届いた食材を吟味しました」


 そう言いながら割烹着のポケットに手を入れ、一片の紙切れを取り出すみやび。その様子に、メイド達がゴクリと生唾を飲み込む。


「ではお品書きを発表しまーす。握り寿司、だし巻き卵、フライドポテトにフライドチキン、ポテトサラダにオニオンリングと、ボイルした腸詰め、これを三十五人前よ」


 お品書きを磁石でボードに貼り付け、その下に三十五と手書きしたみやび。そして全員の顔を見渡し、彼女はお玉杓子をクルっと回した。


「さあみんな、戦闘開始!」


 みやびの号令に呼応し、メイド達が一斉に動き出す。特に指示がなくとも、それぞれ目線を交わして頷き合い持ち場に散っていくところは、流石に近衛隊として訓練を積んだ者達である。


「ラングリーフィン」

「どしたい、レアムール」

「ヨハン殿に、ワサビはどうしましょう」

「いっけない忘れてた!」


 人差し指を顎に当て、天井を見上げて頭を左右に振るみやび。そんな様子を、メイド達は微笑みながら眺める。この仕草は彼女特有の癖であり、見ている者を和ませる。


「うん、ワサビを使わない皿も用意しよう。目印に、ワサビ抜きって書いた小旗を立ててちょうだい」

「名案ですね、そのように致します」


 笑顔でそう応え、ワサビを下ろす近衛隊長兼メイド長レアムール。彼女は地属性のリンドだ。


「ラングリーフィン」

「なあに、エアリス」

「他に添えるのはケチャップとお醤油、それとマヨネーズでよろしいですか」

「腸詰めにはマスタードも欲しいわね。粒入りマスタードの作り方、覚えてる?」


 するとエアリスは、自分の頭を指してここにしっかりと、と答えた。


「じゃあ任せた」

「了解です」


 棚からすり鉢と粒からしの瓶を出し、嬉々としてマスタード作りを始めるエアリス。副隊長兼メイド長代理の彼女は、風属性のリンドである。


 近衛隊として活動する場合はみやびのことを総監そうかんと呼ぶが、調理場ではラングリーフィンと呼ぶメイド達。

 爵位と言えば公爵・候爵・伯爵・子爵・男爵の五等爵位を指すが、この世界に於いて五等爵位をそのまま当てはめる事はできない。


 なぜならば、伯爵と呼ばれる地位が複数存在するからだ。辺境伯・方伯・宮中伯・城伯が挙げられる。これらの伯爵位は、自治権を有する言わば一国の主だ。


 ファフニールはロマニアの君主であると共に、これら複数の伯爵位を兼務していた。もちろん、一人で全ての伯爵領を統治するのは物理的に困難である。故にファフニールは、臣下に伯爵の地位を譲渡し、伯爵領の統治を命じるのだ。


 モスマン帝国と国境を接する、モルドバ辺境伯領を竜騎士団長に。城伯領である首都ビュカレストにはエビデンス城の城主を、といった具合に。


 そしてフュルスティン・ファフニールのスオンとなった者は、リンド山脈を擁するロマニア北部、シルバニア方伯領の領主となるのがリンド族の慣わしであった。


 ラングリーフィンとは、女性方伯の爵位であり敬称なのである。そしてシルバニアの領主であることから、みやびはシルバニア卿とも呼ばれていた。


「ラングリーフィン、盛り付けはどのようになさいますか」

「客人を招いての晩餐じゃないから、大皿に全種類のせちゃうよ。ひとつのテーブルに大皿三つでちょうどいいかな」


 盛り付けを聞いたティーナが、引いてきた空のワゴンに紙を置いてペンを走らせる。使用する食器をみやびに尋ねながら書き込んでいるのだ。


「食器庫から、出して来ますぅ」

「うん、よろしく。気をつけてねー」

「お任せください!」


 元気のよい返事と共に、ティーナとローレルがワゴンを押しながら飛び出して行く。すれ違いざま、魚をてんこ盛りにしたワゴンが運び込まれて来た。


 米を研ぐ者、寿司酢を調合する者、ボウルに割り入れた卵をかき混ぜる者、玉ネギの皮を剥いて輪切りにする者。調理場は活気に溢れ、そこに陰りや不安は見当たらない。


 そんな中、窓際でジャガイモの皮を剥く碧い髪の女性がいた。そう、フュルスティン・ファフニールである。侯国の君主がジャガイモの皮を剥くというのも稀有けうな光景ではあるが、彼女もスオンであるみやびの影響を受けたという事なのだろう。


