第2話 不思議な後輩との出会い②






「ほら、ジュース。」


「さんきゅ。」


「あ?」


「! あ、ありがとうございます…。」


僕と少女は、ホームのベンチに二人揃って腰掛けていた。約束したわけではないけれど、一度言ったことを訂正するのも気が引けたので僕はジュースを手渡した。


僕は少女を見る。抱えていた本を傍に置き、両手で持ったジュースをちびちび飲んでいる黒髪の少女。


そういえば名前を知らない。


「おい、ちんちくりん。」


「!」


「お前、名前は?」


僕が尋ねると少女は缶ジュースの飲み方の穴をひたすらに見つめ続けた。そしてしばらくしたあとポツリと呟く。


「……知らない人には名前を教えないようにしてて」


「………そうかよ。」


同じ学校なんだから調べればわかると思ったが、僕には友達がいないのでやはり調べることはできないのかもしれないと少しだけ落ち込んだ。


いや、友達は一人だけいた。もっともそれが先輩だったのだが、今やもう会うこともできない。フラれたし。


「……その顔。」


「え」


「大丈夫ですか?」


僕が感傷に浸っていると少女が話しかけてきた。なんだ?沈黙が嫌いなタイプか?話しかけると怯えるくせに?


その顔。


僕は手鏡など、自分の顔を確認するものを持っていないのでわからないが、やはりというべき相当ひどい顔をしていたらしい。


「別に、大丈夫だよ。」


「泣いてたんですか?」


「いや、まあ……」


正直答えにくい質問が続くな、と思った。こんな今日会ったばかりの年下の女の子に自分の惨めな恋の話をするほど僕は強メンタルではないのだ。


ここは適当に戯けておくのがいいだろう。


「なんだよ、随分積極的だな。僕のことが好きなのか?」


「いえ、まったく。」


「…あっそ。」


冗談なんだよ、気づけ馬鹿。なんて言ってしまえばまた泣かせてしまうような気がして僕は何ともそっけない返事でその場を濁した。


「ただ…」


「ん?」



「傷ついて泣いてる人に、取っていい態度ではなかったかなと反省しているだけです。」



「…っ………」


「ど、どうかしましたか?」


「え、ああいや……なんでもないよ。」


「それで、泣いてたんですか?」


「………まあ、そんな感じ。」


正直に言うでもなく、それでも否定せずに濁したのはきっと彼女があの人と同じようなことを言ったからだ。


「……おかしいですね。」


「は?何が?」


「そ、その『は?』ってやめてください。怖いです。」


「……気をつけるよ。」


気をつけると言ってもこれから先関わることはもうないと思うけどな。僕あんまり学校行かないし。


「それで何がおかしいんだよ。」


「ヤンキーでも泣くんだなって。それに話してみたら思っていたよりも優しいし。」


「ジュースも奢ってあげたしな。」


「あ、ありがとうございます。」


「いいよ別に。」


「……はい。」


「………」


僕が優しくなれたのはきっとあの人のおかげなんだろうなと心の中で思い、僕はまた一段と感傷的になった。


前を向かなきゃいけないのに、電車に乗り込まなきゃいけないのに僕はその一歩が踏み出せない。



沈黙が続いていた。隣に座る少女の嫌いな沈黙だ。

それなのに少女はヘッドフォンもつけず、本も読まずにただお行儀よく座っていた。  


何か話したいことがあるのだろうか?



「……あの」


「ん?」


「あの時、あなたが泣いていたと仮定して謝ります。その、キツく当たってしまってすいませんでした。」



どうやら、ずっと謝るタイミングを見計らっていたらしい。変なやつだと僕は少しだけ心が軽くなった。 


「別に気にしてないよ。あんなところで立ち尽くしていた僕が100%悪いし。」


「……私、極度の人見知りで。相手と目を合わせたりするのも苦手なんです。人の声を聞くのも。」


「それは大変だな。」


「だから、人前に出る時はヘッドフォンをして、本を読んでいるふりをしてるんです。ヘッドフォンは無音だし、本もろくに読めないけれど。」


「…それも大変だな。」



いやいや大変すぎないか?だから目が合ったときにあんなに怯えていたのか。僕の外見を知らずに話しかけたから。おそらく視界の隅に入る微小の情報だけで生活しているのだろう。てかいつか事故に遭うだろそんなの。



