祭りに薄暮
薄暮にやけに溶け込んでいる少年に出会った。それらの光を集める色素薄弱な髪色、狐面と人間離れした美貌は、最早祭りに混じる怪異だった。褐色耽美な少年はおよそ同世代とは思えない表情でゆっくり微笑んでいた。浴衣の裾から煙管を取り出し優雅に詰めものをする姿に、陽は思わず深呼吸をした。怪奇だと思ったのだ。その証拠に、奇妙な様相の着流し姿の美しい少年を、通り過ぎていく人波は見えていないかのように流れていた。
山方の方の怪談話で、奇妙な恰好と言動をする少年がいると噂があった。脳に障害があるとか、自律神経が麻痺していた子どもが親に殺されたらしいとか、とにかくまともではない恐ろしい魔物が出るとのうわさはこの町に住む者には有名な話だ。その物の怪の最も注意するべきは、華陽のごとし美貌と妖艶。彼は齢十二ほどの見た目に反して、だいの大人をも惑わす色香の魔性であるとのことだ。彼に見つめられたら最後、虚に魅入られてしまうという。その時陽は、初めてその魔物をみた。紺色の和装に身を包んだ少年の姿をしていて、彼はくるりと一周し大きく微笑んだ。人食い動植物を思わせるような毒々しい笑顔に背筋が泡立った。唇を大きく歪めたさきの、赤黒い口内が艶めかしく光る。謂れのない恐怖心と同時に、その二部と咲かない美貌に陽は意識を奪われた。
妖花の彼は、やたら慣れたしぐさで紫煙を吹かし、声を発した。
「煙管がそんなに珍しいか?」
陽の物珍しい視線に対する第一声だった。意外にも声は変声期を迎えた後で、それでいて亜麻色の響きを含んでいた。
「タバコ?」
陽がつつかれたように声を出すと、彼は裾を探って何かを取り出した。今思えばマイルドセブンティーンの紙袋だった。
「煙草もあるよ」
吸う? と彼のその言葉に陽は間違いなく血の気が引いたのだが、何せ煙を吸い込むその美少年の仕草がとても手馴れていたので、現と見惚れてしまっていた。その成熟度合いに不和感さえ抱いた。タバコを悪戯している同学の者は多少いるが、これほどまでに上手く煙を操れる同年代など存在しないと思えた。
言葉に詰まっている陽を、濃いまつ毛の瞳がじっと見る。そして少年はにやりと笑った。そして少年がぐっとその腕をつかんだ。予想より強い握力にぎょっとしたが、少年の間近な美しさに陽は抵抗できない。指先の動き、空気を切るしぐさ、彼の振る舞いのすべてが華やいでいた。
「先の苑内で催物があるんだ、見に行かないか」
夏祭りの橙に映える彼の良くできた顔を眺めたまま、陽は人形のように首を横に振った。唐突に、弟を見失って探していたことを思い出したのだ。
「弟を」異様にかすれた声が出て、声帯を傷つけたとさえ思った。「探さないといけなくて」
「弟?」
少年がパイプをくわえて蒸す。
「小さい丸刈り頭で、四年生。名前はハルカ。今日催台で出し物をする予定なんだ。もうすぐ集合する時間だから困っていて」
その時後ろから、ようちゃん、と聞きなれた声がした。振り返るとたこ焼きの屋台を出している、母方の親戚がいた。使いをしていたはずの弟が見当たらないと話す。
「遥風ちゃんなら、センセイと手をつないで行っちまったよ」
陽ちゃんと来てたんだな、と叔父が言う。祭り客の流れは早い。地方とはいえ、近隣の町村からも客の訪れる夏祭り。入り乱れる客は多く、小学四年生の子供を探すのは骨が折れる。客の相手に忙しない叔父に詰め寄って、弟を連れだった人物の詳細を尋ねる。人さらいの可能性だってあるのだ。
「先生ってどんな人?」
「浴衣の綺麗な人だったな。遥風ちゃんがセンセイ、って呼んでた」
そう言って叔父は、陽の背後に立つ少年を見て一瞬怪訝そうな顔をした。陽はその動きで後ろに立つ少年が魔物ではないと確信する。学校の先生だと思ったぞ、と言い、陽の掌に自分の携帯番号を握らせた。
