リュカ・ゼフィー号事件~リトル・シャーロット~

第91話 シャーロットの思い出

 事件にばかり遭遇していると思われがちだけれど、別にそうではない。

 むしろ、平凡で何も起こらない毎日の方が多い。


 今日もそんな日。

 シャーロットの家で紅茶をいただきながら、他愛もない会話に花が咲く。


 ふと、お互いの過去の話が盛り上がった。

 私は辺境での、命がけの毎日の話。

 シャーロットはとても興味深そうに話を聞き、「わたくし、辺境ではとても生きていけませんわねえ」なんて謙遜をして来た。


「大丈夫。シャーロットなら絶対いけるから」


「全然うれしくない保証ですわねえ」


 そんなやり取りをして、二人でけらけら笑う。


「そう言えば、私はシャーロットのことを全然知らないな。そもそも侯爵家のご令嬢が、どうして冒険者の相談役みたいなことをやっているわけ? あ、冒険者に限らず、よろず相談役、か」


「ふむふむ、いい質問ですわね。聞かれなかったから答えなかっただけなのですけれど、この機会にお話しましょうか。その前に、紅茶のお代わりはいかが?」


「いただくわ!」


 香り高い淹れたての紅茶を楽しみながら、私はシャーロットの語りに耳を傾ける。


 それは今よりもそれなりに前。

 シャーロットがまだ、私よりも年下の女の子だった頃の話。


 ■ ■ ■


 豪華客船リュカ・ゼフィー号。

 真っ白なその船体は、今までにあったどんな船よりも大きく、遺跡由来の超技術に寄って作られた全く新しい船だった。


 精霊船と呼称されるそれは、乗客の魔力を少量ずつ吸い、これを風の魔力に変換する。

 それによって風の精霊シルフを呼び寄せて、自ら風を起こして進むのだ。


 最新鋭の船だけに、乗船料金は目玉が飛び出るほど高い。

 少なくとも、平民では、二等客室に乗るにも十年ぶんの稼ぎが必要になる。


「お兄様! こっち、こっちですわ!」


 麦わら帽子を被った、活動的なサマードレス姿の少女が甲板を走っていく。

 その後をに、長身の青年が続いた。


「シャーロット。どれだけ安全でも船の上なのだから、走り回ってはいけないよ。君はレディなのだし、それに君以外のたくさんの人が船には乗っているのだから」


「分かっていますわよ、お兄様! でも、こんなに風が吹き抜けて、空がこんなに広い場所で、走るななんて残酷な言葉ですわ!」


 くるりと振り返る彼女。

 愛らしい顔立ちだが、全体的に意思の強そうな印象を受ける。


「やれやれ。君は気楽な立場かもしれないが、私はもうじき侯爵家を継ぐことになるんだ。無茶はできないというのに」


 ため息をつきながら、長身の若者が麦わらの少女を追いかける。

 その姿に、甲板にいた乗客たちからも微笑みが溢れる。


 リュカ・ゼフィー号の処女航海である。

 限られた乗船客の枠は、またたく間に埋まった。


 そのいずれもが、名だたる貴族か、商人たち。

 二等客室には、貴族の使用人たちが泊まっている。


「マクロスト!」


 甲板の一角に置かれたテーブルから声が掛かった。

 そこには、灰色の髪をした年かさの男性がいた。

 体格のいい彼は、目尻は笑いじわがあった。


 マクロストと呼ばれたのは、少女、シャーロットの兄。

 彼は振り返ると、風で乱れたブルネットの髪を整えつつ、曖昧に笑った。


「トレボー侯爵」


「ああ。お嬢さんは相変わらず元気だね。オットーは船が怖いらしくて、船室で大人しくしているが、こんなことなら連れてきたら良かったな」


 トレボー侯爵は海運業に力を持つ貴族。

 もともと侯爵家は、家柄だけはあったが目立つような存在ではなかった。

 しかし現トレボー侯爵が若い頃、数年ほど失踪した時期があった。


 戻ってきたトレボー侯爵は、この精霊船の核となる発掘品を手にしており、これを元手にして海運業に乗り出したのである。

 かくして、トレボー侯爵家は財政的にも、名声的にも、エルフェンバインでの存在感を増して行った。


 マクロストはラムズ侯爵家の次期当主であり、トレボー侯爵とは親しい仲である。

 そしてトレボー侯爵の息子であるオットーは、マクロストの妹であるシャーロットの婚約者だった。


「おじさま、ごきげんよう!」


 シャーロットが走ってきて、ドレスの裾を摘んで一礼した。


「ああ、本当に元気そうだ、シャーロット。君が我が家に来てくれるのが楽しみだよ」


 トレボー侯爵は、精霊船の船主である。

 だから、多少の無理は利く。


 混み合う甲板に椅子を持ってこさせて、彼はこの場で語らうための席を設けた。

 発泡酒や果実を絞った飲み物が出される。


「お茶はないのかしら」


「シャーロット、船の上で火を使うのは手間も燃料も必要になる。船主と言えど、少量の湯を沸かすために火を起こすことはやらないのだよ」


「燃料が限られてますものねー。あら、美味しい!」


 果実の飲み物を口にしたシャーロットが微笑んだ。


「リヴェル島のオレンジですわね! 早摘みで酸っぱいところに、蜜が入っていて、わたくし大好き!」


「よくリヴェル島のオレンジだと分かったね……!」


 トレボー侯爵が目を丸くした。

 これに対して、シャーロットは得意げになる。


「簡単な推理ですわ! エルフェンバインの本土では、まだオレンジは取れませんもの! それにこの酸っぱさは早摘みでしょう? 輸入されたオレンジならもう熟れてますし、今早摘みできるのはリヴェル島しかありませんわ!」


「参った、さすがだ!」


 トレボー侯爵は、心底驚いたという顔をした。

 周囲にいた他の貴族たちも、驚きの声を上げる。

 対して、マクロストは曖昧な表情だ。


「申し訳ない。私の真似ばかりするのです、シャーロットは。頭の回転は早いのですが。シャーロット、あまりずけずけと物事を言い当てるものではないよ。それに、推理を開陳するならば結論から。推理過程をいちいち開陳するなんて、効率的ではない」


「あらお兄様! わたくし常々思っていたのですけれど、お兄様のは趣も何もありません! せっかく推理したんですから、詳しく説明したいじゃありませんか!」


 二人のやり取りを見て、トレボー侯爵や貴族たちが笑い出した。

 なんとも、似たもの兄妹ではないか。


 ラムズ侯爵家の二人は、ちょっとした有名人なのだった。


「よし、それではシャーロット。わしからの挑戦だ」


 トレボー侯爵は指を立てて、ウィンクして見せた。


「謎を出してくださいますのね! 受けて立ちますわ!」


 若きシャーロット・ラムズ侯爵令嬢は、腕組みをしながらトレボー侯爵の挑戦を受けるのだった。

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