 もとより十二歳を迎えたリンドの娘がエビデンス城に奉公するしきたりは、族長といえども例外ではなかった。十七歳になるまでは、ファフニール自身もメイドとして働いていたのだ。

 五年間の労務経験がものを言うのだろうか。みやびとお揃いの割烹着を身に付ければ、調理場に溶け込んでしまうのだから不思議である。


「ファニーも包丁の使い方、板に付いてきたわね」

「みやびの教え方がいいからよ」


 鼻歌が聞こえてきそうなほど、軽快に包丁を動かすファフニール。その耳もとに、みやびがそっとささやいた。


「面接の時から、少し変よ」


 包丁を持つ手が、ぴたりと止まる。

 スオンの絆を結ぶと、どんなに遠く離れていても相手の想いが伝わってくるという。言葉として具体的に伝わるわけではないのだが、悩み、悲しみ、喜び、楽しみ、怒り、寂しさ、そんな感情の泡立ちが色となり、心の深い所で共有されるらしい。みやびは、ファフニールの微妙な揺れ動きを感じ取っていたようだ。


「大丈夫かしら」


 そう呟いて、窓の外に目をやるファフニール。


「大丈夫って、もしかしてヨハン君のこと? 割りとしっかりした男の子じゃない」


 しかしファフニールは、そうじゃなくてと首を横に振った。彼女の視線は、相変わらず窓の外に向けられている。

 みやびがその視線を追いかけると、南門でヨハンに何かを説明しているレベッカの姿があった。

 ファフニールと二人の姿を交互に見ていたみやび。やがてその口から、もしかしてと言葉がこぼれた。


「みやびも勘がいいわね。守備隊の男どもはどうか知らないけれど、ここにいる近衛隊も含め、リンドの女達は薄々気付いているわ」

「レベッカ、なんだ」

「困った事に、当の本人が気付いてないのよ」


 包丁とジャガイモを手にしたまま、ファフニールは深いため息をついた。


「ヨハン君に会ったの、面接が初めてなんでしょ? どうしてファニーが知ってるの?」

「会った事はなくても、彼のことはジェラルドからよく聞いていたから」

「ジェラルド……。その人って、ヨハン君の紹介者よね」


 よく覚えているなと感心しつつ、ファフニールは頷いた。


「子爵家の子息だったヨハンは、前の戦争で家族を失いロマニア正教会に預けられたの。彼は聖堂騎士ジェラルドの許で、従者として武術を学んだのよ。レベッカのスオンになりたい気持ちは、聖職者であるジェラルドにだけは正直に話してたみたい」


 それを聞いたみやびは、そっかぁと言いながらお玉杓子の丸底を手にポンと当てた。


「それであの時、無理に相手が誰か聞こうとしなかったのね」

「ごめんねみやび。私もまさか、面接する相手が彼だとは思わなかったものだから」


 そしてファフニールは、遠い記憶を探るように視線を空へ移した。時おり強い風が吹くものの、そこには雲ひとつ無い青空が広がっている。


「七歳にしてスオンを定めた者がおります。相手もある事ゆえ、いかが致したものかと。そんな風にジェラルドから報告を受けた時、私もまだ九歳だったから返答に窮したわ」

「ふむふむ。それで九歳の君主、ファフニール・フュルスティン・フォン・リンドちゃんは、なんて答えたの?」

「侯国の君主としては及第点の答えだったと、思う」

「ほうほう」


 興味津々で話の先を促すみやびに、ファフニールは決まり悪そうに肩をすぼめた。


「そのこころざし天晴あっぱれれなり。ジェラルドよ、そのヨハンと申す者、リッタースオンに相応しき武人に鍛え上げよ! と」


 ぽかんと口を開けるみやび。目を伏せるファフニール。


「ようすを見ようとか、暖かく見守れとかじゃなくて、思いっきり火に油を注いだんだ」

「言わないで。九歳の未熟者だったとは言え、レベッカの気持ちも確かめないままヨハンの後押しをしてしまった。しかもヨハンは、レベッカより五歳も年下。私は、どうしたらいいのかしら」


