激動に生きる少女①

「……そ」


 あまりに驚いた時や困った時、悲しい時。

 ぼくは笑うことで精神の安定を図ろうとする癖がある。

 今ぼくが浮かべる笑顔の意味をぼくは明確にはわからないけど、多分気分上々だから浮かんだものじゃないんだろう。


「おう、久しぶり。隣にいらっしゃるのが勇者様だよな?」


「……センシ。横のそいつは誰? 何者? あんたとどんな関係?」


 紺色のローブを着た女が鋭い眼差しをぼくに向けながら、剣呑な雰囲気でセンシさんに質問した。


「おいおいどうした、怖え顔して。この兄ちゃんか? ここに来るまでの道中、危ねえ所を助けた旅人だよ。北の街を目指してるって言うんで、馬に乗っけて来たんだよ」


「……そいつに勇者のことも話したの?」


「話したけど……別にいいだろ、既にこんだけ騒いでんだから。俺が言わなくたってわかるぜ」


 紺色の女性はセンシさんと話す最中もずっとぼくを睨み続けている。初対面の人にこんなに強い態度を取られるのは久しぶりだ。少しどきどきする。


「あの……お邪魔でしたらぼく、もう行きます。センシさん、ここまでありがとうございました」


「お、おう……ほら、お前が怖い顔で脅かすから。兄ちゃん、こいつのことは気にすんな。せっかく勇者様のご出立に立ち会えたんだ、今日の祝賀会にも顔出せばいい」


 板挟みで動き辛い。ぼくとしてはどっちゃでもいいんだけどな。

 ……いや。少しだけ、ここから離れたい気分だ。


「…………」


 紺色の女は一歩も動かず、金色の少女をかばうように背中に隠したままだ。めんどくせえ……しかし膠着こうちゃくはぼくが何かしないと終わらないらしい。


「どうも。センシさんに危ないところを助けてもらった旅の者です。だからそんなに強くもないし、危ない奴でもないと思います」


「…………」


「……よろしくね」


 やけになって手を差し出してみる。何もしてないのにそんな性犯罪者を見るかのように見られてもこっちだって困る。正直ちょっと苛立っている。しかしここは人生二度目の余裕ある態度でこの女に歩み寄ってやろうではないか。


 女はやはり黙ったまま、ぼくの右手をじいっと見つめる。ちらちらとぼくの顔を窺ってから、ゆっくりとぼくに近寄り左手で握り込んで来た。力は伝わっておらず、いつでも手を離して逃げられるわよ、と言いた気な握手だ。握手の意味とは、と思った。


「……やれやれ。後で話があるからそのつもりでな。さ、とりあえず村長さんの所に連れてってくれや」


「わかった……勇者、来なさい」


「兄ちゃん、悪いけどしばらく仕事があるんだ。今夜この村で勇者様ご出立の祝賀会がある、良かったら夜まで待って参加するといい。一生の一度のことだ、この日を逃したらあんたのひいひいひい孫までこんな機会ないぜ!」


 センシさんと紺色の女は村の大きな建物へ向かっていった。金色の少女も、二人に連れられて行く。ぼくは手を上げて見送った。


 数歩歩いて、少女が振り向いた。微かに頭を下げて、また前を向く。

 ぼくはできる限り穏やかな笑顔を浮かべて会釈した。



***



『どうだ、貴様の後釜は。貴様の後は務まりそうか、先輩殿』


「……楽しそうだな、アクマちゃんよ」


 一人残されたぼくに、アクマが喜色満面で話しかけて来た。


『我輩に矛を向けられてもな。現状を選ぶのは人間、我輩はただそれを見送るのみだ』


 全くその通りだ。こいつは悪くない。悪いのは……

 いや、今頭に浮かんだ奴も悪くない。そんな訳が無い。


『貴様がいなくなって教会も焦ったのだろう。今年神託の勇者が祝福を受けることは誰もがが知っている。その勇者が悪魔憑きになって失踪したことが広く知れ渡れば、信仰心も減り魔族との戦争も破滅しか訪れない。急ごしらえにでも代役を立てなければならなかったんだろうな』


