第34話 ヨハンの入団(2)

「レベッカさま、どうして僕を子ども扱いするのですか」


 納得がいかない。エビデンス城の中庭を横切りながら、ヨハンは先を歩く彼女の背中に問いかけていた。すると彼女は、悪かったと答えた。

 それは子ども扱いした事への謝罪なのだろうか。ならばどうして、あの場で子ども扱いしたのだろうか。


「なあヨハン」


 立ち止まり、そう言ってレベッカは空を見上げた。ヨハンも倣って仰げば、晩秋の澄んだ青空が目に染みた。


「どうして拾った命を粗末にする。もし戦場に駆り出されたら、実戦経験の無いお前が生き残れる保障はどこにも無いぞ。なぜこんな時期に入団した」

「こんな時期だからこそ、入団したんです」

「おまえは馬鹿なのか? 今ならまだ間に合う、考え直せ。入団はモスマン帝国の問題が片付いた後でもよいではないか」


 振り向きざま、ヨハンに詰め寄るレベッカ。馬鹿呼ばわりされた事もあって、ヨハンは自分よりも背が高い彼女を見上げるのが無性に悔しかった。早く、早く大きくなりたいと。

 だが理由は分かった。自分のことを心配してくれたから、わざと子ども扱いしたのだと。

 面白くはないけれど、その気遣いは素直に受け取るべきなのだろう。だが不確定な未来に身を委ね、安穏としていられるほどヨハンは悠長な性格ではなかった。


「僕が生き残る保証が無いのと同様、戦争が始まれば侯国が存続する保証もないではありませんか」

「だからと言って、十五のおまえが死に急ぐ必要がどこにある!」


 ヨハンの両肩を掴み、激しく前後に揺するレベッカ。

 死に急ぐつもりはないと、ヨハンは心の中でつぶやく。記憶が曖昧で、よく覚えていないし相手だって分からない。それでも自分は、確かに誰かに誓っていた。


 ――必ず守ると。


 その誓いが、ヨハンの思い描く未来に続いている。これだけは絶対に曲げられない。


「亡き父がよく言っておりました。人生は選択の連続、悩んだ時は後悔しない道を選べと。僕はあの頃、ほんとに子どもだったから意味が分かりませんでした。でも今なら分かる。ここで入団しなかったら、僕は一生後悔すると思う」


 射るようにヨハンを見据えるルビー色の瞳。その瞳を見ると、ヨハンは八年前を思い出す。大粒の涙を流した瞳は、今でもヨハンの脳裏にこびりついて離れない。

 その瞳が閉じられ、唇から吐息が漏れた。


「人生は選択の連続、か。おまえの父上は聡明なお方だったのだろうな。生きておられたならば、会って話したかった」

「レベッカさま?」


 そしてゆっくりと目を開き、牙を覗かせながら微笑む火属性のリンド。


「今の言葉、忘れるな。これからは隊長と呼べ。団員となった以上、私は厳しいぞ」


 一陣の風が中庭を吹き抜けた。

 帽子を飛ばされないよう、片手で頭を押さえるレベッカ。赤い線の入った金髪が風になびき、顕わになったうなじ。

 不覚にもヨハンは、耳もとから首すじにかかる美しいラインに心を奪われてしまっていた。


「で……」


 その彼女が急に悪戯っぽい表情に、そしてからかい口調に変わる。


「目当てのリンドは誰だ。守備隊の女性陣は私同様、女らしさに欠けるから×ペケだろう。近衛隊の、見目麗しきリンドの誰かか? 年もお前に近い」


 貴方もそれを聞くのですかと、ヨハンが遠い目をする。


「レベッカさま……いえ隊長も、十七歳までは近衛隊だったじゃありませんか」

「私の性分は知っているだろう。近衛隊にいた五年間は、私にとって黒歴史だ」

「でも隊長のメイド姿、僕は好きでしたよ」


 そう言った途端、褐色の肌でもそれと分かるほどレベッカの顔が赤みを帯びた。と同時に、ヨハンの額に激痛が走る。彼女が指で弾いたからだ。


ぅ……」


 リンド族の女性は教養と行儀作法を身に付けるため、十二歳から十七歳までの五年間はエビデンス城に奉公するしきたりだ。もっとも、それは表向きの話。


 普段はメイドとして、城の維持管理と接客、そして清掃を行う。だが有事の際には、アヤメの花模様が金色で象られビブスと黒マントを纏い、命に代えても君主をお守りする近衛隊。それが真の姿だ。


 十七歳を迎えると、そのまま近衛隊に残るか、竜騎士団に転属するか、聖職者になるかを選択する。

 聖職者は柄じゃないし、行儀とか作法とかは苦手、それがレベッカの口癖だった。竜騎士団を選んだのは、彼女自身が言うように性分によるものだろう。


「近衛隊の方では、ありません」


 なかなか痛みが引かないおでこに手を当てながら、つい漏らしてしまったヨハン。これはまずい、このままだと消去法で白状させられそうだ。


「では誰だ。まさか、男のリンドに惚れたわけではあるまい?」

「それ、笑えない冗談ですから」

「あっはっは。安心したよ、過去に前例があるからな」

「前例、あるんだ!」


 スオンの契りに性別は関係なく、リンド族としての子孫を残せるか否かの違いだ。背中に乗る騎士がいてこそリンド族は一人前と言われており、男性リンドも専属の騎士を選ぶ。しかし男性同士の組み合わせが実在したとは、ヨハンも初耳だった。

