第25話 春澤澄歌がいなくなった日②





「あなたと電車に乗るのはこれが初めてね。」


そう言って窓の外を見る春澤澄歌を僕は見つめる。彼女は黒のキャスケットを申し訳程度にちょこんと頭に乗せていた。彼女なりにおしゃれしてきてくれたのだろう。


確かに、二人で電車に乗る機会はなかったかもしれないなと僕も窓の外を見て考えた。


窓際に座っているのは先輩であるため、僕が窓の外を見ると自然に視界のなかに彼女の姿も入ってしまう。


だからだろうか、僕は熱い眼差しで春澤澄歌を見ていた。



クロスシートの椅子に僕と彼女は二人並んで座っていた。他に乗客は数えるほどしかいない。それだけ人気ひとけのない場所に僕らは向かうということだろうか?


疑問系なのは降りる駅が先輩の気まぐれで決まるからである。変なところで彼女が降りても、帰りの電車の時刻を調べるのは僕なのだから報われない。


(いや…先輩と二人で遠出できるだけで幸せか。)


憧れの先輩と二人きりで旅行なんて、フィクションでもなかなか見ないだろう。



このときの僕は溢れ出る彼女への恋慕を持て余していた。


特に最近は、彼女と日々を過ごすほどにその劣情は増して行くばかりであった。理由は沢山あるが、春澤先輩が受験生だということが大きいだろう。


おそらくだが、この小旅行を機に僕と先輩の関わりは薄れ始めるだろう。季節はもう秋、彼女は受験勉強に集中しなければいけない。そのためには僕といる時間を少しだけ削らなければいけなくなる。


もうすぐ今のように会えなくなると思えば思うほどに、より先輩を求めてしまうようになっていたのだ。



「……ん、どうしたの?」


僕からの視線を感じたのか、先輩が振り返る。その猫のような目が僕を捕らえた瞬間僕の顔は赤くなってしまう。


「え、あ、いや……景色を…」


「ああ、確かに綺麗だものね。よく見ておきなさい。」


しどろもどろになりながらも僕が答えると、先輩が納得した様子でまた窓の外を見始めた。


僕も彼女の真似をするように、窓の外を見た。


 

告白する気はなかった。何度も言うが春澤澄歌は受験生で、もうすぐ卒業してしまう。


人生を左右する大切な時期に想いを吐露して彼女を困惑させてしまうことは僕にはできなかったのだ。



「ねぇ和季。」


「はい?」


「駅弁を食べます。」


「…?…どうぞ。」


僕の返答を聞き、先ほどから膝の上に乗せていた駅弁の包み紙をいそいそと剥ぎ始める。電車に乗る前に長い時間をかけてどれにするかを決めていた。


「〜♪」


鼻歌を歌いながら弁当の蓋を開き、浮かれた様子で箸を取る。先輩が鼻歌を歌う時はかなり機嫌のいいときだけだ。


もしかしたら、僕が思っている以上に先輩はこの旅を謳歌しているのかもしれない。


(だめだ、僕のくだらない劣情で先輩の楽しい旅行を邪魔するわけにはいかない。今はこんな感情忘れよう。)


僕もこの旅行を楽しもう。


そんなことを考えながら、先輩をそのまま眺めていると、彼女が少しだけ眉に皺を寄せ僕を睨んだ。


「和季。」


「え?」


「私は駅弁を食べると宣言したわ。」


「あ、はい。」


僕が答えると、先輩は大袈裟にため息をついた。


「和季、覚えておきなさい。」


「…な、何を?」


「女性がご飯を食べると言ったときは絶対にこちらを見るなということなのよ。恥ずかしいもの。」


そう言いながら先輩は駅弁と箸をそれぞれの手に持ち、凄んだ。その姿が少しだけ面白くて僕は笑う。


「…何?」


「………いえ。ただ」


先輩が不思議そうな顔で僕を見る。


「景色を見ていたんだよ。」







改札を通り抜け、僕はその光景に絶句してしまう。


駅のホームには明らかに人気はなく、少しだけ寂しさを感じる場所だった。絵に描いたような田舎で、駅から見える景色のどこを見渡しても山が連なっている。


僕の後ろから改札を通って先輩が出てくる。電車に慣れていない彼女は切符を入れるのに戸惑っていた。


日差しが眩しかったのか?ふと空を見上げ、被っていたキャスケットを少し深く被り直していた。


「……山しかないな。」


「そんなの見たらわかる。」


「……なんでここで降りたんすか?」


「言ったはずよ、なんとなくで降りたの。」


「…………」


僕たちは旅行に来たはずだ。旅行と言えばもっと人がいっぱいいる観光スポットとかではないだろうか?なのにこんな山に囲まれた場所に降りて何をしろと言うのだろう。


僕が黙り込んでいると、スタスタと春澤先輩は歩き出した。その足はまっすぐ山へと向かっている。


「冗談よ。さっき調べたの、この山の山頂には展望台があるらしいの。さぁ、着いてきなさい。」


「…はい。」


そういえば、電車の中で先輩は雑誌を読んでいた。電車に乗る前に駅の中で買った雑誌だ。おそらく雑誌を見ながら行きたい場所を決めたのだろう。


(山しかないって言ったけど、山が見たかったのか。)


季節はもう秋である。緑色であるはずの山々も今は少しだけだが赤と黄色に染まっている。まあ、まだ紅葉の時期には少しだけ早いと思うが…。


「和季、先に行っちゃうわよ?」


「!」


僕が呆けていると先輩が用意されている階段に足をかけていた。おそらくあの階段から山頂に行くのだろう。幸いなことに、階段は緩やかで登り切ることは簡単そうだった。


今行きますと告げ、山のなかを登っていく。僕が隣に並んだタイミングを見計らって、先輩が木々の一つ一つ指差していく。僕は訳がわからずそれを目で追った。


「あれがカエデ、あれがツツジ。」


「え?」


「あれはケヤキ、褐葉の一つ。あれはカツラ、黄葉。」


「え、全部紅葉じゃないんすか?」


「黄色く色づくのは黄葉、褐色になるのが褐葉よ。」


「へぇ、初めて聞いた。先輩やっぱ博識ですよね。」


「違う。」


「?」


"違う"とはどういうことだろうかと隣を歩く先輩を見ると、少しだけ彼女は笑っていた。その照れ臭そうな笑みは僕が初めてみる表情だった。


「和季に何か教えてあげたくて、少し前に覚えたの。私は和季の先生だから。」


「!」


先生という響きが妙にしっくりときた。春澤澄歌は僕に色々なことを教え、励まし、導いてくれる。何度も何度も、僕は彼女に救われてきたのだ。


そして…。


「先輩、僕といない時でも僕のこと考えてくれてるんですね。」


「!」


憧れの先輩が僕のことを考えて…僕に何かしてあげたいなと考えてくれている、それだけで僕は嬉しいのだ。


感謝を述べようと先輩を見ると先輩はキャスケットをより深く被っていた。顔が見えないほどに深く。


「先輩?」


「……い、行くわよ。」


「…………」


早歩きで階段を登っていく彼女の後ろ姿を見送る。キャスケットからはみ出てしまった彼女の耳は赤い。


(紅葉している葉みたいだ。)


照れてしまったのだろうか?僕は少しだけ嬉しい気持ちになりながら彼女の後を追った。

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