「誤魔化しきれるか? 少なくてもこの村の人たちはあの子が本物じゃないことを知ってるだろ」


『事実に何の意味がある? 勇者は逃げ去り魔王に対抗できる存在はいない。そんな事実より自分たちの村から勇者が生まれたという真実の方がよほど素晴らしいことだろう』


「……あの子じゃなきゃ駄目だったのか? もっと大人だったり、強い奴はいないのかよ。それこそセンシさんみたいな」


『一人、居たがな。どうもそのお方は放蕩の旅をお気に召されたらしい』


 なるほどね。

 こいつには人の苛立てさせる才能があるらしい。


『んっんう……楽しい、楽しいぞ! 貴様のような自惚れた孤独主義者の心が揺れる様を見るのは本当に楽しい! 己の判断が全て正しいと信じきっている愚か者が悔恨を覚えるのは痛快だ!』


 アクマは恍惚こうこつ嬌声きょうせいをあげた。


「…………」


 まあ、落ち着いてものを考えよう。ぼくの心があの少女が勇者となることに嫌悪感を感じているのは事実だ。だからといって今ぼくが何かできることがあるか? いや、できることなんかどうでもいい。何をしたがってる? ぼくは……


「……やめよ」


 何を考えても意味はない。覆水は盆に返らない。無駄なことはしたくない。辛いことはもっとしたくない。嫌なこと全部から逃げてしまいたい。それがぼくだ。

 ぼくの人生は終わってる。なんとなくそれを自覚した前世のあの時から、電源の落ちたブラウン管に映る自分を眺め続けるみたいな人生だ。今も変わらない。もうどうにも変わらないし、変えたいとも思わない。落伍者とはつまり、そういうものなんだろう。


 どうせ明日になれば今のもやもやも薄れて、四日後くらいには笑い話にできるだろう。今までのように、これからのように。


「ま、しゃあねえか。ご飯だけ貰って旅を続けよう」


 半端な強がりを言って村を見て回ることにする。アクマはくふふとまた笑った。



***



 夜になるまで村を見て回ろうと思ったけど、何も見て回るほどの物がないから村は村という規模で収まっているものである。結局散歩以外することはなかった。そしてやはり別に楽しくはなかった。


 日が暮れてくるにつれざわざわが広がってきた。北の街から村に続く道に人だかりができている。村は松明がたくさん揺れている。手持ち無沙汰な気持ちでそのざわめきを眺めていると、人混みから大柄なセンシさんが現れた。


「おう、来たか。こっちゃ来い、腹減ってるだろ」


 連れられてやって来たのは村長さんの家だった。祝宴は概ね外の広場でやってしまうらしいけど、ここにも料理がたくさんある。恐らく関係者席みたいな感じだろう。期せずしてセンシさんは途轍もない関係者を呼び入れてしまったらしい。


「何から何まですみませんね、お世話になります」


「気にすんなよ、旅は道連れ世は情けさ。悪かったな、俺の仲間が妙につっかかって」


「気にしてないっすよ」


 ちょっとイラっとしたけど数時間も引きずることじゃない。もとより、複雑な感情を向けられるより明確な嫌悪の方がわかりやすくて助かるものだ。

 

