チョコとコーヒーとタバコ
ごせんさつき
ただの出会い
「キミとわたしはきっと相性がいいんだね」
それはまるでチョコレートにはコーヒーが合うよね、といった具合のただただ淡々と事実だけを述べるような口調だった。
彼女と知り合ったのは特段なんてことはお店だった。人で混んでいるのは昼過ぎと夜の数時間だけの、それだけの喫茶店。趣があるわけでも美味しいものがあるわけでもなかった。
そこでただ他愛ない話をして、15時からはじまる講義までの時間を潰す。
それが日課になっていてそんな折、他に客がいないから話相手が欲しいといった理由で声をかけられたのがきっかけだった。
この日、彼女の様子は少し違っていた。いつものは明るい顔も沈みきっていた。
「喧嘩しちゃったの。ちょっといつもより激しめにね」
彼女はコーヒーを啜りながら、「まぁ大丈夫よ、心配かけてごめんなさい」と続けた。
いつもより、と述べたように彼女が相手と喧嘩するのはよくあることだった。その度にこのお店で僕は愚痴を聞いて、彼女の気が晴れるの待った。
僕はそんな彼女との時間が好きだった。相手の愚痴を話す彼女の横顔は、いつも憂いを帯びていて、なんとなく蠱惑的だった。
「たしかにそうですね。いつもそう言ってへっちゃらですもんね。それに何かあれば僕がなんとかしますよ。彼氏さん、手が出ることもあるんでしょう?」
「たしかに手が出ることもあるけれど、それはお互い様かな。この間なんて思いっきり股間蹴り飛ばしてやったわ」
はははと笑う僕をよそに、彼女はチョコレートを食べはじめた。口の中で少し転がしながら、ゆっくりと咀嚼する。
「美味しいわね」
「たまに食べるとチョコレートっていいですよね」
「そうそう。たまにがいいのよ……たまにがね。この甘くて優しい感じがね」
やはり他愛もない会話。
講義がはじまる時間になり、僕はお店を出る準備をする。彼女は、タバコにゆっくりと火をつけながら「行くの? 頑張ってね」と言った。
お店の扉を開けたところで、
「やっぱりわたしはチョコレートよりタバコの方が好きだなぁ」と後ろから声をかけられたので
「タバコは身体に良くないですよ」と面白みもない常套句を返しお店をあとにした。
次の日は雨でいつもより湿気が多い。だからといって喫茶店の中が変わったりもしなかった。カウンターに腰掛ける。
やっぱり彼女と他愛ない会話をするだけ。
「ここに来るとチョコレートが食べたくなるわね。なんでかしら?」
「さぁ? コーヒーに合うからじゃないですか?」
「そういうものかなぁ?」
「そういうものだと思いますよ。僕もここで食べるチョコレートは美味しいと思いますし」
「ふーん?」
中身も何もない会話。
今日の彼女の顔は昨日に比べて、少し晴れ晴れとしていた。しかしだからこそ違和感があった。
昨日がいつもより落ち込みすぎていたというのもあるが、それにしてもその変わりぶりは少し奇異にうつるほどだった。
「なにかありました? 相手の方と」
言うと彼女は少し驚いた顔をする。聞かれると思ってなかったのだろうか。
「顔に出てた? 昨日より明るくしてたつもりなんだけど」
「いえ、というか変に明るいから聞いてみただけです」
僕の返答に「そう」と言い、
「実はね。向こうが浮気しててね。他の女が出てきて、昨日あの後色々あったの」
「それは……」
大変ですねと続けようとしてやめた。だって僕にはその大変さがよくわからなかったから。
「まぁどうでもいいことよ」
どうでもいいことではないだろう。それは思う。ただ、彼女が大変である事実に、僕は何か言えるほど彼女を知らなかった。
そうして少し黙っていると彼女が
「キミとわたしはきっと相性がいいんだね」
と言ったのだった。
ただただこれとこれは相性がいいという事実だけを述べた雰囲気と、そして飛躍した内容に僕は何も言えない。
「キミ、今わたしの話を聞いてよく分からないだ、自分は口を挟めないことだって思ったでしょ?」
図星。
「わたしもそうなのよ。変よね。自分のことなのにどうすればいいのかわからない。大変なんだろうけど、それがよくわからない」
続けて、
「キミもそう思ったんでしょ? だからわたし達はきっと相性がいいんだろうなぁってそんなふうに思っただけよ」
そういう彼女はどこか遠い目をしていて神秘的だった。
多分チョコレートは僕でコーヒーは彼女なのだろうと感じた。
僕は、少なくとも彼女には甘い自覚があったし。
彼女も彼女で大人な雰囲気を漂わせて所々大人の苦さを醸し出すのがコーヒーっぽかった
そして何より、チョコレートである僕は、彼女というコーヒーが出す熱でドロドロに溶けていたのだ。
だからこそ、相性がいいということ淡々と述べる彼女を見て、
あぁ、僕は失恋したんだと察した。
だって、彼女はチョコレートよりタバコの方が好きなのだから。
チョコレートはたまにでいいのだから。
彼女にとって、僕と関わるのはこれくらいの頻度でちょうどいいのだ。だから相性がいいのだ。
彼女の相手を想起する。話でしか聞いたことないが、やっぱりその人はタバコのようだと思った。
長く付き合っているようだったし、きっとその人の良い面も悪い面も知っているのだろう。一緒にいれば落ち着き、それを求める。たまに身体に害があるけれど、彼女はきっとそこまで含めて相手が好きなのだと思った。
だから、浮気された事実で彼女はいつも以上にどうしていいのかわからなくなったのだろう。だってタバコはいつでもそこにあるのだから。ないこと想像したことがなかったのだろう。
「……たしかに僕にはなんとも言えないですけど、きっとどうにかなりますよ。相手とちゃんと話し合って、キチンと仲直りしましょう」
だから僕は、相性のくだりを無視してそんなことしか言えなかった。だって僕はチョコレートだから。彼女はたまにそれを求めるのだから。僕はそうやって彼女に優しく甘く行くしかないのだ。
「キミは優しいね」
当然だ。あなたがそうやって求めているのだから。
「たしかにちゃんと向き合わなきゃダメよね」彼女が言う。
僕は彼女のことがきっと好きだったのだろう。その現実と向き合うように、彼女も相手との現実へと向き合うような、そんなこと思わせる決心。同じように、現実へ向き合う。
「やっぱり相性はいいのかもしれないわね」
やはり淡々と言うだけの彼女のセリフを、僕は黙って聞いているしかできなかった。
チョコとコーヒーとタバコ ごせんさつき @satukisagubasi
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