第3話 紅茶と考察

 湯気の立つ紅茶が目の前に置かれる。

 シャーロットが手ずから淹れたのだ。

 私は目を丸くする。


「メイドは雇わないの?」


「こんなところにメイドを通わせられませんわ。住むにしても危険でしょう?」


 何を当たり前の事を、と言った様子のシャーロット。

 いやいや、あなただって危なくはないの?


「下の階には護衛の魔法生物がいますわ。わたくしの家の同居人はそれで十分。外は騒がしくても家の中は静かで、何かを考えようとするのが捗りますもの。快適ですわよ?」


 分からない世界だ……!

 にっこり笑うシャーロットは、普段の鋭い印象が丸まって、可愛らしく見えた。

 でも、発言内容は全然可愛らしくない。


 ナイツはその魔法生物がいる一階で、「ご婦人がたの会話を聞く趣味はないですからね」と、昼寝を決め込んでいる。

 そういうわけで、ここには私とシャーロットの二人きり。


「わたくしのことはいいのです。何か相談したいことがあって来たのではなくって?」


「そうだった」


 すっかりシャーロットに呑まれてしまっていた。

 私は淹れてもらった紅茶に口をつける。


 素晴らしい香りが鼻孔をくすぐった。

 あ、しまった。

 お砂糖とミルクを入れていない。


 ま、いいか。


「お砂糖とミルクを入れてませんわよ。糖分は頭脳を働かせるために重要ですのに」


 何を言ってるんだこの人は。


「ちなみにわたくしたちが飲んでいるこのお茶は、千年前に異世界からやって来たと言われていますわ。今では各地で栽培されていますけれども、紅茶の元になったと思われる種の植物が、この世界、ゼフィロシアには存在していませんの」


「へえ……!」


 突然飛び出してきた紅茶に関するうんちく。

 これはこれで面白かったので、私は目を丸くした。

 どうやらシャーロットはそれが気に入ったらしい。


「そもそも紅茶の来歴についてですけれど」


 彼女の話が止まらなくなった。


「今飲んでいる紅茶はですわね」


 ついには手にしているマグカップにまで。


「飲み口で紅茶の味が変わり」


「シャーロット! 本題に入ってもいいですか?」


「はい? あら、わたくしとしたことが。ジャネット様にお話を聞かせるのが楽しくて、つい。ちゃんとお話を聞いてくださるのですもの」


「あなたのお話が面白いのは認めるので、まずは私が来た理由についてお話しましょう」


「ええ、ええ。コイニキール殿下の婚約破棄についてですわね」


 いざ、本題になると話が早い。

 私が切り出すよりも先に、シャーロットが話し始めた。


「コイニキール殿下の人となりは、ジャネット様もよくご存知でしょう? 恋愛小説愛読者、素人詩人、幼い頃に自分は異世界の民の生まれ変わりだと口にした、あなたとの逢瀬の際には、上手くもない詩を一曲聞かせねば気がすまない……」


「ちょ……ちょっとちょっと!? どうしてそんなことまで知っているの!?」


 私とコイニキールが会った時に、彼が毎回、新作の詩を吟ずるのは本当だ。

 正直に言って彼に才能はない。

 私はあれを聞くたびに、どういう顔をしていいか分からなかった。


 結婚したら苦労しそうだなあ、とは思った。


「あの話は、侍女たちにも口止めしていたのに。それに詩が上手くないなんて、どうして」


「人の口に戸は立てられないものですから。そして、歴史上、王族でありながら素晴らしい詩や物語、あるいは随筆を記された方は数多くいらっしゃいます。若い頃から本として市場に出回ったりするものです。ですが、コイニキール殿下は詩人であることを公表している割に、著作については全く耳にしませんもの」


「ああ……」


 彼の詩は、父であるイニアナガ陛下が聞いても、共感性羞恥で胃に穴が空きそうになるような代物なのである。

 売り物にはなるまい。


「そんな癖の強い方と、許嫁とは言え、よくぞ幼い頃から見放さずに付き合ってこられたと、わたくし感心していますわ。ジャネット様は凄い。わたくしなら即刻バリツで仕留めてますわね」


 バリツってなんだ。


「結婚は家と家の間を繋ぐものだもの。そんなものでしょう? それに、日々辺境でモンスターや蛮族を相手取っているもの。それが家の中にもいるだけだわ。心安らぐ場所は他に作る。私はそういうスタンスなの」


「素晴らしいですわ! 常在戦場のワトサップ辺境伯令嬢! これで明らかになりましたわね。今回の婚約破棄、あなたには一切の落ち度がございません」


「えっ!?」


 突然の断言に、驚く私。

 そりゃあ、思い当たることなんて何も無かったけど。


「あなたはわたくしのお喋りにも、聞き手になって付き合って下さいましたもの。聞き上手なのですわ。語りたがり屋にとって、最高のパートナーです。あなたを手放すなんてとんでもない!」


 シャーロットが天を仰いで見せる。

 大げさだなあ、と思ったが、コイニキールは私と会う時、いつも楽しそうだったことを思い出す。


 侍従たちに詩を聞かせるのと、同格である私に聞いてもらうのとでは、やはり違うのかも知れない。


「だとしたら、どうしてコイニキールは婚約破棄などしたのかしら。私が嫌いになった?」


「嫌いも何も、コイニキール殿下は恋に恋するお方。許嫁という親が決めた関係は、真実の愛ではないとお思いなのです」


「断言するわね……!」


 でも、シャーロットの考察は間違いない。

 コイニキールはそういう男だ。


 その点、私と彼はお互いを愛してはいなかったという一点ではよく似ている。


「じゃあ、彼が婚約破棄をしたのは」


「真実の愛を見つけたのですわね。無論、それが『本当の』真実の愛とは限りませんけれど」


「どういうこと?」


「これが、極めて政治的な問題だということですわ。王家と関係を深めようと考える貴族たちが、裏におりますわね」


 衝撃的な言葉を口にして、シャーロットは紅茶の残りを上品に飲み干した。

 私も慌てて、紅茶を口にする。

 冷めてしまっていたから、苦味ばかりを感じた。


 砂糖を入れておくんだったなあ。


「さあ、こうしてはいられませんわ、ジャネット様。早速参りましょう!」


「早速!? どこへ!?」


「王宮です。コイニキール殿下がやらかした婚約破棄で、まだまだあそこは大混乱のただ中ですわ。事件の情報はいくらでも手に入りますもの」


「え、ええ!」


 こうして私は、この風変わりな侯爵令嬢とともに、昨夜婚約破棄宣言を受けた王宮へ向かうことになったのだ。

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