リターンオブお姉ちゃん

在都夢

リターンオブお姉ちゃん



 もう駅に着くとラインが来てからずっとそわそわしていて、なぜかと言うと半年ぶりにお姉ちゃんが帰ってくるからだ。大学進学を機に地元から出ていってしまったのはなんだか裏切られた気がしたけど、夏休みということで、こうして帰ってきてくれるなら許してあげられる。インターホンが鳴ると、誰かも確認せずにドアを開ける。

「おかえり!」

「ただいま」

 と傘を置きながら、お姉ちゃんはにぱっと笑う。相変わらず美人だなと思う。陸上をやっていたお姉ちゃんはすらっと背が高いし、現役時代短かった髪もすっかり伸びて清楚度が増したし、ちょっと攫ってしまいたいくらいだ。おまけにメイクも始めたっぽくてパーフェクトだ。

 お姉ちゃんは私の好みすぎる。

 けばけばしくなくてナチュラルなメイクは誰に習ったんだろうと気にもなるけど、お姉ちゃんが私をハグして「寂しかった?」と耳元で囁いてくれるのでそんな疑問は吹っ飛んで「うん!」とハグし返す。ギュギュギューだ!

「元気だった?」

「うん! 超元気!」

 お姉ちゃんはふふふと笑い、するりと私の腕から自然な動作で抜け出す。自然すぎてちょっと怖いくらい。

 それから洗面所に行くとお姉ちゃんは、

「お母さんは?」

「今パート」

 と私が答える頃にはもう洋服を脱いで洗濯機に入れている。半年も家を空けてたのに、懐かしさなんてないみたいだ。一連の動作はあまりにスムーズでかつ、どこか他人に見せているようなセクシーさもあるし、私はポケ〜っと眺めてしまう。

「何見てるの」とお姉ちゃんはまたふふふ笑いをして、「お姉ちゃん髪濡れちゃったからお風呂入るね」

 お姉ちゃんは彼氏を作ったのだろうか?

 わからない。

 シャワーの音が聞こえる。

 以前は毎日お姉ちゃんとお風呂に入っていた。だけど今はお風呂の壁一枚を隔てて、お姉ちゃんの聖域が誕生してしまったみたいだ。大学とはそんなにすごいものなんだろうか?

 大学についてたっぷり聞かなければ、とソファに座ってお姉ちゃんを待っていると、ガン! と大きな音がして思わず跳ね上がる。玄関からだ。ガンガンガン! と連続して音が鳴って、私は気づく。チェーン閉めてたんだ。

 立ち上がってチェーンを外そうとすると、いや待てよと思う。すんなり外したら防犯の意味がない。さっきは確認しなかったけど、さすがに私も気をつける。

 インターホンの画面を覗き込むとそこにはお姉ちゃんがいる。落ち着きがない感じでウロウロしているお姉ちゃんは、陸上やってた時みたいに髪が短い。

 シャワーの音はまだしている。

 私はインターホンの通話ボタンを押して、

「お姉ちゃん?」

 するとその髪の短いお姉ちゃんがハッと顔を上げて「なんでチェーンなんかかけてるの?」と怒ったみたいに言う。

「あ、えっと」

「帰ってくるって言ったよね? 外雨だよ」

「あ、ごめん。今開ける」と言ってから付け加える。「お姉ちゃんが二人いるんだけどこれって何?」

「嘘」

 お姉ちゃんが画面の向こうで息を呑み、

「今すぐ開けて。早く」

「や、開けるけど何で二人いるの?」

「そんなこと言ってる場合じゃないの! 早く開けて!」

 やけに必死に言うお姉ちゃんだ。しかし二人いる理由は答えてくれないので、どことなく怪しい。このお姉ちゃんは本物のお姉ちゃんなのだろうかと思う。大体、お姉ちゃんが髪を伸ばし始めたのは部活引退直後からで、大学入学前にはそれなりの長さがあったはずなのだ......という疑問をそのままぶつけてみるとお姉ちゃんは、

「ちょっと伸ばしたらもう良いやって気分になったの。元に戻しただけだよ」

 と言うので私は「せっかく伸ばしたのに?」

「いいから早く! そっちにいる私は私のふりしてる偽物なの! もういいから! こっちに来て!」

 腑に落ちない。

 陸上を続けてるわけでもないのにそんなに短くするのかな? 男みたいとは言い過ぎだけど、女子にしてはかなり短い髪で、大学生活には向いていないことが私にもわかる。

 それでドアを開けるか開けないかで迷っていると、いつの間にかシャワーの音が止んでいて、私の後ろにバスタオルを巻いたお姉ちゃんが立っている。

「実家まで着いてくるって怖いね。気にしなくていいから」

 とお姉ちゃんはあっさりインターホンの通話を切る。

「今のって」

「あれね、大学の方でちょっと取り憑かれちゃって。あれお化けなの。ごめんね巻き込んじゃって。もう大丈夫だから。ほっとけば勝手に消えるよ」

 ドン! ドン! ドン!

