第28話 春澤澄歌がいなくなった日⑤
『一緒に帰りましょう。』
送られてきたその簡潔なメールを僕は空虚な思いで見つめていた。
「勘弁してくれ…。」
僕は携帯をポケットに入れ、空を仰いだ。
大好きな人にフラれた。でも涙は出てこなかった。フラれたショックよりも、大好きな先輩に無理矢理キスをした自分が衝撃的すぎて泣けないでいるのだ。
「最低すぎる…。」
自分はもっと理性的な人間だと思っていた。もっと慎重な人間だと思っていた。もっと利口な人間だと思っていた。
だけど違った。
僕は野生的で、考えなしで、馬鹿で愚かな人間だった。だからこそ大好きな彼女にあんな顔をさせてしまう。
今頃、先輩はどんな顔をしているのだろうか。ちゃんと電車に乗れているのだろうか。世間知らず気味の彼女はもしかしたら何か問題を起こしているかもしれない。
(…問題を起こしているのは僕じゃないか。)
大きくため息をついてしまう。未だベンチの上、両手で顔を覆いながら項垂れてしまった。
「あー…」
彼女の僕を非難する目を思い出す。あの顔を僕は知っている。彼女のなかで何かが終わらせたときの顔だ。
ある日突然綺麗じゃなくなったと小屋の中をコレクションを捨て始めた時も同じような顔をしていた。そして、彼女が今日終わらせたのはきっと僕との交友関係だ。
きっぱりと僕のことを切り捨てたに違いない。
本当にそうだろうか?
「……じゃあなんでこんなメール送ってきたんだ?」
『一緒に帰りましょう。』
切り捨てたにしてはあまりにも親しいそのメールに僕は思わず苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。
「全然わかんない。」
なんでそんなわかりにくい表情してるんだ?なんでそんなわかりにくい生き方しているんだ?なんでそんなに孤高でいられるんだ?なんでそんなに美しく生きられるんだ?
他人に興味を持たないってどうするんだ?取り乱さないってなんだ?てかなんでこんなメールしてきたんだ?
僕が特別ってなんだ?
「……"特別"ってなんだ?いや!"特別"ってなんだ!?」
『あなただけは私の心に入り込んでしまったわ……あなただけなの、私が取り乱してしまうのわ。』
ぐるぐるこんがらがった頭のなか、鈴の音のような声が閃光のように僕の中で走る。
「なんであんなこと言うんだよ…あんなのずるいだろ。あんな…誘ってるような」
僕の口から情けないほどか細い声で、なんとも情けない言い訳めいた言葉が出てきた。
「僕、何言ってんだろ……」
それがまた情けなくて僕はより一層項垂れる。
僕の頭のなかでたくさんの疑問が吹き荒れている。そしてその疑問をぶつける相手はこの場にはいない。まぁ、だからと言って尋ねていいものではないだろうけど…。
大体あんなことをしでかしておいてどんな顔をして彼女の元まで行けばいいのか。
あんなことをしでかす。
しでかす。
(そういえば…ちゃんと謝ってないな。)
今になって思い返してみると、キスをしてしまったあと気が動転していた僕は彼女に謝罪の一つもしていない。
一緒に降りようと言った彼女に、少しだけ頭を冷やしたいと蚊の鳴くような声で告げただけだ。先輩はそんな僕を見て口をモゴモゴさせ、そのまま降りていった。
謝罪をしないことには一向に進展しないだろう。
ていうか謝罪しなければ人間としてダメだろう。
いかに拒絶されたとしても謝罪は必要だ。うん。
僕は鞄を持ってベンチを立ち上がる。早足で山を降りるための階段に足をかけた。
「先輩…まだいるかもな。」
可能性は低いだろうが、もしかしたらまだ先輩はあの寂しい駅で一人佇んでいるかもしれない。
それがなくても、もしかしたらいつも使う電車を降りた改札のところにいるかもしれない。
そう思えば不思議と足に力が入った。
僕は緩やかな山道を駆けていく。
『変わらないでね。』
スピードが出過ぎないように、時折足でブレーキをかけながら降りていく。
『緑の髪で、サボり魔で、ズレてて、非行少年と間違えられて、それで…。』
やはり登るよりも降りる方が楽で、このペースでいけば思っていたよりも早く駅に戻れそうだった。
『優しいあなたのままでいてね。』
そのとき、カラスが鳴いた。あまりにもけたたましいその音に僕は思わず空を見上げてしまう。
綺麗なように思われた紫色の空はより濃い色になり、少しだけ不気味なものに思えた。
☆
駅には誰もいなかった。3割、いや5割ぐらいの確率で先輩はまだここにいてくれるはずだと思っていたのだが、どうやら外れてしまったようだ。
「ま、そうだよな。」
先ほど『謝りたいから待っていてほしい』という旨を伝えるメールをしたが、返信はない。嫌われているとかではなく、彼女はあまり携帯を開かない。
いや、多分嫌われていないはずだ。多分。
僕はポケットから携帯を取り出し、先輩からのメールが届いていないか一応確認する。案の定僕のメールボックスは空っぽだった。
「はぁ…、電話も出ないし。」
今頃はあっちの駅についているはずだ。家へと帰宅している最中なのかもしれない。
ポケットにしまおうと、携帯を閉じる。
「ん?」
だが、ちょうどそのタイミングで電話がかかってきた。
(先輩か?)
僕は弾かれたように電話の着信相手を見る。
『羽賀和久』
「なんだ……」
そこに表示された名前は僕にとってはあまり嬉しくない相手だった。僕はため息をつきながら電話に出る。
「何?父さん。」
『和季!和季なんだな!』
「え、うん。」
妙に焦った様子の父に僕は戸惑う。
『無事か!?お前今どこにいる!?』
「何って…駅だけど。」
『駅…どこの駅だ!何線を使う!?』
「なんだよいきなり…」
『いいから答えろ!!!』
僕は焦る父を訝しみながら駅のホームに吊るされた看板の名前を読み上げていく。
父は何かを確認するように何度も駅名を反芻していた。
『……そうか、何はともあれお前たちは無事なんだな。良かった…本当に良かった。』
しばらくして、父が心の底から安堵したように声を漏らした。何が何だかわからない僕は思わず顔を顰める。
「一体どういうことなんだ?」
『いや、今は知らなくてもいいことだ。』
しかし父は僕の質問を受け流してしまった。僕は釈然としない想いで携帯を持つ手を変える。
『それより、今日は父さんが迎えにいく。駅の近くの駐車場で待っていてくれ。』
「え?なんで?」
『いいから、春澤さんも送っていくから話を通しておいてくれ。』
「!」
父からの言葉に僕は思わず固まってしまう。まさかいきなりキスをしたせいで気まずくなっているなんて言えるはずもない。
「それが…」
『なんだ?はっきり言いなさい。』
先輩は先に帰ってしまったと、そう言おうと口を開いたそのとき無人駅に備え付けられた音声機器から『ジジッ』という音が鳴った。
一体なんだろうと、会話中の父を差し置き僕はその放送に意識を集中する。
「…」
カシャンと音がした。
僕の携帯電話が、駅のホームに落ちた音だった。
ヒビの入った携帯電話から、父の怒声のような大きい声が機械越しに聞こえた。
だけど、その声も、色も、匂いも、地を踏む足の感覚も、徐々に薄れていく。
ただ頭のなかで何度も何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も……。
僕は先輩に、ごめんなさいと謝っていた。
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