軌跡

 切り立った崖で海を臨んでいた。

不揃いな岩が波を動かず受けていた。

雨だれが石を穿つという言葉をがあるけれど波は岩を穿つのか結末を知ることはない。

明日を知ることすらない、自殺するからだ。

地と空の境界まで一歩、また一歩縮まっていく。

怖くない訳がない。

けれども止める訳もない。

しがらみのない昔のことを思い出す。

遺書も必要ない。

崖に腰掛け足を投げ出し、軽くばたつかせて思いに耽る。

尻を投げ落とせばそれで終わり。

何もかも、終わる。


「よっす少年」


いきなり声をかけられてあわや落ちるところだった。

それが目的だったが驚いた拍子に落ちてる終わりというのは流石に嫌なので対応することにした。

 声の持ち主は女性だった。

長い髪を揺らしながら何かいいことがあったのか笑みを浮かべている。

一口に言えばとても魅力的な人。


「死ぬところかい?」


「見た通りですよ」


「死ぬなら最期に話でもしないかい」


どうせ口から耳障りのいい言葉を並べて思いとどまらせる魂胆なのは分かりきっているため目の前で飛び降りて寝覚めを悪くしてやろうと身を乗り出した。


「死ぬことは悪いことじゃないさ」


常識とは反対の意見に耳を疑い乗り出そうとする体が止まった。


「だってそうだろう。選択肢なんて無数にあるけれどそのどれもが不条理に満ちている場合もある。今後を考えれば賭けをするべきじゃないこともあるさ」


「降りることにしたんだ」


「そう、賭けには降りる選択肢もある。一度きりの人生とはいえ賭けだからね、それはありさ」


「結局何が言いたいんですか」


長くなりそうなので遮った。

女性は何がおかしいのか笑っている。


「焦らなくてもいいのに。それとも死亡時刻調整するとご利益でもあるのかい?」


「別に」


「じゃあ続けよう。人生をこき下ろしてきたが」


よっこらせ、などと不似合いの言葉を出しながら女性はすぐ横に腰を下ろしてきた。


「人生は賭けだ。でもベットとコールと降りるしかないわけでもない」


「結局人生奨励ですか 」


「そりゃそうだ。死後の安寧なんて保証されてないし。それこそ地獄みたいに永遠の苦痛かも」


思わず溜息がついて出た。

結局ありきたりの美辞麗句。


「まだ納得してないね。うーん斯くなる上は人生哲学を伝授するしかあるまい」


見たところ歳を召しているようには見えないがよっこらせなどと言ってたし案外年寄りの魔女かもしれないと馬鹿らしい発想が頭から湧いて出た。

彼女は両手で四角を作り遠く球のように見える船を枠に収めた。


「間違った舵取りは間違った航路にならない」


初耳だった。

そして不思議な引力を持った言葉。

視線を水平線から何気なく彼女に向けた。

彼女の横顔は水平線の更に遠くを見ているようだった。

真意を察することできない色の深い瞳。

彼女が何を思ったかは分からない。

どう育んでその言葉を紡いだか分からない。でも何故か腑に落ちた。

彼女が視線をこちらに戻し微笑む。


「どうやら私の勝ちだね」


「勝ち負けとかないし自分の容姿に感謝してください」


「それはよかった」


「馬鹿馬鹿しくなったんで帰ります」


「ちょい待ち。餞別」


女性は少し古ぼけたネックレスを突きつけてきた。


「これは?」


「松葉杖」


無言で受け取り踵を返す。

一度振り返ると手を振っていた。

数歩歩いてまた振り返ると何処にもいなかった 。


 一年後また同じ場所に来ていた。

波が岩を穿つにはまだまだかかりそうだ。

変わらず岩は動かず波を受けている。

だがこの場所に来た理由は変わっていた。


「松葉杖返しにきましたよ」


崖からネックレスを取り出し海に投げ込む。

そこに眠る彼女に届くようにと祈って。

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