第12話 苦悩とその場しのぎの糸
「キスさせてくれたら、小悪魔ちゃんにバラさないって言うのはいい取引だと思うわよ〜? あの子、本気になったら何するか分からないから」
「それは……」
「どうする? 私は約束はちゃんと守る先輩よ〜? ついでに言えば、ちゃんと剣道ちゃんの事を気持ちよくさせちゃうよ〜?」
ミリアの言葉に、一香しばしの沈黙。
否定の言葉。逃げ出す心構え。最低限の防衛手段。
これらの事を考える時間であると共に、キスしなかった場合のデメリットを想像する時間でもあった。
(もし、昼間の数馬の息抜きが千尋ちゃんにバレたら、数馬はどうなるんだろう……。私がいない日でもちゃんと逃げ出せるのかな……? いや、そもそもストレスの捌け口はどこになるの……? ミリア先輩? それとも千尋ちゃん自身……?? あぁ、ダメ! モヤモヤする!!!)
苦悩。とてつもない苦悩。
自分だと我慢できていた数馬の息抜きを、他人に譲るとなるとそう簡単には決断できない様子の一香。
目まぐるしく不安と苦悩の表情が入り混じる。
滑稽な事に、彼女自身はその原因をよくわかっていないという事。
もしくはよく分かっているのに、分かっていないフリ、もしくは目を逸らしている。
何の意味があるのかと問われれば、何の意味も無い。だからこそ滑稽なのだ。
「……で、どうする? お昼みたいな強引な事はもうしないから。なんなら、手を頭の後ろに置いておきましょうか?」
一香が心を整えるまでいくらでも待つ姿勢を示すミリア。
だが、彼女は知っている。この時間がいつまでも続かない事を。
だからこそ、あえてミリアは余裕な態度で一香の決断を待つ。
「い、いや、別にそこまでしなくても!」
当然、余裕そうなミリアの風貌に違和感を覚えながらもすぐさま、かしこまった態度を取るのを止めるよう促す。
「そう? 剣道ちゃんがそれでいいならいいけど」
「ええ、十分に先輩の誠意が伝わりましたから」
ニコリと笑うミリア。ゴクリと唾を飲む一香。
森の奥から聞こえる足音。バタバタと不規則で慌てるような足音。
瞬時に彼女らは足音の主が先に森に入っていった数馬と千尋だと察する。
だが、察したところで、もう……遅かった。
「その代わり……約束、守ってくださいね?」
「ちゃんと、そこは安心しなさいな」
「あと出来るだけ手短に」
「注文の多い子、意外と嫌いじゃないのよね」
「下手な事したら、舌嚙みちぎりますから」
「はいはい、分かりましたよ〜」
───数馬達にキスしてるところが見られてしまうリスクより、千尋にバラされる事の方が一香にとって恐ろしい事だったのだから。
瞼を深く閉じた一香の顎を軽く持ち上げ、僅かに空いた唇の隙間に昼休み同様に自身の舌を滑り込ませるミリア。
ビクッと一瞬だけミリアの腕を掴むなどの拒絶反応を見せる一香だったが、すぐにそれは落ち着き、次第に力を抜いてく。
身長の高いミリアに上から押さえつけれるようなキスに、息苦しいのか鼻息を荒くしていた。
それに反するように二人が織り成す水音は激しくなり、唾液が一香の口から溢れ出る。
顔を左右に動かし、的確に一香の敏感なところを探し求めるミリア。
同じく顔を左右に動かし、敏感なところが見つからないように隠し通そうと画策する一香。
口と口。舌と舌。そして心と心が対峙する二人の空間には、普通の人には理解出来ない異質な攻防が繰り広げられていた。
それこそ、恋人かと思われてもおかしくないほどに濃厚で濃密な空間を演出してるのだから、尚更だ。
しかしそれでも、彼女らの心はすれ違う。
一人は大事な幼馴染を思って。
もう一人は目の前の可愛い後輩を思って。
交わる事のない想いを胸に抱えた彼女らのキスはさほど長くは続かず───
「……これで、千尋ちゃんには言わないでくれるんですよね?」
「ええ、もちろんよ」
ミリアの舌が一香の口から抜かれると、透明な糸が彼女らの唇に掛かり、やがてプツリと切れ落ちた。
一香もミリアも糸の事は気にせず、ただただ約束の確認だけ済ませる。
「一香!! 大丈夫か!?」
数馬がもう、すぐそこまで来ている事を知っていたから。
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