 だが、いま竜騎士と呼べるのはファフニールとみやびのペアだけ。残念なことに、それがロマニアの実状なのだ。


「人の子孫すら残せないから、不毛のスオンと呼ばれたがな。まあ、言いたくないなら無理には聞かぬ。だが覚悟はしておけ、皆から追求されるぞ」


 カラカラと笑いながら、再び歩き出すレベッカ。そんな彼女の背中を見ながら、ヨハンは無意識に肩を落としていた。




「ファニー、忙しい?」


 ファフニールの執務室にひょこっと顔を出したみやび。領主の装束を身に付けており、なぜか花束を手にしている。


「君主としての業務は七割方、まだ兄上に押しつけているから大丈夫よ」

「それってひどくない? 大丈夫なのかしら」

「三割減ったのだから、楽になってるはずよ」


 そう言って口角を上げるファフニール。この兄妹、地位だけでなく家庭内でも妹が強いようだ。ほんのちょっぴり、ブラドが気の毒に思えたみやび。


「それで、その花束は?」

「あなたのご両親に、首都を守るために英霊となった方達に、墓参をしたいの。あの荒れ地に連れてってくれないかな」


 目を見開き、両手を口に当てるファフニール。お付きのティーナとローレルを見れば、二人とも目を潤ませているではないか。

 八年前、悲しみの大地に立ちファフニールは泣きに泣いた。思い出してしまうから、しばらく足が遠ざかっていたけれど。だが今なら、胸を張ってあの大地に立てる。そんな気がしたのだ。


「ティーナ、ローレル、第一種警戒態勢で近衛隊の招集を」


 二人は頷くと、扉の外へ駆け出して行った。


「おい、何が始まるんだ?」

「こいつは壮観だな」


 城門守備の牙達が何やら騒いでいる。何事かと、ヨハンを含め詰め所にいた者が外に出た。その目に映ったのは、近衛隊が第一種警戒態勢で距離をとり等間隔で整列する姿だった。その中心に、みやびとファフニールがいた。


「ファニーはどんな竜になるのかな」

「私の本来の姿を見て、驚いたりしないでね」


 何とも自信なさげなファフニールだが、みやびは外見で人を判断したりはしない。もっともこれから目にする相手は竜なのだが。

 けれどエアリスの時もそうであったように、みやびは人の心根を見ようとする。どんなに化粧しようとも、どんなに着飾ろうとも、心根が醜い女性は馬脚を現すのだ。

 たとえどんな竜になろうと、大好きになったファフニールに対する自分の評価は変わらない。変わるはずもない。


 ファフニールは腰帯を外しサンダルを脱ぐと、左腕をキトンの中に入れ竜と化す。その美しさにみやびは感嘆の息を漏らした。


 紺碧の青い鱗に覆われた肢体。

 水属性らしく水掻きを持つ前足と後ろ足。

 そして額からはS字を描くように後方へ伸びた、螺旋状の角が二本。


「綺麗」


 この世界に創造主がいるとするならば、そのセンスの良さにグッジョブとみやびは手を叩く。彼女の瞳には、陽光を受けキラキラ輝く鱗が映っていた。


「おだてたって、何もでないわよ」

「やだ、その姿を鏡で見たことないの? とっても綺麗よファニー」


 竜の顔が、斜め四十五度、下を向いてみやびを急かした。首元へ早く乗ってと。

 ランドセルもどきの鞄にファフニールの腰帯とブーツを入れて背負い、みやびは彼女の首元へよじ登る。

 くら手綱たづなもないのに大丈夫かしらと思いつつまたぐと、なんとお尻がファフニールの首元に吸い付くではないか。これならば両手を自由に使えると、みやびは感心しきり。


「降りたいと念じれば、吸着は解除されるわ」

「これもリンドの魔力なのね、すっごい」


 そこへレアムールが、総監殿そうかんどのと声を上げた。近衛隊にご下命をと。みやびはメイドでもある近衛隊の乙女達を見渡すと、お腹に力を入れて号令を発した。


「近衛隊の諸君、竜化せよ!」


 エビデンス城の南側に位置した正門前で、三十一頭の竜が一斉に大地を蹴って羽ばたく。その勇壮な姿を、ヨハンは我を忘れ見上げていた。


 

 レゾリューションを行使した土地は、百年はペンペン草も生えないという。その扇状の荒れ地に降り立つと、みやびは膝をつき花束を置いて両手を合わせた。


「私がファフニールのスオン、蓮沼みやびです。この命ある限り、彼女に真心を尽くします。どうか、安らかにお眠り下さい」


 みやびの真摯な祈りに、ファフニールは救われていた。

 ここはもう悲しみの場所ではない。スオンの勇気と誇りを再確認する、神聖な場所なのだと。

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