第187話 倉庫の上のスパイ

「バスカー!」


『わふ!』


 私が声を上げると、バスカーがすぐに応じた。

 ガルムの巨体が壁を一蹴りで駆け上がる。


 倉庫の屋根近くに設けられた空間にバスカーが躍り込むと、悲鳴があがった。

 エルフェンバインの言葉じゃない。


「आप क्या हैं!? ウグワーッ!?」


 バスカーが相手の袖やら足やらを噛み付いているらしい。

 騒ぎを聞きつけて、警備の人もやって来た。


「な、なんですか!?」


「上に人がいるの。周りには梯子も何も無いわ。こういうことってあるの?」


「無いですね……! ちょっと梯子を持って来ます!」


 少しして、上の騒ぎが静かになった頃。

 持ってきてもらった梯子を立て掛けて、私たちは倉庫の上に登った。


 そこでは、バスカーにめちゃくちゃに振り回されたらしく、ぐったりとした大柄な男が転がっていた。


「ふむ、アルマース帝国の方ですわね。先程の叫び声がそうでしたもの」


 そうだったのか!

 彼はすぐに警備の人に取り押さえられた。


 それなりの戦闘訓練を積んでいるように見えたけれど、ガルムと素手でやり合うなんて本来は不可能だからね。

 バスカーは私を見ながら尻尾を振ってアピールしてくる。


「よしよし、えらいえらい」


 ムギュムギュ抱きしめて、背中や首を撫でてあげた。

 最近は二週間ごとくらいに犬用シャンプーで洗っているので、ふかふかした毛からはいいにおいがする。

 いぬくさいのも嫌いじゃないんだけど。


 シャーロットは、男の残したものを検分している。


「明確にどこの国のものというのはありませんけれど、どうやら設計図をどうにかして手に入れ、それを自国に持ち帰ろうとしていたようですわね」


 暗号文になった手紙なども見つかったと言う。


「でもどうして倉庫の上なんかに?」


「午後になると、市場から戻ってきた馬車の一部は、馬を入れ替えて郊外に出ていきますの。仕入れのためですわね。幌の上にでも捕まって、国外に出ようとしていたのでしょうね」


「なるほど……それでこんなところに……」


 壁で仕切られた倉庫の上には、食料やら、なんと携帯用トイレやらが持ち込まれていた。

 本当にここで生活していたらしい。


 その後、デストレードが調査結果を手に戻ってきた。


「殺された男性は、エルフェンバインの新兵器を開発した人間の一人です。職場の人間関係から恨みを抱き、設計図を盗んで逃走したようですね。ですが、彼と繋がっていたアルマース帝国のスパイは、設計図の重要部分だけを奪って彼を殺してしまった」


「裏切るような人間は、何度でも裏切るもの。真っ先に消すのは合理的だわ」


 私は頷く。

 憲兵たちが、何か恐ろしいものを見るような目を私に向けた。

 なんだなんだ。


「ええ。凶器も見つかっていますわ。このペーパーナイフですわね。そしてこのナイフで何をしたと思います? 今、残りの重要部分の設計図が見つかっていませんの。これはつまり……」


 シャーロットが、紙をバラバラにするジェスチャーをした。


「精霊の力を使った大型弩弓だったと予測されますわね。アルマース帝国のザクサーン教の過激派は、精霊を認めていませんわ。つまり、設計図を持ち帰るのではなく、この場で引き裂いてばらばらにすることを選んだ。もう、設計図はどこにもありませんわね」


 ちらりとシャーロットが目を向けたのは、携帯用の料理セットだった。

 設計図は羊皮紙に記されていた。


 これを煮て食べてしまったのではないかという話だ。

 そこまでするかー。


 その時だ。


『わふ!』


 バスカーが何かを咥えて持ってきた。

 荷物の隙間に何枚か挟まっていたらしい。


「あ、設計図の切れ端?」


 どうやらバラバラにした時、スパイは下に何枚も落としてしまったらしい。

 荷物はギュウギュウになっているし、降りて探そうとすれば見つかってしまうしで、どうにもできなかったのだろう。

 ちょっと間抜けではある。


 昼過ぎに戻ってきた荷主の商人に話をして、壁を取り外させてもらった。

 荷物を下ろし、設計図の切れ端を回収する。


 これで今回の事件は終わりかな。

 始まりはセンセーショナルだったけど、終わりになると小さくまとまってしまったなあ。


 後にターナが取材にやって来て、今回の事件の話をしたら……。


「国家の間に戦争を起こすような大事件じゃないですか!! 全然小さくまとまってないですよー!! ジャネット様、なんか感覚がおかしくなってます!」


 と言われてしまった。 

 そうかな……!?


 アルマース帝国の過激派については、詳しいことは分からなかった。

 だけど、日常のあちこちに、戦争の火種みたいなものは転がっているのかも知れない。


 そして私が話した事件については、設計図のことだけがボカされて、『推理令嬢、某国のスパイを発見! ジャネット嬢とともに一網打尽に!』なんて煽り文句で世に知られるようになってしまった。

 陛下には、「国家機密の話がこんなに知れ渡っていいんですか? スパイとか」と尋ねたのだけれど。


「ジャネット、君の父上とは話がついていてな。我が王家の一員となる女性が素晴らしい働きをしたならば、それは王家の誇りでもあるのだよ」


 ……なんて返されてしまったのだった。

 あー、そっちももう既成事実になってますか。


 別に嫌ではないけれど、詳しい話を父に聞きに行かねばなあ、などと思う私なのだった。

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