思い当たるセンセイ、というのは、遥風の担任である真島先生。今年赴任してきたばかりの、若く綺麗な女性だった。彼女に連れられて、催台まで行ったのだろうかと、陽は辺りを見渡す。
「手掛かりは?」少年が後ろから声をかけてくる。
「先生どこかに行ったみたい。探してくるよ」
踵を返す陽の腕を、彼がまた強い力でぐっと引きとめた。そして大きくないのによく響く亜麻色の声がする。
「催台に行ってるかも」飄々としている少年の声は低かった。
明瞭そうな少年の助言に、陽は納得して後をついて行った。階段を数段上ったさきの催台には神輿台が組まれていて、その周りを盆踊りの要領で踊る子供が囲んでいた。どの子供も黒い浴衣に狐面をつけ、声も発さず黙々と踊っている。神輿台の近くには特設の舞台が組まれ、よさこいの恰好をした少年少女たちが演目の準備をしている。その中に陽は、弟の遥風の姿をみつけた。ハチマキを腕に巻いて友達と笑い合っている。ほっと胸をなでおろし、一声かけようと集団に近づくが、それは少年の声に引き留められてしまった。振り返ると少年はその頭につけた狐面を目の下までかぶり、煙管をふかしながら微笑んでいる。陽はその姿に言い知れぬ不安感を覚えた。なぜこの美少年が見ず知らずの自分を知り合いのように誘い友人のように話しかけるのか。美しい彼の振る舞いは自信に満ち溢れていて、ここまで疑いなくついて来たが、よく考えれば明らかに不審だった。
「弟はいた?」
陽はよさこいの集団を指さし、真ん中で鉢巻をつけ目尻に赤を塗っている弟を少年に教えた。精悍な様子の弟。地味で目立たない兄に比べ、遥風は華があってクラスの中心的存在。彼は今宵、祭りの真ん中で太鼓を叩くのだ。
「あんまり似てないな」
少年が陽に耳打ちする。その瞬間から陽は、少年の美しさの一挙一動に感化され、誰にも打ち明けられない恋情を忘れかけていた。体温が上がったように感じた陽は、少年の着物の、白い隙を覗き見ながら、自慢の弟なのだと言った。
今思えば、日本の祭日を祝うはずなのに、ライオネル・リッチーのセイユー・セイミーが大音量で流れていたのは不思議だ。尊いバラードに溶け込む篝火と閃光、怪奇のごとく美しい少年を映し出し、不似合いなはずの音楽に彩られ輝いて見えた。
その瞬間、ドン、バチバチ、と鋭い音が轟き、舞台上の太鼓が爆発した。一瞬にして、よさこい達のステージが火に囲まれ、舞台上の少年少女たちが火の海に取り残された。弟が火柱に飲み込まれ、黒い影になるまで一瞬の出来事だった。鼓膜をつんざくような悲鳴、絶叫、血肉の焦げた匂いが辺りに広がった。舞台上に駆け上がり、命を顧みずに救助活動をした大人たちが助けられたのは、三十六人の生徒のうち、たったの五人だった。消火器や水バケツを持って駆けつける頃には、舞台は火で燃やし尽くされ、美しかった遥風も、黒焦げの人形になり、太鼓のばちを握りしめたまま、舞台上で息絶えていた。
気づけば陽の傍から少年はいなくなっていた。
夏祭りで起きた小学生焼死事件は、あっという間にその地の手元を離れ、テレビや新聞のニュースで取り上げられた。クラス担任の真島という女の先生が、生徒に火をつけた容疑で逮捕された。
陽が、遥風を失った事実を受け入れるまで、そう時間はかからなかった。それからは、最も罪深い意識に沈むことになった。最後に自分を呼んだ少年の表情と、その曲と火の匂いを鮮明に覚えている。
そして、あの妖花の少年が、二度と姿を現すことはなかった。
(了)
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