 なるほどと、みやびは合点した。面接の時から感じていた苦悩の色、それはファフニールが二人の事で思い悩む感情のさざ波だったのだ。

 しょげているファフニールの肩に腕を伸ばし、そっと引き寄せるみやび。


「どうするも何も、二人の問題なんだから外野は踏み込めないんじゃない? 私達が手を差し伸べるとしたら、それは二人が助力を求めた時だと思う。今は、見守るしかないわ」

「でも、みやび」


 先行きがおぼつかない二人に不安を隠せないファフニール。そんな彼女に、くるくるとよく動く瞳がだいじょーぶとウィンクした。


「大切な人を真剣に想う魂に、精霊は必ず応えてくれるわ。私達がそうだったようにね」


 それは命がけの儀式で、スオンを勝ち得た者だからこそ言える確信なのだろう。ファフニールは思うのだった。この瞳に、どれだけ救われたことかと。

 八年前の戦争以降、この城はどこか暗く重苦しい雰囲気に支配されていた。それが、みやびが来てからは一変したのだ。メイド達がこんなにも生き生きと立ち働く姿、かつてあっただろうか。

 だが、そこでファフニールは我に返った。


「あっ……」


 どうやらみやびも気が付いたらしい。


「おっ?」


 やれやれ。いつの間にか、メイド達の手がすっかり止まっているではないか。

 彼女達もまた、いつかはスオンを持たねばならぬ若きリンドの竜である。そんな彼女らにとって、窓際で肩を並べ、そして肩を抱き、仲睦まじく内緒話をする一組のスオンは少々目の毒であったようだ。


 咳払いをするファフニール。そしてネジを巻き直されたぜんまい仕掛けの人形が如く、あたふたと作業を再開するメイド達。


「どーれ、寿司ネタの魚でもおろすかーい」


 おそらく、照れくさいのを隠すためなのだろう。大げさな気合と共に右腕をぐるぐる回しながら、みやびがメイド達の輪に入って行った。いや、突入と言った方が正しいか。


「わーお。なんてお目々が綺麗なカツオさん、鮮度ばっちりね。お刺身にできない血合いの部分はタレに漬け込んで、しその葉で巻いて素揚げにしよう。後でみんなで食べようね」

「それって、美味しいのですか?」


 エアリスが興味深そうに尋ねると、みやびは唇の両端を上げた。


「むふっ。うまいぞぉ」


 メイド達に緊張が走った。レアムールが隣で作業していたメイドに第三種警戒態勢と耳打ちし、耳打ちされたメイドは更に他のメイドに耳打ちして行く。

 第三種警戒態勢が次々伝えられていく様子を背中で感じながら、必死に笑いをこらえるファフニール。


 第三種警戒態勢などというものは、近衛隊の隊規に存在しない。第一種警戒態勢が、近衛隊としての完全武装。第二種警戒態勢は、メイド服のままで帯剣する事を意味する。


 では第三種警戒態勢とは何か。その意味を副隊長のエアリスから聞かされた時、ファフニールは驚きと共に込み上げて来る笑いを隠せなかった。


 魚の血合いは生臭く、家畜のスネ肉やスジ肉などは硬くて歯が立たない。そういった部位を、この世界の住人は今まで捨ててしまっていた。


 だがみやびは『それを捨てるなんてもったいない!』と叫び、その魔法を駆使してまかないと称する内輪の食事に利用したのだ。しかもそれが殊の外おいしい。これを今まで捨てていたのかという、罪悪感を覚えるほどに。


 まかないを口にして放心状態となっては、後の職務に支障が出てしまう。エアリスが言うには『職務が疎かにならないよう心して食え』という、自主的に決められた自分達への戒めが第三種警戒態勢なのだと言う。

 そんな生真面目さがファフニールの琴線きんせんに触れ、笑いのツボを押してしまうのだ。


「お魚の残骸は取っといてね、あら汁にするから」


 見事な包丁さばきで魚をおろしていくみやびが、補助に付いていたメイドに指示していた。頭や中落ちなどの残骸が、次々ボウルに集められていく。


「そう言えば先日いただいたブリのあら汁、大根やゴボウに味が染みてて美味でしたね」


 味を思い出すような面持ちでレアムールが口を開けば、みやびが意味深な笑みで応じる。


「むっふっふ。味付けはこの私に、まかせなさーい」


 再び第三種警戒態勢が発令された!