「それに、『話すぞ!』って気持ちが前に出過ぎて語気がどうしても荒くなってしまい……」


「ああ、そういう……」


本当は今も話すのでやっとなのだろう。それでも語気が荒くないのは一度醜態を晒しているからか。


「なんかすいません…いつの間にか私の愚痴みたいな、ジュースまで奢ってもらったのに申し訳ないです。私だってこんな生活やめたいですけど、どうしても…。」


「いや…大丈夫だよ。」


彼女の口ぶりからして彼女自身、自分が他の人のようにうまく生きることができない現状を悔いているのだろう。そして治したいとも思っているように思えた。


だけど僕は…。 



「別にいいんじゃないか?それで。」


「え?」


「人と目を合わすのが苦手ならそれでいいし、人の声を聞くのが嫌ならそれでいいんだよ。少なくともそこを治さなきゃいけない義務なんてないだろ。」


「…………」


「そこを治す必要なんてないんだよ、辛いなら。大切なのはその個性と向き合いながら、しっかりと自立して生きていくことなんだから。」


 

人と目を合わせられなくていい。人と話すのが苦手でもいい。ただ働いて、暮らしていければいい。選択肢は他人よりも狭く苦しいだろうが、その方が幾分か幸せだろう。


全て、先輩が僕に言ってくれた言葉だった。



「…………」


「…………」


「何か言えよ、下手なポエムみたいで恥ずかしいだろ。」


押し黙る彼女に羞恥心がふつふつと湧き上がり、僕の顔を赤くした。何となく気まずくなり、僕は彼女を見た。




彼女も僕を見ていた。

缶ジュースの真っ暗な穴から顔を上げて。




「………なんだよ。目、見られるじゃないか。」


「ええ……だから驚いてるんです。」


「え?」


「どうしてでしょうか?私あなたの目なら見られるみたいです、不思議なことに。」


「……なんだよ、それ。新手の釣りか?」


「ち、違います!ほ、本当に私も驚いてて……」



ああ、その目で見るのはやめてくれと僕は心の底から叫びたくなった。


彼女の瞳は先輩の瞳とあまりにも似すぎていた。


僕はフイと彼女から目を離し、駅の天井からぶら下がる案内板を見た。だけれど、内容は少しも入ってこなかった。


「君と同じで、僕も人と話すのが苦手だからじゃないか?お前は僕に同じ匂いを感じ取ったんだよ、多分な。」


「……そうでしょうか、そうかもしれません。」


「きっとそうだよ。」 


僕がそう同意すると、彼女は納得したような声で頷いた。そして缶ジュースのおそらく最後の一口であろうものを軽快に飲み干した。



『1番線、まもなく電車が参ります。』



駅のホームに音声案内が鳴り響く。彼女は立ち上がった。


「私の名前」


「え?」


「私の名前、春日谷舞って言います。一年です。先輩は?」


「僕は、羽賀和季。二年。」


案の定彼女は僕のことを知らないのか、名前を聞いても驚く様子はなく、何度も僕の名前を繰り返していた。


「羽賀先輩、お話してくれてありがとうございました。楽しかったです、本当に。」


「ああ、僕も気が紛れたよ。」


「あの……」



その時、電車がホームへと飛び込んできた。その眩い光が彼女と重なる。



「また会えますか?」


重なって、彼女の姿が影になりよく見えなくなった。春日谷舞は一体どのような顔だったのだろう。


「会えるんじゃないか?同じ学校だし。」


彼女の感情がうまく読み取れなかった僕は無難な返事をした。すると彼女は満足したのか、その電車に飛び乗った。


軽快なステップで一歩を踏み出せる彼女を見て、僕はあんなにも簡単なことだったんだと拍子抜けする。


「それじゃあ、また!羽賀先輩!!」


会った当初と同一人物とは思えないほど元気な声で、春日谷が僕の名前を呼んだ。

電車の窓越しに見る彼女は笑っていた。


「………ははは。」


僕はその姿を穴が開くほどに見つめ、そして首をすくめた。もう真夜中と呼ぶに差し支えない時間であり、とにかく寒かったのだ。そして、僕は春日谷といるとき、確かにその寒さを紛らわすことができた。






しばらくして、春日谷が乗った電車に僕も乗れば良かったと寒空の下少しだけ後悔した。

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