第15話 先輩との日々⑤
『なんでだ!なんで来なかったんだ!!!』
大声で怒鳴り散らかしているあの少年は誰だろう?
『母さんは…母さんはあんたに会いたがってたぞ!』
『………すまない。』
『すまないじゃ…っ……いや、もういい。』
『…………』
『もう…あんたの顔は見たくない。』
泣きそうな顔で佇む少年は誰だろう?
その背後で黙り込んでいる男は誰だろう?
ああ…あれは僕だ。あの少年は確かに僕自身なのだ。
「!」
ガバッと、僕は身を起こした。
どうやら悪夢を見ていたらしい。おかげで最悪の目覚めになってしまった。寝汗もだいぶかいてしまったらしい。
「今何時だ…?」
ベッドの傍に置いた目覚まし時計を見るとまだ朝と呼ぶには早い時間になっていた。なんとなくそのまま眠りなおす気分にもなれず、僕は体を起こした。
汗を洗い流すためにシャワーを浴びようと扉を開いたが、僕はお風呂には行かずに自室に戻った。
僕の家の風呂場は一階にあり、自室は二階だ。そしてこの時間帯にはまだ父さんが下で仕事の準備をしている。
「早く出て行け、帰ってくるな。」
呪詛のような言葉を吐きながら僕は部屋を見渡し、そして目についた参考書を開き読み始めた。
そして一階から物音がしなくなったのを見計らい、僕は自室を後にした。
☆
「和季。」
「…………」
「和季。」
「!…え?何か言いましたか?」
名前を呼ばれて顔をあげると春澤先輩が心配そうに僕を見ていた。どうやら上の空だったみたいだと僕は身を正す。
僕と春澤先輩は駅の改札の前で二人並んでいた。僕は電車に乗って帰らなければならないし彼女の家は駅から近いらしい。勉強会の帰りに先輩が駅まで僕を見送るに来るようになるのは言うなれば必然だった。
「……今日は随分と顔色が悪いわね。あまり集中できなかったようだし。」
「いや、そんなことは…」
「心配よ、熱でもあるのかしら?」
そう言って春澤先輩が僕の頰に手を伸ばしてくる。照れ臭くなった僕はそっと彼女の手を避けた。
「え」
しかしそんな僕が気に入らなかったのか先輩は無理矢理僕の頰に触れた。思わず顔が赤くなってしまう。
「あ、あの…」
「熱はないみたいね。」
「どうも…。」
僕と先輩は変わることなく夏のほったて小屋で過ごしている。先日のように二人で海で遊んだり、時には街に出てショッピングに行ったりもした。
海ではない場所で出会う彼女は新鮮で、誰かと一緒に街に出てここまで楽しくなることはないだろうと思うほどに僕も先輩も笑っていたように思う。
そして夏休みも終盤に差し掛かった。暑さのピークもすぎ、このまま秋へと向かっていくのだろうと思われるような肌寒い空気を感じることもあった。
「熱がないならないで心配ね。何か悩みごとでもあるの?」
「え…」
悩みごとというわけではないが、きっと僕の顔色が優れて見えないのは今朝見た悪夢のせいだろう。
少年の頃の、中学2年生の時の僕の記憶。忘れたい記憶。
「あら?」
その時、どこからか祭囃子が聞こえた。
「…そういえば、夏祭り今日でしたっけ?」
「え、ああ…そんな話もあったわね。」
「人も心なしかいつもよりも多いですね。」
このままでは余計な心配をかけてしまうと僕は無理矢理にでも話題を変えることにした。
「先輩は行くんですか?夏祭り。」
「あなたが行くなら行くわよ。でも…人の多いところはあまり好きじゃないから行きたくはないわね。」
「なら、僕もパスしときます。」
「そう…それにしてももうこんな時間なのね。」
僕たちの住む街の夏祭りは夕方から深夜にかけて露店が立ち並び、盛り上がり始める。そして開催は祭囃子とともに執り行われるのが通例なのだ。
祭囃子が聞こえたということはもう夕方に差し掛かっているということである。
「…そろそろ帰りましょうか?電車も来ますし。」
「そうね、また明日。」
「はい。」
この時すぐさま改札を通ってしまえばよかったのだ。でなければあの人に見られることはなかったのに。
「和季?」
「!」
自身の名前を呼ぶ声に振り返れば、そこには父である羽賀和久がいた。
☆
「父さん……」
「え?」
僕の後ろにいた先輩が息を呑む音が聞こえた。だけど僕は振り返ることなく父を見続けた。
「和季、こんな時間までどこにいたんだ?」
「別に。」
「祭りにでも行ってたのか?」
「…………」
「そちらの方は?紹介しなさい。」
「!」
黙り込んでいた僕に何を言っても無駄だと思ったのか、父が先輩の方を見た。なんとなく、父には先輩との関係を知られたくないと思った。
「あ…私は春澤澄歌って言います。羽賀くんと同じ高校の2年生で…今日は勉強を教えて…」
「先輩!」
「!」
「あ…いや……すいません。」
突然怒鳴るように名を呼んだ僕に春澤先輩がびくりと肩を震わせた。驚いたように僕を見る目に、情けなさと怒りが心のなかに満ちていく。
突然大声を出したせいで駅にいた人たちが僕たちの様子を遠巻きに見始めた。夏祭りがある今日、電車の乗客もいつもよりも多い。
「…行こう先輩。」
「え、ちょ、ちょっと!」
少し慌てたような春澤先輩の手を取って僕は改札とは真反対に歩き出した。
「待ちなさい和季!」
「!」
しかし父が僕の腕を止めて歩みを阻んでくる。僕よりも細く力のない手だった。
瞬間僕の頭に血が昇るのがはっきりとわかった。
「離せよ!」
「!」
「あんたには関係ない!!」
「俺はお前を心配して…」
「心配?あんたが…?嘘ついてんじゃねぇよ!!」
「…………」
「母さんが死ぬ時だって仕事にかまけてたあんたに!心配される筋合いなんてどこにも…!」
パンッ!!!
「…っ…………」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。数拍おいて頬の痛みがジンジンと響き、頭の中が真っ白になっていく。
「…行くわよ。」
皆の喧騒も、父さんの声も遠くに聞こえるなか、先輩の声だけがクリアに聞こえた。
僕が呆然としていると柔らかく細い手が僕の手を掴み、引っ張った。その手に従うまま改札とは反対に、あの海小屋の方へと歩いて行く。
遠くから僕を呼ぶ声がした気がしたが、彼女があまりに強く引っ張るので僕は振り返ることもできなかった。
夏の夜風を浴びながら、僕と先輩で力なく歩き続ける。風に乗せられて祭囃子と楽しそうな喧騒が聞こえてきた。
「先輩、僕をぶったの?」
「ええ、痛い?」
「痛いよ。」
「そう…あとで診てあげるわ。」
ぶったのはあんただろと言い返す余裕もなく、僕は彼女に手を引かれ夜の街を歩いた。
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