第137話 走れご令嬢
本日のエルフェンバイン競馬場は快晴。
馬場状態も良好……!
私はお弁当のサンドイッチと紅茶を用意して、シャーロットとともに観覧にやって来ていた。
そして、隣にはもうひとり。
「ううう……けしからん。どうして競馬などという場にアリアナがいるのだ。けしからん……」
唸り声を上げる、ずんぐりしたお人。
彼がリカイガナイ男爵。
なるほど、堅物そうな顔をしている。
ウッドマン騎士爵をこちら側につけた後、彼とアリアナが説得してリカイガナイ男爵をこの場に連れ出したのだ。
そしてアリアナの姿はここにない。
つまりそれは、何を意味するかと言うと……。
わーっと観客席全体が盛り上がる。
芦毛の馬と、それにまたがる美しい騎手が登場したのだ。
騎手アリアナ!
平日は賢者の館で事務員をして、休日は騎手を勤める競馬場のアイドル。
ちなみにリカイガナイ男爵に聞いたところ、やはり男爵家に余裕はなく、男爵も様々な仕事をして資金調達をしているとか。
ウッドマン騎士爵の名声はなんとしても欲しいところだろう。
そして、銀竜号の食費や管理費もろもろは、アリアナの事務員としてのお給料から出ているそうだ。
本当にギリギリでやってるのね。
競馬場を包み込む大歓声に、リカイガナイ男爵は目を丸くする。
立ち上がり、周囲を見回した。
誰も彼もが、老若男女が、地位すらも問わず、アリアナの登場に歓声をあげている。
「強い弱いは別として、彼女はレースの華ですのよ」
シャーロットが告げる。
「大変な人気ですわ! 凛々しく美しい女性騎手と、息もぴったりな芦毛の馬! 今や、彼女を見るためにわざわざ王都の外から来る方もおられるそうですから」
アリアナ・リカイガナイの名は、それほどにエルフェンバイン中に轟いているのだ。
黄金号事件で競馬にうんざりしていたはずの私が、またここに足を運ぶくらいには。
走り出す銀竜号に、観客は一斉に声援を送る。
一緒に走る騎手たちがちょっと気の毒になるくらい、アリアナは大人気だ。
最近では、町を銀竜号で通勤していると頻繁に声を掛けられるらしい。
馬で賢者の館まで通勤してるのね。
リカイガナイ男爵にとって、これこそ理解が及ばない現実だったろう。
「アリアナの乗馬をどう思ってたんです?」
「私は……。娘の趣味で、ただの我儘だとばかり思っていた……。そんなもの、ただの自己満足でしかなくて、何も生み出さず、ただ怪我をする危険があるばかりのものだと……。だから私はウッドマンに頼んで……」
アリアナの乗馬を辞めさせようと考えていたと。
リカイガナイ男爵の中では、アリアナは一人で馬にまたがり、自己満足に浸る孤独な騎手だったのだろう。
だが、大歓声の中、先頭のままゴールする彼女を見てどう思うのか。
賭けをしていた人々も、肩をすくめてから拍手をしたりしている。
アリアナは強い騎手ではないから、勝ったり負けたり。
むしろ負ける方が多い。
だけど彼女は人気があった。
彼女に賭けるのは、ファンの女性たちやアリアナを見に来た観光客。
アリアナが勝つと、会場の大きな部分を占める彼らがわーっと盛り上がる。
「娘は……アリアナは、皆に愛されているのか……?」
「ええ、そうです」
私は断言した。
競馬の申し子のような女性だ。
貴族の遊びでしか無かった競馬に、たくさんの人たちを呼び込んだ。
王都の女子たちの将来の夢に、騎手という選択肢をもたらした。
競馬場は入場料を取っていて、これが競馬場や馬たちを維持するための資金になる。
それが潤沢に得られるようになったそうだ。
「確かに乗馬は危ないこともあるし、それを走らせるのだから心配するのも当然。だけど、彼女はみんなに求められているの。ねえ男爵。アリアナを認めてあげてくれないかしら。理解できないのはいいの。だけど、彼女は乗馬を愛して、みんなもそんな彼女を愛している。それを認めて、アリアナを馬と一緒にいさせて欲しいのよ」
リカイガナイ男爵は、じっと私を見た。
そして、困った顔をした。
「なるほど。ウッドマンは権威に伏したわけではなく、アリアナの事を知ったから翻意したのですな……。これは私も、理解せざるをえません」
ため息を吐いたあと、男爵は頷いた。
こうして、アリアナ・リカイガナイは全ての憂いを断ち切り、女性騎手としての道を歩み始めたのである。
ところで。
「騎手として人気になってるんでしょ。なんでアリアナはまだ事務員やってるの」
書類をバリバリと片付けるアリアナを見て、私は首を傾げざるをえない。
「あら、だって私の仕事は事務員ですから。家の財政が厳しいことに代わりは無いですし、銀竜号の飼い葉は私が稼がないといけないんです! 今日も働きますよ!」
アリアナが力こぶを作ってみせた。
近く、彼女はウッドマン騎士爵と婚約するそうだ。
彼はアリアナの乗馬への理解が深いし、何より……。
「彼ってば、私よりも乗馬が上手いんです。絶対に越えてみせます!!」
めらめらと燃えるアリアナなのだった。
「ほんと、ジャネット様が関わると色々な話が盛り上がりますよねえ。俺もまた、ジャネット様絡みで派手な事件に巻き込まれたいなあ」
ハンスが不謹慎な事を言うので、私は彼にデコピンをくれてやったのである。
「痛い!」
額を押さえて大いにのけぞる彼を見て、私もアリアナも笑ったのだった。
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