ザ パッセンジャー③
翌日、ぼくたちは早朝に村を出た。早起きしていた村人たち数人に見送ってもらい、また馬の旅だ。心を女の子にすることにも慣れてきた。戻れなくなることを少し恐れた。
早くから出発したのでかなりの距離を移動できた。途中水場での休憩を何度か入れて、景色が開けてきたころ。昨日村に着いたのと同じような時間に小高い丘の上で馬を止めた。
「今日はここらで休もう。また明日早くから出発すれば、北の街近くまで辿り着くはずだ」
馬に括り付けてあった木の棒と布で天幕を張り、小さなテントを設営する。薪を集めて地面を掘り、焚き火をしてその上に鍋を吊るす。
「ほう、慣れてるじゃねえか。旅慣れてるのか?」
「そんなことないですけどね、物知りな友達が教えてくれたんですよ」
鍋に水と狩った兎の肉、なんかハーブっぽい葉っぱを適当に入れてシチューにし、センシさんに貰った硬いパンと一緒に食べる。味は納得できるものじゃなかったけど、センシさんは笑顔だった。
「食料がない中でこれだけ作れりゃ十二分さ。蜘蛛と泥のスープを大真面目に食べてたこともある、それに比べりゃごちそうだ」
「それってやっぱり、戦場とかでですか?」
「ああ。傭兵なんて悪い時はそんなもんさ」
センシさんはしみじみと器に目を落とす。
「戦場では魔法士はとことん重宝されるが、戦士なんて使い捨てだからな。農家の口減らしや盗賊崩れ、職にあぶれた小金持ちのドラ息子……黙ってたって数は揃えられる。戦況次第じゃ、何日も飲まず食わずさ」
「大変っすねえ」
人の苦労話はあまり好きじゃない。含蓄のあるものなら尚。自分がいかにいい加減で軽薄で、何も積み重ねていないか思い知らされるのは気分上々とはいかないからだ。でも戦場の話とか傭兵のリアルな話はちょっと面白い。ぼくはテキトーに相槌を入れる。
「大変さ……餓死する奴も何人も居た。もう誰と戦ってんのかわからなくなる時もあった。が、それももう終わりだ!」
センシさんは杯の酒を一口で飲み干した。
「今年は神託を受けた勇者様が祝福を受ける年だ。俺みたいな木っ端傭兵とは違う、本物の戦士だ!」
「おお! すごいっすねえ」
「ああ! 勇者が一睨みすれば敵は恐れおののき、腕を振るえば嵐を起こす。どんな魔法士でもできない物凄い規模の魔法が使えるって話だ。これで前線にいる奴らが何人も助かる。魔物の軍勢に喰われなくて済むんだ」
「いやあ、流石勇者だ!」
酒の煽りかセンシさんの言葉に熱がこもってきた。
「「蒼天の覇気麗しく〜、輝く姿は勇者様〜!」」
ガキの頃何回も聞いた歌をうろ覚えで合わせて歌う。
勇者様最高! ぼくたちの未来は光り輝いている。立てよ国民! 今こそ勝鬨を上げるのだ。
『貴様の責任感の欠如は特殊な技能とまで昇華していると言っていいかもしれんな』
初めてじゃないかな、アクマが褒めてくれた。すごく嬉しかった。
***
酔っ払ったセンシさんをテントに追いやって、焚き火の前で見張りをする。魔物も危険な動物もいない平和な丘だけど、一応ということだ。三時間ごとに
『貴様、狂人とか変人とか呼ばれたことはないか?』
「あるよ、前世ん時は特に」
二人きりになってアクマが話しかけてきた。
「まあ完全無欠に平凡だとは思わないけど、狂人とは思わねえなあ。大げさに言って変人止まりでしょ。ぼくに言わせりゃ、ちょっと変なくらいが逆に普通な人って感じ」
『前世……貴様の特異な精神構造はそこに由来しているのだろうな』
そういえばアクマにぼくが前世の記憶を持ってることをちゃんと話したことなかったな。まあ話さないのも当たり前だ。
「そんなことねえよ……マジで普通。そりゃこの世界じゃ有り得ない体験はしたかもしれんけど、向こうじゃ普通のことしかしてねえよ。見てみろよ」
ぼくは思い浮かぶ限りの前世のぼくの記憶を
『……確かに、普通だな』
「やろ?」
『なら変質は、一度人生を終えたからこそ、ということか。一度死を体験したからこそ、死を恐れずに勝手気ままに振る舞える』
死を恐れずに、か。
『貴様……』
「ぼくって死んだんかな……死んだ記憶は無いんだよな」
いつものように去来する暗闇を振り払い、ぼくの前世に意識を向ける。うまい例えが思い浮かばないから、今ぼくがかつての自分のものと認識している記憶を『前世の記憶』と読んでいるけれど、だらだら生きた記憶はあれどそれの終わりの記憶は無い。もしかしたら生きたまま意識だけこの勇者だの魔王だののふざけた世界に飛ばされたのかもしれない。ま、どうでもいいけど。
『……そのちゃらんぽらんな態度はいつか身を滅ぼすぞ。熊の魔物の時、本来なら貴様は死んでいたんだぞ』
「あれなー、実はヤバかったよな」
『そもそも槍を持ってたんだから、それを使えば多少は時間はかかるだろうが倒せない相手じゃなかっただろう。何故あんな風に手放した』
「最初どたまに刺したときやったと思ったんだけどね。思ったより熊が頑丈だったわ。昔はこんな間違いしなかったんだけどな」
相手を見ればなんとなく実力差に気付けてたし、感覚でどういう風に攻めればいいかわかってたんだけど。鈍ったのかな。
