第76話 黄金号はどこから来たのか 

 夢を見ていた。

 辺境の草原を眺める夢だった。


 辺境の草原はとても危険なので、武器や護衛なしに降りていくことはありえない。

 どこに蛮族やモンスターが潜んでいるかも分からないからだ。


 だから私の記憶の中で、辺境の草原は、いつも城壁から見下ろすものだった。

 緑と茶色の色彩がどこまでも続いている。


 だが、その時の光景に一箇所だけ見慣れない色があった。

 金色だ。


 黄金の輝きを放つ何かがそこにいて、少しずつ大きくなってくる。

 近づいてくるのだ。


「何……?」


 しっかりと視認できる距離までやって来て、それが何者なのか気付いた。

 金色に輝く馬、黄金号だ。


 それは私を見上げて、高くいなないた。

 次の瞬間、私の体は城壁から放り出され、黄金号が待つ草原へと落ちていく……。


『わふ!』


 突然耳元で聞き慣れた鳴き声がして、私は目覚めた。

 顔に冷たいものがくっついている。


 うーん、いぬくさい。

 そこでハッと目が冴えた。


「バスカー!」


『わふーん』


 バスカーが、そうですよー、とでも言いたげな顔をしてちょこんと座り、尻尾をぶんぶん振った。

 彼が私を起こしてくれたのか。

 だけど、周りは随分暗い。


 曇り空なのかな……? と思って体を起こすと、カーテンの隙間からは少しの光も漏れてこない。

 立ち上がってカーテンを開けると、まだ真夜中だった。


「ええ……? 夜じゃない。どうしてバスカー、私を起こしたの?」


『わふ、わふ』


 バスカーが何事か訴えている気がするけれど、私にはハッキリとは分からない。

 だけど、どうも彼が助けてくれたらしいことだけが、感覚として理解できた。


「よく分からないけれど、ありがとうね、バスカー」


『わふ!』


 バスカーに起こされる前に見ていた夢の記憶は、はっきりとしない。

 だけど、もしかしたらあまり良くない夢だったのかも。


 ふと、その時、バスカーの鼻先にくっついている金色の糸みたいなものが見えた。


「なーに、これ」


『わふー』


 それはまるで、バイオリンに使っている馬の毛のような……。

 ここで私は、シャーロットを頼るという選択を決めたのだった。


 とりあえず、バスカーにしがみついて朝まで寝ることにする。

 何かよろしくない夢を見たが、それからバスカーが助けてくれたのではないか、という直感を信じることにしたのだ。

 もっふもふのバスカーは素晴らしい抱き枕で、ちょっといぬのにおいが強いけど、それはそれで魅力だった。


 お陰で熟睡。

 翌朝、メイドが私を起こしに来て、バスカーにくっついて寝ているのに気付いてとても驚いたそうだ。


 朝食を済ませて、バスカーのお散歩ついでにシャーロットの家に向かう。

 ちょっと早めの朝だけれど、彼女なら準備万端で待っていそうな気がした。


 果たして、下町にあるシャーロット邸の扉が開き、私とバスカーを迎え入れてくれた。

 そこには、いつもの格好のシャーロット。


「黄金号消ゆ! やはり関わっておられましたわね、ジャネット様。お待ちしておりましたわ! もうすぐお湯も沸きますし、紅茶を淹れますわよ!」


「さすが……。何もかもお見通しっていう感じね」


「わたくし、分かる範囲のことしか分かりませんわよ」


 当たり前の事のようだが、シャーロットが口にすると謙遜に聞こえる。

 私は二階まで通され、バスカーは下の階でインビジブルストーカーと遊んでいる。


 シャーロットが淹れた香り高い紅茶を口にして、ようやく落ち着いた。

 ふうーっと深い溜め息が漏れる。


「黄金号がねえ、私をじーっと見ていたのだけど。そこにバスカーが割って入ってきて」


「ふんふん」


「昨夜は怖い夢を見たようだけど、バスカーが起こしてくれて。そうしたらこの金色の毛が」


「ふむふむ」


 シャーロットはルーペを使って、毛をしげしげと眺める。


「馬の毛ですわね」


「やっぱりそう思う? なんだろう。バスカーに黄金号の毛がついてたのかな」


「いえ、そうではないでしょうね。侵入してきていた黄金号をバスカーが撃退したのですわ」


「ふーん。バスカーが、侵入してきた黄金号を……って、は? あの馬が? 私の部屋に?」


「ええ」


 シャーロットは微笑んだ。


「黄金号。ミルトン伯爵家が手に入れたという名馬ですわね。この間のものも含めて、三度のレースに出て、その全てで勝利していますわ。その力は圧倒的。馬の形をした、違う生き物のようだとも言われていましたわね。それはその通りでしょう。だって、あれは馬ではないのですもの」


 シャーロットが聞き捨てならぬ事を言う。


「どういうこと……!?」


「ミルトン伯爵は何らかの手段を使って、黄金号を従えたのでしょう。ですけれど黄金号は、自らの掛けられた服従の魔法を打ち破るほど、自分にとって最高の相性を持つ人間を見つけた。馬ではなくても、馬の姿をしている以上、人とともにあることを宿命つけられる存在ですものね」


「それってつまり……。私?」


「ええ。黄金号は恐らく、人を魅了する魔なる存在でしょうね。ミルトン伯爵に従う術式で縛られていたのでしょうけれども、相手がジャネット様ではねえ……」


 なんということだ。

 つまり私は、悪魔に魅入られてしまったということか。

 洒落にならない。


「悪魔は悪魔の世界にお戻りいただくのが定石ですわね。さてジャネット様。紅茶のお代わりはもう大丈夫? 落ち着かれたのならば、ミルトン伯爵家に向かいますわよ!」


「分かったわ。ちょっとだけお菓子をいただいたら行きましょう」


 これから波乱が起きそうな予感がある。

 焼き菓子で元気を補給しておかなくては……!


 

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