第136話 本当にやりたいことは

 私たちは、一つの作戦を立てた。


 シャーロット邸から出たアリアナは、銀竜号を駆り、道を行く。

 貴族街へ向かう途中、彼女は果樹園などが集まる地域に立ち寄った。


 この季節にはまだ果物は成っていない。

 緑の葉を揺らす木々が道の両脇に立ち並んでいる。

 その中を、ゆっくりと歩く銀竜号。


 彼女の背後に、近づいていく者がある。

 黒馬にまたがった男だ。


「まだ馬になんか乗って。お嬢さん」


 男は声を掛けた。

 騎士ウッドマンだ。


「あ、あなたには関係ないでしょう」


 アリアナは少しだけ身を固くする。

 銀竜号は黒馬を避けるように、道の脇へと動く。

 後を追って黒馬が歩む。


「私は馬に乗りたいの。それがどうしていけないの」


「ご婦人が馬になんて乗るものじゃない。これは男の乗り物だ。第一、落馬してしまったらどうするんだ。あなたは大事な体なんだ。それにレースなんてとんでもない」


「馬に乗る以上、落ちるかも知れないのは覚悟の上だわ! それに、私はこの子と一緒にあのレース場を走るのが好きなの! 馬に乗っていたいの! この子と走っていられる時間は短いのよ。それくらいの時間、好きにさせてよ!」


 アリアナの勢いに、ウッドマンは少したじろいだ様子だった。


「だ……だがしかし、いけない。旦那様はお嬢さんが馬に乗ることをよく思っていない。大体、非常識だ。どこの貴族のご令嬢が馬に乗ってレースに出るって言うんだ。上品な乗馬までならいい。だけど、それ以上はダメだ。ありえない。前例がないだろう」


「私が最初の一人になるわ! 私以外にも、王立アカデミーでは馬を好きな子が何人もいたわ! それに、辺境では……」


「へ、辺境は関係ないだろう」


 ウッドマンの顔がひきつる。

 辺境が関係ないとは何事だ。


「お嬢、押さえて押さえて」


「!? 今、何か聞こえたような」


 危ない危ない。


「とにかく! お嬢さん、俺と一緒に来るんだ。旦那様のところに帰ろう」


「いやよ! 近寄らないで!」


「そんな我儘を言わないで!」


 ウッドマンがアリアナに詰め寄ったところで、私たち登場だ。


「そこまでよウッドマン騎士爵!」


「な、なにぃーっ!?」


 突然声を掛けられ、ウッドマンが振り返る。

 そこには、ナイツの小脇に抱えられた私の姿。


 うーん、かっこつかない!


「あなた、自分の気持ちではちょっとアリアナに同情してるくせに、リカイガナイ男爵に逆らうと今まで取り入ってきたのが無駄になるから従っているんでしょう!」


「むむうっ!」


「お嬢、もうちょっと手加減というものを……。男には面子ってものがありますからね」


「あら、ごめんなさい。でもウッドマン。言葉の端々から、感情的にはアリアナに味方したいっていうのが伝わってきたわ!」


「うぬう! さっきから、聞いていれば好き勝手を……。お前は誰だ!」


「ワトサップ辺境伯名代のジャネットよ」


 私が名を告げた瞬間、ウッドマンの顔がこわばり、目を見開き、口をポカーンと開けて、即座に黒馬から飛び降りた。

 そして地面に膝をついて深々と頭を下げる。


「こ……これはとんだ失礼を……!! わたくしめは、ウッドマン騎士爵と申します!」


「ああ、お前かあ!」


 ナイツがどうやら、彼のことを知っているようだった。


「知ってるのナイツ?」


「ええ。こいつはですね、一昨年イニアナガ陛下への反乱を企てた、アクダイカー男爵を単身で捕らえた、英雄の一人ですよ。なるほどなあ。騎士爵とは言え、男爵が娘と結婚させて家に取り込もうと考えるわけだ」


 その事件は私も知っている。

 なるほど、この男が、あの事件を鎮圧した英雄だったのか。


「え……? 嘘、あのウッドマン? その……もっとかっこいい騎士様っていう外見かと思ってた」


 アリアナがなんか言っている。

 ナイツもウッドマンも、大柄でむきむきで、野性味溢れる外見だしねえ。


「ウッドマンは大方、貴族の称号を与えられ、その中で立ち回るので精一杯なんでしょうぜ。悪い男じゃないんですが、融通が利かないんだ」


「ははあ……。ウッドマン、顔を上げていいわよ。あとナイツ! そろそろ私を地面に下ろして!」


「おっと、こいつは失礼しました。お嬢は相変わらず羽のように軽いですな」


「うるさいわよ」


 すとんと地面に降り立った私。

 ウッドマンは片膝を突いた姿勢になり、私を見上げている。


「ねえウッドマン。アリアナをどうしたいわけ? 男爵は彼女を馬から引きずり下ろして、家の中に閉じ込めていたいんでしょう?」


「はい……。女が馬に乗ったり、外で仕事をするものではない、というのが男爵の考えで」


「はあー。本当にこう、理解がない男爵ねえ! 貴族としての役割をちゃんと果たしていれば、他にどんな好きなことをやっていたっていいでしょうに!」


 私は天を仰いだ。

 アリアナは大いに頷き、ウッドマンは戸惑っている風である。


 そこに新たな登場人物。

 アリアナのすぐ近くの果樹の影から、ほっそりした人影が顔を出した。

 シャーロットだ。


「ジャネット様のお考えは、王都でもかなり進歩的というか、男女なく何でもやらねば生存すら危うい辺境メソッドですわね。ですが一理ありますわ」


「また増えた!」


「ラムズ侯爵令嬢シャーロットと申しますわ」


「ははーっ!」


 またウッドマンが頭を下げた。


「な? こいつ、戦場以外では融通が利かないんですよ。とにかく地位が上の貴族に頭を下げなきゃってなってる。これが鉄火場だったら違うんですがねえ」


「なるほどですわ」


 シャーロットがポン、と手を叩く。


「何がなるほどなの?」


「つまり、ウッドマン氏はこの状況を、鉄火場だとは考えていないということですわよ。いいかしらウッドマンさん。今この状況。あなたにとっては、男爵令嬢を連れ戻すだけの退屈な仕事に思えているかもしれませんけれど」


 ここでシャーロットが、アリアナを手のひらで指し示す。


「アリアナさんにとっては、今がまさに勝負の時なのですわよ。自分の大切なものを奪おうとするお父様を前に、いかにして大好きな乗馬とレースを守ろうか。日々頭を働かせながら競馬場に立っているのですわ」


 ウッドマンがハッとした。

 それで通じるのかー。


「た、戦いだ。お嬢さんは戦ってるんですね」


「そういうことですわ。貴族社会はややこしてくて大変ですけれども、そこは形こそ違えど戦場に変わりはありませんの。ねえ、英雄ウッドマン。あなたはこの戦場で、今まさに大切な物を奪われようとしている姫君を見てどう思いますの?」


 ウッドマンがアリアナを見る。

 そして、自分の手を見た。


「ああ、腑に落ちました。ここが戦場なら、俺が味方する人は決まってました」


 立ち上がるウッドマン。

 憑き物が落ちたような顔をしている。


 アリアナも、ほうっと一息。


 かくして、ウッドマンはこっち側についた。

 後の問題は……。


「リカイガナイ男爵に、ご理解いただくほかありませんわね!」


 実に楽しげに、シャーロットが宣言するのだった。

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