『ほう。それは恐らく、オドを我輩に掌握されたから起こった現象だろう。高い技術を持つ魔法士は相手のオドの総量を測る
なるほど、それで漫画みたいに見ただけで相手の実力がわかってたのか。ま、今のぼくには必要のない技術だからいっか。
『そこで寝てる男が聞けば嘆くだろうな……期待の勇者は今己の才能より明日の朝食をどうするか考えている』
「興味ないって、勇者ばなしとか……全部終わった話でしょ。なんか今日お前しつこいぞ」
『いやいや、改めて人族が哀れに思えてな。くふふ』
えらく上機嫌だ。悪巧みをするガキみたいだった。
***
翌日も朝早くから出発したぼくたちは正午ほどには北の街周辺の街道にたどり着いた。長い遭難生活を終えて、遂にぼくは目的の街にたどり着く。長かった……感動もひとしおだ。
「悪いが、北の街に行く前に俺の目的地に寄らせてくれ。後で送っていくから」
「いやいいですよ、歩いて行きます。気にしないで村まで行ってください」
連れられて来たのは、北の街の目と鼻の先にある郊外の村だった。丘の上に外壁が目視できる、これは歩きで十二分だな。
一昨日訪れた村と違い、ここは結構賑わっていた。村の総人口より人は多そうだし、人の表情も喜色満面といった感じ。祭りでもあるのかな。
『くふふ……』
アクマが楽しそうに笑う。昨日から機嫌が良かった。これだけ笑うアクマは見たことがない。少しだけ、良くないことの予感がした。
馬屋に馬を止め、道を歩く。広場のような場所に行くと、高台に横断幕のような布が張ってあった。
「……勇者誕生? 平和はもうすぐそばだ……?」
ぼくが故郷を出て何日経ったろう。故郷からほど近いこの村でさえ、ぼくの失踪の話は伝わっていないらしい。そもそも隠蔽されてるのかも。いいけどね。
「あちゃあ……そりゃ、騒ぐなって言うのが無理か」
その光景を見てセンシさんが苦笑いをした。
「どうしたんですか?」
「ん……? ああ……くそ、どこまで言っていいのやら。ま、いいか。こんだけ大々的に言われてるし」
肩をすくめるセンシさん。
「実は勇者様への祝福の下賜が近々予定されていてな。祝福を受けた後の勇者様への稽古を教会からお願いされてたんだ」
「へえ、そうだったんですか。凄いですね」
凄い偶然だ。命の危機を助けてもらった旅の傭兵が、まさかこんな形で自分との縁を持っていたなんて。まあアクマ曰くセンシさんは人族で二番目くらいに強いらしいし、そんなこともあるのか、な……
あるか? 普通……
まあいいや。別に今のぼくとは関係ない。ぼくのせいでセンシさんの仕事を一つ潰したのようで悪いけど。
「これから顔合わせがあるはずだ。せっかくだし、兄ちゃんも来なよ。孫の代まで自慢できるぜ」
「……顔合わせ?」
顔なら今合わせてる……そうじゃない、もっと根本的な疑問だ。
勇者がこの村にいる? ぼくじゃない、勇者と呼ばれてる奴が。
『——くく。決まりだな。おい、貴様は用済みだとよ』
アクマが嘲笑する。
『別にいいよ。他の誰かがやってくれるんならそれで。むしろ良かったじゃん。やりたい奴がやるなら』
『そうかそうか』
ぼくの返答も、アクマは気味悪い嘲笑をやめなかった。
『全く、貴様の言う通りだな。勇者なんて所詮戦争における最終兵器。魔王に勝っても貴族に取り入れられて自由は得られず、負ければ人族全員から無能と罵られる。そんなしち面倒なのは物好きに任せてしまえばいい』
『そうだけど……どしたお前』
「お、あれがそうだろう。おーい!」
センシさんが遠くに手を振る。どうやらお仲間の姿を見つけたらしい。
『……この戦士男が、北の街近くの村が目的地だと言った時から、気になっていたのだ』
『何を?』
アクマは滔々と語る。
『魔法士殺しほどの人物が、この戦乱の時代になんてことのない平穏な北の街までなんの用があるのかと。ここに来るまで確証は持てなかったが、もうわかった。貴様、神託を受ける勇者は一人だと知っているな』
『もちろん』
『当然、人族で一番戦力として計算できるから子供の頃から大切に扱われる。が、勇者ほどでなくても才能があるものというのはいるものだ。お前のライバルだった者やそこの戦士、そこにいる戦士の仲間然りな』
広場を抜けた道の先。村の中では大きな建物の前に紺色のローブを纏う黒髪の女性がいた。
『この村には偉大な才能を持つ者がいる。時代が違えば、神託を受けていたような強大なオドを持つ者がな。しかも貴様と違ってとても聞き分けの良い、勇者として理想的な者が』
女性の右手は、包むように穏やかにより小さな手を握っていた。
『あれが『二番目の器』だ。勇者としては調整不足だが、それも時間と才能が解決してくれるだろう。あれだけ若いのだから』
女性の背に隠れた小さな影。ぼくの胸にも届かない背丈、掴めば折れてしまいそうな腕。縮こまった背中。
太陽を反射する金色の髪の少女が、ぼくを不思議そうに見つめていた。
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