「あいつもなあ……もう少し愛想良くしてりゃ貰い手もいるだろうに。魔法士っていうのは変な奴ばっかりで敵わん」


「へえ、魔法士なんですか」


「あ、いや魔導師だったな魔導師。こだわりがあるらしい、そこには。ま、結局魔法を使うのが上手い奴らということだけは変わらん」


 魔導師。聞いたことのない名前だ。ま、ぼくが一生呼ばれることのない称号なんだろう。


「ほら、お前も言うことあるだろう」


 センシさんが呼ぶと、奥の椅子からふてぶてしい顔で紺色のローブを着た女が牛歩戦術でにじり寄り、ぼくの向かいの席に座った。マドーシさんだ。


「こんばんは」


「……悪かったわね」


「いっすよ」


「こら、もっと具体的に何が悪かったかをだな」


「お前のような粗野な奴に説教されるなんて。業腹だわ」


 マドーシさんは眉をひそめぼくから目を逸らした。


「け。挨拶もロクにできない奴が粗野とはな」


「何よ、まだ続ける気?」


「誰も終わっただなんて言ってないだろ」


 仲良いなあ……

 ナカヨシ二人組の不毛なやり取りの前に、哀れ当事者のぼくは入れずにいた。ぶっちゃけぼくをダシにした二人の痴話喧嘩を聞かされるのはムカつく。ムカついたので黙って大皿の料理を食べることにする。少し惨めな気持ちだ。


「……あんた、何黙ってご飯食べてんのよ」


「…………」


「無視すんな!」


 口の中にご飯があったから喋りたくなかったんだけど……

 ぼくは食べているところを邪魔されるのが嫌いだ。自分が楽しんでいるときに邪魔する奴は嫌いだし、自分が楽しくないときに楽しそうにしてる奴も嫌いなのだ。

 

「……なんすか」


「あんた、どこから来たの? 出身は?」


「なんでそんなことを?」


「いいから、言いなさい」


 このアマ……ぼくの食事を邪魔した上にその態度だと。センシさんの手前無遠慮なことはやめようと思ったけど、難しそうだ。


「南の街です」


「家族はどんな人?」


 なんでてめえにそんなこと言わなきゃなんねえんだよ。


「さあ、忘れました。百姓とかじゃないすか」


「忘れた? あんた適当なこと言ってんじゃないでしょうね」


「そりゃ適当なこと言ってるでしょ。家族の職業忘れるバカがいますか」


「はあ!?」


 マドーシさんは額に青筋を立てた。ほんとに怒ったら人ってああなるんだ……と少し感心した。


「あんた、馬鹿にしてんの?」


「してねえとでも思いましたか? ご立派な理解力ですわ」


「っ! こいつ!」


 手を振り上げたマドーシさん。その喉元に、銀の切っ先がいつの間にか向けられていた。


「……それ以上のことは、こいつを使うことになる」


 普段の穏やかな表情とは違う、射殺すような顔のセンシさんが片手半剣を突きつけていた。そこまで怒らなくても……


「センシさん、そこまで怒らなくてもいいですよ……? ぼくもちょっとふざけただけですし」


 ぼくの諫言かんげんにマドーシさんの頬が紅潮した。多分照れてる訳じゃないだろう。舌打ちをして、大きな足音ともに家から出て行った。


「悪い、ちょっと行ってくる。今回のことはちょっと言い訳できないあいつの失態だ。叱ってくる」


「? いや、マジで気にしてないですけど……」


「本当にすまない」


 難しい顔でマドーシさんが去って行った方へ。残されたぼく。誰もそばにいてくれないと関係者席に入り込んだ無礼者になっちゃうんだけどな、ぼく……


『呑気な奴だ、殺されかけてたぞ貴様』


「え? 誰に?」


『魔導師女だ。いくら魔法が使えなくても戦士男の様子で気付け馬鹿者』


「おお、うえい」


 口喧嘩でそこまでやろうとするとは。いかれた女だぜ。

 今度からあの女をいじめる時は近くにセンシさんがいるか確かめなきゃな。


『小さい男だ』


『人をいじめるのはすごく楽しい。やめられないよ』


 似た者同士なんだろうな、ぼくたち。


 恐らく勇者様に深く関係している人たちの集まる集会所に一人取り残されたぼくは手持ち無沙汰な気持ちを料理にぶつけた。部外者だとバレて追い出される前に出来るだけ食べてしまおう。いや、実は全然部外者じゃないけど。


 訝しげな視線を余所に黙々と肉やら野菜やら甘いものやらを食べ続ける。家を出て以来のご馳走だ。これからまた旅に出る、栄養は取れるうちに取っとかないと。


「——こんばんは」


 だからだろう。

 すぐ向かいの、マドーシさんが座っていた席に座っていた金色の少女に気づかなかった。





 




 

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