第2話 シャーロットの屋敷へ

 朝目覚めると、部屋の鏡にはしょぼくれた女の子が映っていた。

 ナイトキャップで癖がついたプラチナブロンドと、しょんぼりしたまぶたの下から覗くクリスタルブルーの瞳。

 いつもよりも精彩がないような。


 そりゃあ、いつもだってそこまでキラキラしてもいないけど。


「むううううっ!! だめっ、だめよ私! 辺境でこんな風にぼんやりしてたら、兵士がたくさん死んじゃう! 気合い入れろ! 元気だせ私!」


 鏡の中に呼びかけて、頬を両手でぱちんと叩いた。


「いったぁぁぁぁぁい!」


「お嬢様!?」


 部屋の外からメイドの声が聞こえる。


「なんでもないから大丈夫!」


 鏡の中の私は、真っ白な肌に頬だけ赤くなって、ちょっと涙目だった。

 手加減なしで叩きすぎた……!



 朝食の席には、もうすでにナイツがいた。

 黒髪を適当に撫で付けて、貴族の真似をしてか油を塗っている。

 その下には、上等な服を着ても誤魔化しきれないような、荒々しい雰囲気の男性の顔があった。


 彼の頬に新しい傷がついている。

 いつもこうだ。


「ナイツ。またひげ剃り失敗したでしょう」


「そうなんですよ。俺、ひげ剃り苦手なんだよな……」


 冒険者時代は無精髭だったという彼は、我がワトサップ辺境伯家に仕えるようになり、きっちりとひげを剃るようになった。

 だが、その度に顎や頬を切ってしまうらしい。


「お嬢だって頬が赤いですよ。また気合い入れてきたでしょう。そんなに昨日のがショックだったんですかね? 王子の方です? 国王の胃の方です? それともシャーロット嬢?」


「たぶん、一番最後のだと思うな。コイニキール様の件は、思ったよりもショックが無いのよね。ああ、陛下の胃の方は心配よ?」


 政略結婚だったからかも知れない。

 辺境伯は、国の国境線を守るという、重要な役割を負う貴族。

 地位としては公爵家に比肩する。


 王家の親族である公爵家を除けば、全ての貴族で最も高い地位にあると言っていい。

 それくらい、国にとってはなくてはならない家柄なのだ。


 国がそれを身内に取り込もうとするのは当然。

 今までは辺境伯家に男ばかり産まれて、そうはいかなかった。


 辺境の厳しい暮らしに、王家から嫁いでくる女性たちは耐えられなかったから。

 そしてついに、私が産まれて、王家は喜び勇んで第一王子との婚約を取り付けたというわけ。


 それが昨日、いきなりご破産になった。


「もともと、箱入りっていう感じの人だったけれど、コイニキール様はもっと周りが見えなくなってる気がする。どうしたのかしらね」


「余裕ですな、お嬢」


「もともとそんなに好きじゃなかったもの。でも家と家を結ぶ結婚ってそんなものでしょ。それよりも、コイニキール様が突然あんなことをいい出したのが気になる」


「そう言うと思ってましたよ」


 既に朝食を摂り終えているナイツ。

 ニヤリと笑ってみせた。


「外に馬車を用意させてます。行きましょうや。シャーロット・ラムズの屋敷へ」


 既に準備万端なのだった。

 私はメイドたちの手を借り、よそ行きに服に着替えた。


 馬車に乗り込むと、御者台にいるナイツが声をかけてくる。


「じゃあ、行きますよ。ラムズ侯爵家の屋敷は、ダウンタウンに近い所にありますからね。普段見ないような家並みが望めますよ」


「まあ。なんだってそんなところに屋敷を構えたのかしら……」


「さあねえ。貴い人の考えることは、俺には分かりませんねえ」


 馬車が走り出した。

 石畳の上を、ガタゴト音を立てて疾走する。

 お尻が痛くないよう、私はマイクッションを使用している。

 これで、外の風景に集中できるのだ。


 なるほど、ナイツが言った通り、貴族の町を抜けて馬車が走っていく。

 エルフェンバインの王都は、王城とその周りが貴族の町。

 それを取り巻くように、幾つかの区画がある。


 商業地区とか、下町ダウンタウンとか、港湾地区とか。

 下町に向かっていくと、周囲の光景が急速に変化していった。


 家並みは小さくなり、道行く人々の身なりが変わる。

 道のあちこちを野良の犬がうろつき、道端に座り込んでいる人も多い。


「こんな世界があったのね……。辺境だと、塀を越えたらすぐに危険な場所だから、地面に座り込むなんてとてもとても……」


 ナイツの意見を求めたかったけれど、彼は御者台。

 ガタゴト音を立てる馬車の中では、会話はできない。


 なので、一人で感想を述べるに留めることにした。

 それにしても……。


「くさい!」


 一番の印象はそれだった。

 なんだろう?

 ゴミが放置されていたり、あろうことか塀に向かって放尿をする男性までいる。

 そこはトイレではありません!


 これを見ていると、貴族の町があれほどきれいだったのは、誰かが掃除をしてくれていたからかもしれないと思い至る。


「それにしても、本当になんでこんなところに屋敷を……」


 疑問を抱いていたら、馬車の速度が落ちた。

 どうやら到着したらしい。


 一見すると、貴族の屋敷にあるような塀も門扉も見えないのだけれど……。


「ここですよ、お嬢」


 馬車が止まり、ナイツが声をかけてきた。


「ここ……!?」


 馬車から降りた私の目の前には……。

 塀も門扉も無い、少し大きいくらいの家があったのだった。


「これが、ラムズ侯爵家のお屋敷!?」


「正確には、シャーロット嬢の持ち家ですがね」


「侯爵令嬢個人が家を持っているの!? それで、こんなところに暮らして……?」


 目が回りそうだった。

 そして私が、気持を落ち着ける暇など無かったのだ。


「ようこそおいでくださいました、ジャネット・ワトサップ辺境伯令嬢」


 いつの間にか、扉の前に彼女が立っていた。


 ブルネットの長い髪を背中に流し、チェック柄のカジュアルな上着とスカート姿。

 貴族らしからぬ服装なのに、それは不思議と彼女によく似合っていた。


「ちょうどこの時間に来ると思い、待っていましたわ」


「ちょうどこの時間に!? どうしてそんなことが?」


 私は面食らってしまった。

 私が来ることを、予想していたということだろうか?


「何、簡単な推理ですわよ、ジャネット様。立ち話もなんですから、どうぞ中へ」


 いざなわれ、ラムズ侯爵邸……いや、シャーロットの家へ。


「朝の早い時間であれば、貴族たちはまだ起きておりませんもの。彼らの訪問を受ける前に動くことができますわ。これは、ナイツ殿の機転ですわね」


「その通りで」


 ナイツが笑いながら頷いた。

 彼が私を外に連れ出したのは、そういうことか!

 ゴシップ好きの貴族が、我が家を訪れたり、あるいは外巻きに眺めに現れる前に動いたと。


「次に、辺境伯領は昼まで眠っていられるほどのどかな場所ではないでしょう? あなたの肌艶を見れば、規則正しい生活をなさっているとよく分かります。よく眠れまして? 眠りすぎてぼーっとして、気合を入れるために頬を叩いたりされまして?」


「な、なんでそこまで!?」


 慌てる私に、シャーロットもナイツも、笑い出すのだった。

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