文学少年たちのモラトリアム

詩村巴瑠

鷹野柊は頼みごとを断れない

第1話 久しぶりのサークル活動

 朝、薄暗い部屋に目覚めれば、蒲団ふとんからはみ出した肩を冷気が撫でる。鷹野柊は薄目のまま、しばらく上体を起こすこともしなかった。カーテンを開けなくなってからどれくらい時が経っただろう。窓の傍に寄って行って、カーテンを開ける。ただそれだけのことが今の柊にはとても難しかった。スマホの画面を開けば、既に溜まっているたくさんの通知が目に留まる。が柊はそれを見なかったことにして暖房の聞いていない部屋でのろのろとパジャマから着替えた後、大学へ行くための支度を始めた。

 

 十二月の初旬にもなると、吹き付けてくる風に声が出そうになる。駅構内から地上に出ると、おおううものがない顔や耳は痛みさえ感じるほど冷たい空気に吹きさらされる。耳当てやネックウォーマーをつけるなどして対策すればいいのだが、つけると若干の違和感を感じて結局後には外してしまうので、柊は今日も顔面を寒風の中に晒している。柊が大学の校門を過ぎて、授業で使う教室がある二号館を目指して歩いていると後ろから声をかける者がいた。


「ヒイラギ、久しぶり。」


 振り返れば、後ろでひらりと手を振ってにこやかに立っていたのは柊が所属している文芸サークルの部長であり、親しい友人である青山裕樹だった。


「あぁ、」


 思わず、呆けた返事をする。柊は内心呆れていた。どうしてこの男は自分に笑顔で声をかけられるのだろう。自分なら絶対にそんなことは出来ない。お前にならばと信頼して預けた小説「レイミ」の草稿を勝手に文学賞に応募したその後に悪びれることもなく笑顔で声をかけるなんてそんな無神経な行動。だが、柊はそんな呆れをおくびにも出さず答えた。


「サークルじゃないと会う機会あんまないしな。」

「今からの授業も必修だから皆いるけど、少人数授業じゃないと喋らないもんな。ていうか、そろそろサークル来いよ。」


その呼びかけにはすぐには答えないでいる柊を放って、裕樹は饒舌じょうぜつに話し続ける。


「お前が来ない間に新入生も増えたしさ、なんていうかお前が来ないと締まらないんだよ。ちゃんと作品持ち寄るやつらも少なくなって半分合コンみたいな空気感になっちゃってるし。あっでも、一人お前が気に入りそうな子もいてって、この文脈だと違った感じに聞こえちゃうかもだけどあれね、文章的にっていうことね。」


 柊がサークルに顔を出さなくなった一因として、裕樹が勝手に「レイミ」を文学賞に投稿したこともあった。それから、自分の精神の安寧とお互いのために距離を取ろうとした。それだというのに柊の消極的な勇気を、裕樹はあっさりと踏みつぶして手を差し伸べてきた。そして、それを振り払うだけの気力を柊は持ち合わせていなかった。そんな柊の内心をよそに、裕樹は舌を回し続けていた。


「なんていうか、読み進めると気付いた時には深みに足がはまってて抜け出せない感じ?んー、駄目だ表現がしっくりこない。お前が会ってぴったりの表現探してくれよ。」


 頼む、と手を合わせられて柊は苦笑する。


「仕方ないな。」


 頼りにされるのは嫌いじゃないし、何より柊は他人からの頼み事を断ることが苦手だ。頷けば、裕樹はわかりやすく安堵の表情を浮かべると助かるよ、と言った。それを見て、ノリや社交辞令で言ってきたのではなく、彼が本気で困っていたことがわかってしまって、柊は裕樹がサークルが合コン会場になることに危機感を抱く側であったことに驚いた。どうやら裕樹に対する認識を少し改めなければならないようだった。


 青山裕樹はいつも人の輪の中にいる人間だ。それも、輪の中の一人ではなく、彼の周りに輪が出来る方の。際立った個性で人を惹きつけるタイプではないが、誰とでも話を盛り上げ、適度に悪ノリが出来る、真剣な悩み事は茶化さずに真剣に話を聞き、さりげない気遣いもお手の物。そんな裕樹が男子にも女子にもよくモテるのは当然の道理と言える。『お前みたいなやつが人たらしって言うんだろうな』と、ある日呟いてみれば、『俺よりお前の方が大概だと思うぞ』と真顔で返された。柊は未だに釈然としない。確かに彼と友達付き合いをするようになってから、柊にも友人が増え女子にもモテるようにもなったがそれはただ裕樹と親しいという恩恵にあやかっただけだ。そう言えば、裕樹はわかってないなと言うように首を振った。

『お前の魅力にやっと皆が気づき出したってだけだよ。ま、その点で言うと俺がプロデュースしてやったって言っても過言じゃないし感謝してもらっても構わないけどな?』

裕樹のドヤ顔を見ていると、異議を申し立てる気もなくなった。まったく、面白い友人を持ったものである。


 そんなノリの裕樹だから、サークルが合コン会場になったところでそれはそれで楽しんでしまえるような人間だと思い込んでいた。勿論もちろん、柊のような硬い、真面目な人間にも合わすことのできる男ではあるが、どちらかというと素は男女で集まってのキャンプを企画するようなタイプの人間だと思い込んでいた。それがどうだろう、彼はどうやら文芸サークルでの自分たちで書いた小説を持ち寄り、皆で読んで口出しをし合うといった地味で真面目な活動を案外楽しんでいたようなのだ。これは裕樹と知り合いだしてから二年目にしての発見であり、柊は青山裕樹という人間に対して前よりも少し興味を持った。

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