 包丁を持つ手がプルプルと振るえ、ファフニールはもはやジャガイモの皮を剥くどころではない。お腹がよじれるほど可笑しいのだ。


 君主として、笑ってはいけない事だと自分に言い聞かせても止まらない。腹筋に力を入れ、心の中でレアムールにダメ出しを送る。『すでに発令済みの第三種警戒態勢を上書きしてどうするの』と。

 そんな心和む我がスオンと近衛隊の面々に、ファフニールは目を細めた。


「フュルスティン、どうかされました?」


 気が付くと、黒縁眼鏡にエメラルドグリーンの瞳が自分の顔を覗き込んでいた。剥き終わっているジャガイモを取りに来た、レアムールだった。

 地属性のリンドは、人の姿を採ると近視になる者が多い。それ故の眼鏡着用である。


「玉ネギを切って泣く者はおりますが、まさかジャガイモで?」


 必死に笑いを堪えたせいで、ファフニールは目尻に涙を浮かべていたのだ。もちろん、あなたのせいよとは言えない。


「これは嬉涙よ」


 手の甲で拭いながら、そう答えるファフニール。嘘も方便である。


「嬉涙、ですか」


 どのように解釈したかは不明であるが、レアムールは魚と格闘中のみやびに視線を向け、感慨深そうに口を開いた。


「普段はあっけらかんとしてて、細かい事なんて気にしませんって風情なのに、本当は情が深くて気配りができる方なのですよね」


 みやびの人柄を、レアムールは的確に表現していた。流石に人を見る目は確か。だからこそファフニールは、彼女を近衛隊長に任命したのだ。


 みやびの魅力は料理という魔法だけではない。他者を思いやる情愛の豊かさ。そして彼女の立ち居振る舞いは、行儀作法を叩き込まれたメイドたちよりも洗練されていて見る者を惹きつける。

 喋らなければ、どこか異国の姫君と言っても差し支えない優美さをみやびは持っているのだ。そう、喋らなければ。

 レアムールはジャガイモの入った籠を持ち上げると、ため息まじりにこう付け加えた。


「あなたが羨ましい」


 その言葉は、きっと本心から出たものであろう。レアムールもスオンを持てる年齢に達してから三年が経過していた。スオン適齢期と言えば語弊があるかも知れないが、眼鏡を外せば二十歳のソバカス美人である。


「敢えて言わせてもらうわ、レアムール」

「何を、ですか?」

「みやびは私が選んだ、自慢のスオンよ」


 笑わせてくれたお返しのつもりだったが、言った傍から恥ずかしさを覚えるファフニール。

 そしてレアムールは、何とも言えない愛嬌のある表情を浮かべながらごちそうさまと返した。


 君主であり族長という立場ではあるけれど、ファフニールにとって近衛隊長レアムール、副隊長エアリス、エビデンス城守備隊長レベッカは姉のような存在だった。


 この三人が支えてくれたからこそ、今日までやってこれたのだ。そのおかげでみやびという、かけがえのない伴侶も得る事ができた。感謝の気持ちはとても言葉では言い尽くせない。


 いつか自分も、かつて母がそうであったように、死地に赴けという命令を下す時が来るかもしれない。

 その覚悟は既にできているし、彼女達も迷うこと無く従うだろう。だからこそスオンの絆を結ぶ喜びを知って欲しい。


 それがファフニールの願いであった。スオンを知らないまま戦場で朽ち果てるなど、リンドとしてあまりにも寂し過ぎる。

 ファフニールは、再び視線を窓の外に移した。南門の前で、レベッカが城壁を指差している。ヨハンに何か説明しているのだろう。


 ――ヨハンとレベッカに、全ての精霊のご加護がありますように。


 瞳を閉じ、心の中で祈るファフニール。

 多分、彼女は気付かなかったであろう。みやびが作業を中断し、ほんの少しの間、手のひらを胸に当てていた事を。祈りの泡立ちは、心の深い所でみやびにも伝わっていたのだ。

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