 ドアを叩く音がしても、お姉ちゃんは平然としている。私なんか足が震えているのに。

「開けて開けて開けて開けて開けて開けて!」

 外のお姉ちゃんが叫んでいる。

「怖いよね」

 と言ってお姉ちゃんが手を握ってくれる。

「そいつは偽物だから! 早くこっち来て! 剥がされちゃうから!」

 お姉ちゃんは喉から振り絞るような感じで叫んでいて、可哀想に感じてしまうけど騙されない。

 ずっとドアを叩かれ、叫ばれているうちに慣れてくる。足の震えも収まって、お姉ちゃんに「大学のこと聞かせてよ」と言うとスマホに電話がかかってくる。見ると、画面にはお姉ちゃんと表示されている。

 外の叫び声はまだ続いているし、私の手を握っているのはお姉ちゃんだ。

 またお姉ちゃんだ。

「出なくていいよ」とお姉ちゃんが言って私も出ないつもりだったのに、画面に触れてもないのに、通話が始まる。

「もしもし〜?」

 お姉ちゃんの声だ。

「今駅着いたから今から帰るね? あ、マックシェイク食べる? 買ってくるけど」

 今駅着いた?

 私はハッとして顔をあげる。

 お姉ちゃんは上品に笑って

「嘘嘘。偽物だよ。それにしてもしつこいね」

「もしも〜し。聞こえてる?」

 と電話の向こう側では、電車が発車する音とか駅員の声とか混じっている。

 他人の声が混じっているというだけで、電話のお姉ちゃんが本物であるかのように思えてくる。

 すると、慣れて気にならなくなっていた外での叫び声も、鮮明に聞こえてくる。

「そいつの顔よく見て! 違うから! 偽物は必ずどこかに本物との違いを残すの! 私を信じて!」

 私はお姉ちゃんの顔を見る。

「嘘だよね?」

「嘘だよ。顔なんてわからないよね?」

 と笑っているお姉ちゃんは誤魔化しているようにも見える。化粧の落ちた顔は見慣れた顔で違和感なんてない。だけど、全く違いがないとも言い切れない。なにしろ半年だ。半年会っていないのだ。まじまじと見つめるとこんな顔だったっけ? と思ってしまう。

 お姉ちゃんが誰だかわからない。私はお姉ちゃんから距離をとっている。

「ふふ。あっちの言うことなんか真に受けてるの?」

「お姉ちゃんはお姉ちゃんだよね?」

「もちろん」と言うお姉ちゃんは私がさっきまで座っていたソファに寝転がる。

「なんでそんな余裕な感じなの?」

「慣れたってだけ。そのお化け、鍵閉めて中に入れなきゃ何もできないよ」

「早く! そいつと一緒にいちゃ駄目! 中にいちゃ駄目!」

 外のお姉ちゃんが叫んでいるけど、どちらを信じたら良いのだろう。電話のお姉ちゃんはというと「お母さんにも何食べるか聞いといてくれない? あ、今日パートかな」と私を不安がらせるようなことは一切言わないから、逆に怪しい。

「そんなに悩むんだったら見てくれば?」

 とお姉ちゃんが微笑みながら言う。

「……見てくる?」

「実際に自分の目で見れば確かめられるでしょ?」

「でも外出られるわけないじゃん」と私が言うと、

「ベランダから見れば?」

 確かに……。

 なんで思いつかなかったんだろう。

 お姉ちゃんのことは完全には信用できないけど、とりあえずその案を試すことにする。

 電話の音と叫び声を背にして二階へ上がり、雨戸を開けてベランダへ出て、手すりから体を乗り出すと、雨の中でお姉ちゃんがいるのが見える。

 たくさん。

 虫の死骸に群がる蟻みたいに隙間なく、びっしりと家の周りを大量のお姉ちゃんが囲んでいる。

 私は手すりに身を乗り出したまま、固まったように動けない。お姉ちゃんの一人が私に気づいて顔を上げ、思いっきり目が合っても動けないでいて、やがてお姉ちゃんの群れが連鎖的に顔を上げていった時も目が離せなくて、お姉ちゃんが私に向かって一斉に呼びかけるのを黙って聞いた。

「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」「開けて!」

 それで私は気絶してしまい、気がつくとソファでお姉ちゃんに膝枕されている。

「ね? 私が本物だったでしょ」

 とお姉ちゃんが笑う。

 あんなに自分と同じのがいるのにもかかわらず、笑って済ませちゃってるから私も「お姉ちゃ〜ん〜」と泣きながら笑う。

「お姉ちゃんのこと信用してないの、結構ショックだったなあ」

「信用してるよ!」

「ええ〜?」

 と意地悪を言うお姉ちゃんに少しばかり膨れてみせるけど、そういうふりでしかない。

 というかよく考えてみれば、お姉ちゃんが偽物なら、私はとうにひどいことをされているわけで、今まで無事だったのがお姉ちゃんが偽物じゃない証拠だ。それなのに騙されかけてしまったのは、余裕たっぷりのお姉ちゃんが怪しすぎたせいもあると思うけど、お姉ちゃんの弾力とはりがある太ももはすごく気持ちよくて、どうでもよくなる。

 お姉ちゃん好きだ!

 そのうち私は眠くなってきて、うつらうつらしているとお姉ちゃんが、

「眠いの?」

 と言って頭を撫でてくるからもう眠気に逆らえない。

「ふふ、寝ちゃっていいよ」

 そうします。

 あと一ヶ月はお姉ちゃんを占領できるって考えると嬉しくてたまらない。

 でも瞼が閉じる直前に、お姉ちゃんの顎の下に黒子があるのが見える。昔のお姉ちゃんにあったのかどうか、気になってしょうがないけど、多分私は訊かないと思う。

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